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第3話『神の力』

 枕元から聞こえてきた何やら不穏な三人の話を聞いて私はハッとして起き上がった。


「い、今のどういう事ですか?」

「起きてしまったか。おはよう」

「あ、はい。おはようございます」


 どうにも芹のこのテンポについていけないが、何か今夢の淵でとても重要な事を聞いた気がする。


 身体を起こした私がじりじりと芹ににじり寄ると、芹が首を傾げた。


「どうかしたか」

「どうかしたかじゃありませんよ! 今のはどういう事ですか!? ここら辺一帯が吹き飛ぶって!?」

「ああ、それか。そうだな。私が万が一にでも荒御魂になってしまったらそういう可能性もあるという意味だ。巫女から精気を受け取った上で消えるのならまだ良いが、キスの一つもしてもらえず消えると私の魂が荒御魂になる可能性も無きにしもあらず」

「無きにしもあらず、じゃなくないですか!? それってキスしてやらなかった私のせいでここら辺が吹き飛ぶかもって聞こえるのですが?」

「そのとおりだ。何か間違っているか?」


 淡々と罪(乙女のファーストキスを奪おうとしている罪)を認めた芹に私は思わず黙り込んだ。これは遠回しにキスを迫られているようだ。


 何よりもそんな一歩間違えたら町が吹き飛ぶだなんて言われたら、怖くてこんな所で生活など出来ない。


「い、嫌です! 巫女止めます!」


 私はすぐさま立ち上がると急いで荷物をまとめて部屋を出ようとしたが、何故か襖が開かない。


 ハッとして振り返ると、そこには二本に分かれた角を生やした芹が、薄ら暗い笑顔を浮かべていた。その隣にはあの可愛らしかった二人も狐の姿に戻ってじっとこちらを見ている。


