私、小鳥遊彩葉は天涯孤独だ。
ついさっき何もかも失ってしまった。両親も家もお金も何もかも。
そんな私に両親が唯一残してくれた物、それは――。
事の起こりは数時間前。
「彩葉ちゃんはほんと、しっかりしててママ嬉しいわ。もう会うこともないだろうけど、元気でね」
「それじゃあ彩葉、俺等こんなだから養育費は期待すんなよ。それから家の処分頼むな。残ってるもんはお前の好きにしていいから! ついでに家は今月末で立ち退きだから」
そう言って両親はとても良い笑顔でそれぞれのパートナーを連れて家を出て行ってしまった。
「嘘でしょ……」
そしてつい先程、今月中に立ち退かなければならなくなった我が家の前で呆然としていると、郵便配達のお兄さんが私の手に一通の封筒を押し込んで行ったのだ。
それは行ったことも聞いた事もない場所の固定資産税の振込通知だった。
確認の為に役所に電話して知ったのは、どうやら両親は私に謎の土地を残してくれたらしい。というか、押し付けていったらしいという事だった。
そして何だかよく分からないまま言いくるめられて固定資産税にバイトで貯めたお金を全て注ぎ込み、私は正真正銘の無一文になってしまった。
一応、思いつく限り手を尽くして親戚中に連絡をしてみたが、両親の蒸発を伝えた瞬間、全員に適当な理由をつけられて電話を切られてしまった。
「……世間って、世知辛い……」
そりゃそうだ。養育費も見込めないような娘を誰が引き取りたいと思うと言うのか。
とりあえず今月以降の寝る所と食べる物だけは確保しなくてはならない。奇しくもまだテスト休みで、その後すぐに夏休みだ。
役所の話では一応その土地に何かしらの建物はあるという事なので、ひとまずそれを信用して私はスマホや財布、そして数日間滞在する事を考えて最低限の荷物を詰め込んだスーツケースを持って、両親が残した場所を探すことにした。
電車を乗り継ぎ、そこからさらにバスに揺られる事一時間。
景色は灰色のビル街からどんどん畑と木々が生い茂る目が覚めるような緑に塗り替えられていく。
その景色に不安になりつつスマホを開いて行き先を何度も何度も確認しながらバスに揺られていたのだが、ようやく目的地についた時には私の精神はすっかり疲れ果てていた。
生まれてこの方ずっと都会暮らしをしていた私だ。こんなにも自然豊かで空気が美味しい場所など、遠足や学校行事でしか来た事がない。
バスから下りてスーツケースを引きずりながらスマホ片手にさらに歩き出したが、しばらく歩いた所でふと立ち止まった。
「ほんとにここ……?」
周りを見渡しても木、木、木。足元には草、草、草。つまり、完全な獣道だ。
スーツケースの車輪の部分には泥と石が詰まってしまって、もう転がりもしてくれない。
どんな建物が立っているのかは分からないが、きっと寝ることぐらいは出来るだろう。そう思ってここまで来たが何かおかしい。
不審に思いつつも進んでいくと、緩やかだが道が登り始めた。
スマホの地図上では目的地はこのまま真っすぐとあるが、地図を広範囲にするとそこにはしっかりと『芹山』と書かれている。
「……山?」
何かの間違いではないのか。そう思いつつも山を登り始めて30分。目の前に見えてきたのは薄汚れた鳥居だ。
私は今にも朽ち果てそうな鳥居を見上げて青ざめた。一応入口に置いてある大きな石には掠れてはいるが、かろうじて『芹山神社』と書かれている。
「じ、神社!?」
17歳になった途端、まるでそれを待っていたかのような両親の蒸発。そしてそんな両親が唯一残してくれたのは、どうすれば良いのかさっぱり分からないお化けでも出そうな廃墟みたいな神社。これは一体何の冗談だ。
「どうしたらいいの……」
元気だけが取り柄の私は珍しく泣き出しそうに顔を歪めた。
そんな私の頭上で一羽の大きな烏が一声鳴いた。それと同時に境内のあちこちで烏が騒ぎ出したかと思うと、突然その烏達が私に襲いかかってきたのだ。
「きゃぁっ!」
烏達は私に容赦なく襲いかかった。まるで突然やってきた余所者を排除するかのように。
