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第8話『加護の代償』

 芹山神社にやってきてから、私はここでもう何度も気を失っている。


 それぐらいここの日常は現実離れしすぎているからだ。人間の脳は本当に優秀だ。ちゃんとヤバいと思うとシャットダウンするようになっているのだから。


 そんな私は食卓を狐たちと囲みながらお説教を聞きつつ朝食を食べていた。


「芹様が部屋まで運んでくださったのですよ! 感謝しなさい!」

「……はい」

「そうだぞ。全く、突然怒鳴りだしたと思ったら大声で泣きわめいてそのまま寝るなんて、獣の子どもでもしないぞ!」

「……ごめんなさい」


 申し訳無さ過ぎて頭を下げた私に、狐たちは揃って茶碗をこちらに突き出してくる。


「おかわり!」

「……」


 二人はさっきからもう三杯目のおかわりだ。それと比例するかのように目の前のおかずが物凄い勢いで無くなっていく。


 泣き叫んですっかり寝過ごした私は、朝から急いで裏庭の野菜をかき集めてバターソテーとスクランブルエッグとコンソメスープを作ったが、それでも狐たちはいつものように美味しそうにモリモリ食べてくれる。


 私はスープを飲みながらよく食べる狐たちを見て小さなため息を落とした。


 今朝はまだ芹に会っていない。昨夜はあんな事を言っていたが、もしかしたら一晩寝て気が変わり、今日は怒っているなんて事はないだろうか。


「何せ山だもん……」


 まともに謝る事も出来ずに寝落ちた私だ。芹が腹を立てていても何も言い訳出来ない。


 そこへふらりと芹がやってきた。それに気づいた狐たちは一旦食べるのを止めて立ち上がり、腰を直角に曲げて芹に挨拶をする。


「おはようございます! 芹様!」

「おはようございます!」


 そんな二人を見て私も頭を下げてボソリと言った。


「お、おはようございます。昨夜はその、ご迷惑をおかけしました」

「ん? ああ、あれか。別に気にしていない。それよりも今日はどうする? 帰るのか?」

「あ、はい。そうですね。明日は登校日なので。明後日の昼頃にはこっちに戻ります」

「そうか。では巫女、お前にこれを」


 そう言って芹は近づいてきておもむろに私のおでこに触れた。その途端おでこがじんわりと熱くなって思わずおでこを抑えると、正面でそれを見ていた狐たちが驚いたように目を丸くしている。


「加護だ。あれから私も考えた。確かに巫女の言う通りだ。私はお前に巫女になる事を強要した。その代わりに私は一刻も早くこの神社を立て直し、巫女にとってここを住み良い場所にしてやらなければならないのだと。この荒れ果てた状態で些細な願いさえ叶えてやる事が出来ないなど、神としては恥ずかしい事だ。私はそんな事すら忘れていたようだ」

「芹様……」


 私が出ていこうとしている事には触れず、ここを私が住みやすいようにしてくれようとしているのか……。何だか変な神様だ。ワガママなんだか優しいのかよく分からない。それでもやっぱり、嫌いではない。


 私はコクリと頷いてもう一度おでこに触れると、芹は真剣な顔をして言う。


「良いか、巫女。人の心の声は時として聞きたくない事も聞こえるだろう。だが、判断を見誤るな。自分を見失うな。惑わされるな。他人の心の声は、お前の心の声ではないのだから」