 取り立てて勘が良くない私にすら分かる。この三人の威圧感は半端じゃない。やはり人間ではないのだ。


「私から逃げられると思うのか? 巫女」


 その硬質で冷たい声を聞いて背中に何か冷たい物が流れていく。


 芹の言葉に私は小さく首を振った。人外の力に人間の、ましてやただの女子高生が敵うわけがない。


「……いいえ」


 私は涙を浮かべて芹に近づくと、芹の前に膝立ちになって小さく鼻をすすった。そんな私の行動に芹は冷たい声で言う。


「なんだ」

「キスって、唇でないと駄目ですか」


 観念したように芹に問いかけると、威圧感がふっと消えた。それと同時に芹の頭に生えていた角も消える。


「試した事がないな」

「そうですか……」


 それだけ言って私は目を固く閉じると、観念して芹の頬に触れるか触れないかぐらいのキスをした。


 するとその途端に芹が一瞬輝いて部屋中に花のような甘い匂いが漂う。驚いて芹を見ると、芹は先ほどとは打って変わって幾分柔らかい微笑みを浮かべている。


「喜べ巫女、口で無くともいけそうだ。思いの外お前の巫女の力は強くて上質のようだ」

「そですか」  


 芹の笑顔を見て私は少しだけホッとする。良かった。どうやらファーストキスは守られそうだ、と。


 私は座ったまま芹から離れると正座をしてさらに芹に問いかけた。


「ところで芹様」

「なんだ」

「話は戻るのですが、結局私は何をすれば良いのでしょうか?」

「そうだな……とりあえず神社を建て直してもらおうか」


 大真面目な顔をしてそんな事を言い出す芹に私も思わず真顔になる。


「無茶言わないでください。このか細い腕を見てください。それは流石に大工を呼んでください。あとご存知の通り私、お金はもう本当に一銭もありません」


 何せこの神社の為に全財産を使い果たした私だ。この場で飛び跳ねても、もう小銭の音すらしないのではないだろうか。


 一人そんな事を考えていると、不意に芹が立ち上がりあの書棚から一本の巻物を持って戻ってきた。


「思い出した。以前ここに居た宮司が書いたものだ。恐らくここに巫女の仕事内容も書いてあるはずだ」

「……お借りします」


 こんな物があるのなら、どうして最初に出さないのだ。そう思いつつ巻物の紐を解くと巻物は思いの外長い。そして達筆過ぎて何も読めない。


「どうかしたか」


 巻物を見つめながら固まる私に芹が問いかけてきた。


「芹様、読めません」

「なに? 最近の巫女は文字を使わないのか?」

「そうではなく、草書は流石にもう一般的には習わないです」

「そうか。貸してみろ」


 そう言って芹は私の手から巻物を取ると、抑揚のない声で滔々と読み始めた。まるでお経のようだ。


 そして最後に巫女の仕事を読み終えた芹はおもむろに巻物を丸め始めた。


「どうだ」

「どうだと言われましても、まず朝一番の芹様へのお供えは何をすれば良いのでしょう?」

「別に何も。どうせ私は食べないし飲まない」

「……では次の境内の掃除は良いとして、お守りとか社務所の準備は……」

「特にいらないな。そもそもうちにはもう社務所が無い」

「ですよね。ちなみにご祈祷のお手伝いなんかも?」

「いらない。こんな所で婚礼を上げるなど、正気の沙汰ではないだろう」


 確かに芹の言う通りだ。こんな険しい山を登ってまで婚礼を挙げたいと思う夫婦はきっと居ない。そこまで尋ねて私は首を傾げる。


「……え、私のここでの仕事って、本当に掃除だけなんですか?」

「あとキスだな」

「あ、はい」


 どうやらそれだけは絶対に譲れないらしい。私は頷いてメモを取り立ち上がった。


「どこへ行く?」

「外です。よく考えたら私、この神社の全貌を知らないなって思って」

「なるほど。良い心がけだ。私も行こう」


 そう言って芹は立ち上がって私よりも先に部屋を出ていくので、芹について外に出ると今しがた出てきた本殿を見上げてみた。


 この神社はさほど大きくない。屋根や柱は所々汚れてはいるものの、表の鳥居ほどの痛みはなさそうだ。ただ瓦はところどころ剥げてしまっている。そんな事よりも気になるのは荒れ果てて最早地表が見えない境内である。


 いっそ業者を呼びたいが、そんなものを呼べるお金が無い。


「芹様、とりあえず雨漏りとか素人でも出来そうな修繕なら私にも出来るかもしれません」


 DIYぐらいの修繕であれば頑張れば私にも出来るだろうが、流石に本殿の瓦とか柱の修理は無理だ。


「そうか。では頼む」

「はい。でもあの鳥居は絶対無理です。あれはもう朽ち果てかけて木っ端に戻ろうとしています」

「そこまでか」

「そこまでです」

「ふむ」


 芹は腕組をして鳥居の側まで行くと、おもむろに鳥居に手を当てて何かを唱え始めた。


 すると途端に鳥居だけまるで時間が遡っていくかのように、芹が手を当てた場所からどんどん木が蘇っていく。


「す、凄い……」


 ゴクリと目の前で起こっている光景に息を呑んでいると、鳥居はまるでついさっき建てたかのように朱色に輝き出した。


 私はそれを見て思わず拍手をしたが、隣の芹を見上げてギョッとする。


「せ、芹様! す、透けてます!」

「本当だな。だが仕方ない。今の私の状態でこれだけの神通力を使えば透けもするだろう」

「やっぱり力が弱まると透けるんですか?」

「そうだ。そしていずれ完全に消える。その時にただ消滅するのか荒御魂になるのかは私にも分からない。長年放置されていた事で力の回復も出来ぬままこの山を守っていたが、たったこれだけの力を使うだけで透けるとはな」


 自分自身に呆れるかのように呟く芹が何だか可哀想に思えて、私は透けている芹の手を取りその甲に口づけてみた。


 すると芹の体が淡く光り、先ほどよりも少しだけはっきりとする。


「手の甲でも良いのか。これは僥倖だな」

「みたいですね。でもやっぱり頬ほどでは無いみたいです」

「それは恐らく口が近いからだろう。精力を取り入れるにはやはり口が一番手っ取り早い」

「何かすみません」


 どれだけ言われてもやっぱり好きでもない人とのキスは無理だ。思わず頭を下げた私に芹は何て事ないように言う。


「いや、頬でもそこそこ回復した。これは巫女の力に由来するものだ。礼を言う」


 礼を言うという割には芹はちらりともこちらを見ずにもう一度鳥居を撫でてまた歩き始めた。そして私もまたその後を追う。


「本来ならここには麓とここを繋ぐ一本の道があった。今はもう枕木すら見えないが」

「微生物に分解されちゃったんじゃないですか?」

「ありえるな。ここへ来る時は迷ったか?」

「迷ったなんてものじゃ無かったです。どこも獣道みたいになってたので」

「そうか。ではやはり枕木はあった方が良さそうだ。もう少し回復したら直しておこう」

「! 直してくれるんですか!?」


 てっきり枕木を敷いておけと言われるのではないかと思っていたが、どうやら芹は直してくれるようだ。それを聞いて、私はホッと胸を撫で下ろした。


「また巫女が迷うと困るからな。それにもしかしたらこの道が消えたからここに誰も寄り付かなくなったのかもしれん」

「それはそうだと思いますよ。麓に立て看板一つ無いし、ナビにもこの神社の事は載ってなかったですし」

「ナビ?」

「はい。地図の事です。ここの住所入れてもざっくりと芹山としか書かれて無かったので、てっきり山小屋か何かがあるんだろうと思っていました」

「そうか……既に地図からも消されていたのか」


 落ち込むというよりは、どちらかというとただ事象を捕らえただけの芹に思わず私は首を傾げたが、とりあえず枕木は芹が直してくれるというので良しとしておく。

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