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第25話『芹、初めてのお出かけ』

「小鳥遊というのは、私が授けた名前だ」


 唐突に芹が話し出した。私はまだ芹の胸に顔を埋めていたけれど、芹はそんな事に構うことなく話し出す。


「天敵が来ず小鳥がいつまでも幸せであるように。そう願ってその名字を使った。だというのに、今の巫女にはあまりにも不釣り合いな名になってしまったな」

「どういう……意味ですか?」


 鼻をすすりながら芹を見上げると、芹は困ったような顔をしてこちらを見下ろしている。


「そのままの意味だ。お前の周りには天敵が多すぎる」

「天敵?」

「そうだ。先程の者達もそうだが、親鳥はあっさりと雛鳥を見捨てて出て行ってしまい、他の親戚はお前を無惨に食い荒らそうとする。これでは小鳥遊という名が意味の無い物になる」

「……ほんとですね……ごめんなさい」


 芹が私の先祖を思ってつけた名前は、その人の幸せを願いつけた物だという。それがこんな事になっていたら、そりゃ芹もさぞガッカリするだろう。そう思ったのだけれど。


「なぜ巫女が謝る?」

「だって、せっかく芹様がつけてくれたのに」

「それは私が勝手にしたことだ。あの時の巫女が本当にその名を名乗り過ごしていたというのを知り、少しだけ私の後悔は和らいだ。あの後きっと巫女は幸せに暮らしたのだろうと。けれど今、その子孫が雛の状態で私の元にやってきた。

突然放り出された雛は全身から血を流し、それを隠しながら今も必死に生きている。私には、それが許せない」


 そう言って芹は私を強く抱きしめてくる。突然の芹からの抱擁に驚いていると、芹が深い溜息を落とした。


「巫女、お前が自分の道を決め、その小さな羽でここを飛び立つその日まで、私がお前を守ると約束しよう。小鳥遊という名がお前に相応しくなるまで」

「……芹様……」


 芹にとって小鳥遊という名にどれほどの想いを込めていたのだろう。自分の名字の由来など今まで考えた事も無かったけれど、芹はきっとその当時の巫女の事を本当に大切にしていたに違いない。


 私はもう一度芹に抱きつくと、ギュッと芹の羽織を握りしめた。


 今まではいつかどうせ出て行くのだからと思って芹の事を深く知ろうとはしなかった私だが、この日を境に少しだけ芹に興味が湧いた。


 芹山という山の化身で、人の感情に疎くて廃れてしまった神社の神様は、本当は一体どんな神様なのだろう。


 そんな私の心を知ってか知らずかこの一件以来、芹がやたらと私に構うようになった。


「巫女、買い物へ行くのか?」

「あ、はい。何か必要な物ありますか?」


 エコバッグを持って出かけようとした私を止めると、芹は自転車をじっと見下ろして徐ろに指を鳴らした。すると、その途端自転車に補助輪が現れる。


「せ、芹様?」

「これで転ぶ心配は無いな。行って来い」

「いや、私はもう補助輪とかいらないんですけど……」

「そうか? 幼い子どもはよくこうして自転車に乗っていないか?」

「……私、もう17ですよ。もうちょっとで結婚だって出来ちゃう歳なんです!」


 私の言葉に芹はハッとした顔をしてまじまじと私を覗き込んでくる。


「……そうか。すまない」


 申し訳無さそうにそう言って芹はもう一度指を鳴らすと、無事に補助輪は消えたが、芹はまだ心配そうな顔をしている。


「そんなに心配なら一緒に行きますか?」


 人の願いや感謝から得られる力が少なすぎて芹は今まで境内から出る事が出来なかったという。


 けれどここ最近は毎日のように誰かがこの神社にやってきては芹にお礼を言ったり感謝したりしているので、最近の芹は滅多なことでは透けなくなってきた。それを教えてくれたのは狐達だ。


 私の問いかけに芹は少しだけ考えて頷く。そんな芹の反応に私だけではなく、既にカゴに乗っていた狐たちまで驚いている。


「ほ、本気ですか、芹様!」

「せ、芹様がお出かけに興味を持たれるなんて!」

「冗談で言ったんですが、ど、どうやってついてくるんですか?」


 まさか走ってついてくるつもりか? 思わずそんな事を考えたその時、芹は小さな白い花に姿を変えた。


「せ、芹様がお花になっちゃったんですけど!?」


 驚いて叫んだ私の頭の中に芹の声が聞こえてくる。


『巫女、私をお前の髪に挿してくれ』

「は!?」


 思いも寄らない芹の言葉に私が固まってその花を見下ろしていると、テンコがカゴから飛び降りてその花を恭しく持ち上げて、私の肩に飛び乗ってきた。


「ほら、こうするんだよ」

「え……ええ!?」


 テンコはそう言って私の耳元に白い花を刺したのだが、今から自転車をこぐのにこれは不安しかない。ところがそれを伝えると――。


『ではヘビやネズミの方が良いか?』

「花で良いです。落ちないようにしがみついていてください」


 芹の言葉に私は即答して自転車をこぎ始めたが、不思議な事に花は本当にその場からびくともしない。もしかしたら芹は本当に髪にしがみついているのだろうか。謎だ。

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