どうにも出来なくなって思わずしゃがみ込んで頭を抱えた私の耳に、神社の本殿から冷たくて厳かな声が聞こえてくる。
「お前たち、ようやく戻った巫女に悪さをするな」
その声は不思議と脳内に響き渡るかのようだった。そしてその声を聞くなり烏達は怯えたように一斉に私から離れて行く。
恐る恐る顔を上げると、そこには見目麗しい着流しの青年がこちらを見下ろしている。
「最近の巫女は随分と軽装だな。さて、それでは今までここを放置していた経緯を私に聞かせてもらえるか?」
銀色に輝く長い髪をハーフアップに結った青年は腕組をしてそんな事を言うが、どう見てもこの青年は人間ではない。
人間と言うにはあまりにも美し過ぎるし、そもそも彼の輪郭はうっすらと透けていたのだから。
「お化……け……」
私はどうにかそれだけ呟いて、そのまま鳥居の真下で気を失ってしまった。
次に目覚めた時、私はどこか見知らぬ和室に寝かされていた。
枕元には小さな行灯が置いてあり、部屋の中は何かお香のような匂いがする。正に神社の匂いだ。
部屋の隅には和風の書棚が置いてあり、そこには筒状の物が沢山詰まっていた。
漫画や映画でしか見たことが無い光景に私は思わず起き上がって書棚に近寄り手を伸ばそうとすると、不意に後ろからまたあの声が聞こえてきた。
「ようやく起きたか」
「!」
その声に驚いて振り返るとそこには、今度は輪郭がはっきりとした先程の青年が居た。やはり透けているように思ったのは気の所為だったのだろうか。
そんな事を考えていると、青年は音もなく近寄ってきて今しがた私が伸ばした手に自分の手を重ねてくる。
「触るな。大事な物だ」
「ご、ごめんなさい」
穏やかだけど、どこか硬質な声音は少し怖い。思わず手を引っ込めた私に青年は能面のような無表情で静かに言う。
「私の名は芹。この社の主だ」
「……社の主? 宮司という事……でしょうか?」
「宮司ではない。主は主だ。自分で言うのも烏滸がましいが、人の言葉を借りれば神だな」
「か、神!?」
唐突すぎて突拍子も無さ過ぎる芹の言葉に思わず私が一歩後ずさってハッとする。もしかしたら神様に対して失礼な態度を取ってしまったのではないか。
そう思ったのも束の間、芹はそんな事など気にもしていない様子で私を覗き込んできた。
「それで、私の質問に答えてくれぬか」
「は、はい。この神社を今まで放置していたのは――」
私は今日の間に起こった事を洗いざらい芹に話した。嘘をついても仕方ないし、実を言うと私にもまだ何が起こったのかよく分かっていない。
こちらの言い分を全て聞き終えた芹は腕を組んで静かに頷いた。
「なるほど。事情は分かったが、つまりお前にもここが放置されていた理由が分からないという事だな?」
「そうです。両親は普通に会社勤めだったし、お祖父ちゃんとお祖母ちゃんは私が小さい頃に亡くなってるし……」
そこまで言って私は視線を伏せた。
芹は神様だと言うし、もしかしたら助けてくれるかもしれない。心のどこかでそんな淡い期待を抱いたのだが――。
「分かった。人間同士の小難しい話は私には荷が重い。つまりお前が今日からここで巫女をするという事で良いか?」
「え?」
言ってない。そんな事は一言も言っていない。
けれど芹の目は本気だ。夕焼けを思わせる赤色の綺麗な目には困惑する私がしっかりと映り込んでいるが、それでも芹の表情は揺るがない。
「この神社を引き継いだのはお前だ。お前からするこの血の匂いは間違いなく巫女の血統だろう。何よりもそのコテイシサンゼイとやらを払ったのもお前。おまけにお前は家無しで文無しなのだろう?」
「ま、まぁそれはそうなんですけど……」
私が巫女の血統? 今まで誰もそんな事は教えてなどくれなかったが。そう思いつつも芹の言う事は最もなので渋々頷くと、芹は満足げに頷く。
「では決まりだ。ここに住むと良い。その代わり、巫女になれ」
「……はい」
本当は抗議したいところだったが、生憎全て芹の言う通りなので抗議のしようもない。むしろ文無しなのに住む所を確保出来ただけでも有り難いと思うべきなのだろう。