「は、はい」


 真顔でそんな事を言われて思わず頷いた私を見て、芹は炊事場を出て行ってしまった。


「加護……くれましたね」


 唖然としたまま言うと、狐たちもポカンとしたまま頷いて、朝食を再開し始める。


「それにしてもお前、明後日まで居ないのか? ここから通えばいいだろう?」

「そうです。お買い物ぐらいなら手伝ってやりますよ」

「そうしたいのは山々なんですけど、とりあえず学校は行かないとだしバイトにも辞めるって言って、転居届でしょ、家の手続きして、それからえーっと……」


 指折り数えてやらなければならない事を話すと、狐たちはため息をついてご飯を噛み締めている。


「もういい。とにかく忙しいって事だけは伝わった」

「仕方ないので今日と明日はまた狩りをします」

「また明後日来ますから!」


 芹もあんな事を言っていたし、この二人とも何だかんだと仲良くやれそうだ。


 そう思いつつその日の昼前に神社を出た所までは良かったのだが――。


「ヤバ……神様って皆、こんな思いしてんの……?」


 帰り道、耳を塞いでもあちこちから聞こえてくる心の声は、色々と混じりすぎていて何を言っているのかさっぱり分からない。


 けれどその中にたまにとても澄んだ声でよく聞こえる声があった。そちらに顔を向けても誰の心の声なのかは分からなかったけれど、その声を聞くと何だか無性に胸が騒いだ。


 都会に戻り人が増えるにつれてそれはさらに大きくなり、願いの程度も飛躍的に大きくなった。中には物騒な声もある。それが聞こえた時は思わず体を強張らせて、何度も何度も周りを確認してしまった。


 とうとう我慢出来なくなった私は役所で手続きだけして買い物もせずに急いで家に戻り、自室の真ん中で丸まった。


 引っ越しもその他の物も全て処分してしまったので、住み慣れた家にはもう何も無い。おまけに加護の力は家の中に居てもどこからともなく聞こえてくる。


「自分で言い出した事とはいえ、これは……」


 完全に早まってしまった事を後悔しつつ、私は明日の学校の事を考えて震え上がった。


 翌朝、満員電車を避けるように私は遅刻ギリギリまで粘って学校へ向かう。


「おっはよ~彩葉!」

「おはよ、ムック」


 中学からの同級生、椋浦瞳が今日も元気に挨拶してくれたが、私を見て第一声の心の声は『相変わらず地味。ま、引き立て役にはちょうどいいけど!』だった。


 そうか……いつもこんな事を思っていたのか。少しだけ傷つきつつ自分の席につくと、隣の席では男子たちが何故か紙ヒコーキを作って遊んでいる。


「ちょ、お前のめっちゃ飛ぶじゃん!『え、どうやって折ってんの?』」

「お前の飛ばなすぎ!『相変わらず不器用だなぁ……』」


 心の声まで紙ヒコーキにまつわる事で何だかほっこりしていると、そこにクラス一美人の吉田陽子がやって来た。その途端にクラスの中がパッと華やぎ、いわゆる太鼓持ちの子たちがぞろぞろと彼女の周りに集まりだす。


「昨日のあれ見た~? 超良くなかった? めっちゃ綺麗だったから即買いしたよね『はぁ、めんどくさ』」

「見た見た! あれさ、よっちが言ってたリップだよね?『つか、お前じゃ似合わねぇっつの』」

「やっぱよっちも動画見てメイク道具揃えてるの?『あれ全部揃えるって絶対ヤバいバイトしてんじゃん』」

「私? 私は別に適当に目についた奴買ってるだけ『なんで皆、そんな必死なんだろ。それよりもねむ……昨日ゲームしすぎた……』」

「……」


 意外な事に心の中の声を聞く限り吉田はメイクよりもゲームに関心があるらしい。整い過ぎてずっと何を考えているのかよく分からない人だなと思っていたけれど、少しだけ好感度がアップだ。それよりも太鼓持ち達の心の声の方が何だかジャミジャミしていて聞き辛い。


 これ以上誰かの心の声など聞きたくなくて机に突っ伏していると、前の席に誰かが座る気配がした。その途端に心臓がドクンと跳ね上がる。


 ちらりと顔を上げると、そこには岩崎純一が眠そうな顔をしてカバンの中を漁っていた。


「お、おはよう」


 私は一年の時からこの岩崎純一が気になっている。今回初めて同じクラスになって、席まで前後で相当喜んでいたのだが、続いて聞こえてきた心の声に思わず声を詰まらせた。


「おう、はよー『てか陽子眠そうだなー。そりゃあんな時間までゲームやってりゃ眠いか。今日はあっち親居ないっつってたっけ。じゃ、泊まりだな』」

「……」


 私の淡い恋心はこの瞬間に砕け散った。そうか、この二人は付き合っていたのか。どちらも互いにまるで関心が無いような振りをしているけど、上手く隠してたんだなぁ。


 芹が加護を私につける事を躊躇ったのは、こういう事だったのだ。結局、人の心の声など聞いたって何も良い事などない。


 私はもう一度机に突っ伏して浮かんでくる涙を隠していた。

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