咲子はその後も家族の事について語ってくれた。大学に行った姉は滅多にこちらに戻って来ない事、唯一の味方の父親は腰を痛めて入院している事、母親と二人きりの家で息が詰まりそうな事。
あれほど寡黙だった咲子の心の声は戸惑いと悲しみ、そしてほんの少しだけ怒りが混じっていたのが気になって、明日にでも咲子のご家族にも挨拶したいと言うと、咲子は父親の病院に行く予定だと言っていた。それにくっついて行ってもいいかと尋ねた所、咲子は快諾してくれたのだけれど……。
私がぼんやりと咲子が簡単に耕して行った畑を眺めながていると、隣に誰かが立つ気配がする。
「これは見違えたな。流石、プロは違う」
「プロ?」
「咲子だ。あの娘の人生は作物と共にある。恐らくこれからもな」
「ほ、本当ですか!?」
「ああ。咲子は今人生の岐路に立っている。今までは親の庇護下でしか生きる事が出来なかった雛鳥がようやく飛び立とうとしている。どこへ飛び立とうとも、誰にも止める事は出来ない。だが飛び始める前の一瞬が最も恐ろしく、辛く、悲しいものだ。心の糸が切れそうになっても何もおかしくはない。それは巫女、お前も同じだ。お前はどうやら幼い頃から随分と色んな物を諦めて手放してきたようだが、ここではもっと貪欲に生きろ。何も諦めなくて良い」
「……でも巫女になれって言うじゃないですか」
「なんだ、嫌だったのか?」
「今は嫌じゃ……ないですけど」
最初は嫌だったし、何よりも迷惑だった。どうして私がこんな事をしなければならないのだと怒鳴った日もあった。
けれど今はもうそれだけじゃない。むしろこんな私で良いのかという思いの方が強い。私は何気なく隣に立つ芹の手を取った。
「どうした?」
「芹様、私は狡いんです。本当に巫女の器なんかじゃない。家族が突然誰も居なくなって淋しくて、それをここで紛らわせようとしてるに過ぎない。芹様は私を小鳥だって言うけど、私は結局何も自分で決められない、飛び立つ事さえしなかった小鳥です。皆の縁を繋いでも、自分の縁は繋げなかった。でも今ならわかる……もっと、あの時泣き叫べば良かった。置いていかないでって……言えば良かった」
まぁそれをしても置いていかれる可能性の方が大きい訳だが、聞き分けの良い振りをして後から後悔するよりはずっとマシだったのではないか。
思わず芹を掴む手に力を入れると、芹も何も言わずにその手を握り返してくれる。
「お前の力はこんなにも心地よいのに、お前が巫女に向いていないはずがない。強がるお前も弱音を吐くお前も、あの咲子と本質は同じ。純粋で頑固で芯が強い。そんな者達の翼は決して折れないよ。休む事はあっても」
「……芹様……」
人間の心の機微が分からないと芹は言うが、神様はこうして寄り添ってくれるだけでいいのだ。少なくとも私はそう思う。
芹の言葉に泣きそうになりながらも目の前の畑を見てぽつりと言った。
「そうだ……食べてもらえば良いんじゃないでしょうか?」
「突然何の話だ」
「咲ちゃんの野菜です! それに唯一味方のお父さんの存在も重要かも!」
「何か思いついたのか?」
「はい!」
笑顔で芹を見上げると、芹も私を見下ろして少しだけ微笑んで頷く。
「巫女の好きにすれば良い。私達は何があってもお前を見放さない」
「ありがとうございます。あ、今日は晩ごはん鶏のうま煮ですよ!」
「ほう。うま煮というからには美味いのか?」
「うーん……多分?」
笑いながら芹の手を引くと、芹は少しだけ口の端を上げて歩き出した。そして聞こえるか聞こえないぐらいの声でポツリと言う。
「後悔……か」
「芹様?」
「いや、なんでもない。そしにしても鶏か。狐たちは狂喜乱舞だろうな」
こうして私達は本殿に戻り、私は夕食の支度へ、芹は自室へと戻って行った。
翌日、私は朝から仕込んだ茄子とキュウリの浅漬を持って米子の所へやってきていた。
「美味しいわ! ねぇ拓海!」
「ほんとだな。これだけで飯三杯は食えるな。これ、どこの店のやつ?」
「これ、お店のじゃないんです。篠崎さんちの咲子ちゃん知ってます?」
「もちろんよ! え? もしかしてこのお野菜あの子が作ったの? 『あらあら、全然知らなかったわ……あのお家では夢子さんばかりが目立っていたから』」
「そうなんですよ! もうめちゃくちゃ美味しいからこれは絶対に米さん達に食べてもらわないとって思って!」
「咲ちゃんか……懐かしいな! あの子、唯一俺がここ出る時泣いてくれたんだけど、元気にしてんの?『姉ちゃんといっつも比べられて可哀想だったんだよな、昔っから』」
「ええ、元気ですよ! 今は神社の裏の畑のお手伝いしてもらうことになったんです」
拓海の心の声が聞こえてきて私はハッとした。どうやら拓海は咲子がいつも孤立していた事に気づいていたようだ。逆に米子の方は咲子の事はあまり知らなかったらしい。