あと三年……。
期間としては長いようで短い。
彼女は娘に何を教え、何を伝えたいのだろうか?
…
東北から戻り、いつもの生活に戻った次の日――。
仕事から帰って家で寛ぐ時間になると、彼女は腕を組んで俺のソファーの対面に座り、話し掛けてきた。
「一番は嘘を見抜けるようになることね」
もう、語るまでもあるまい。彼女の娘の話だ。
俺との会話は説明内容が大分短縮され、話の前振りなどデフォルトで省略されるのが当たり前になっていた。
「で、何で嘘を見抜くなんてことが一番になるんだ?」
「私の憎しみの根幹に娘を騙し取られた経緯があるからよ」
「またそんな昼ドラのようなドロドロとしたものから生まれた思いつきか……」
彼女の根幹にあるのはくだらない人間のしがらみだったり、裏切られたことである。最初に人の本質――性格や欲を見極めることを重要視したいのも分からなくはないのだが……。
「そのスキルはほとんど身についているんじゃないか? 俺のところに来る二年間、嘘を見抜いて大暴れして、転々としていたんだろう?」
「私はね」
「いやいや、娘の方も昼ドラを理解できている時点で素質十分だろう。昼ドラなんて、ドロドロとした嘘を視聴者が分かってナンボの話じゃないか。しかも、君の娘はそれだけに留まらず、いびる立場の『姑になりたい』とか言ってんだよ? 嘘を見抜くよりも本性を隠すスキルを徹底しなよ。俺は、小学校で君の娘が友達相手に昼ドラ展開を実施しないか不安で仕方ない」
彼女は視線を斜め下に向け、フッと鼻で笑う。
「この前、掃除の時間にこんなことがあったわ」
「どんなこと?」
「窓枠を指でなぞって、娘が友達に注意したの」
「まさか……」
この定番の動作は直ぐに脳内で再現して映像化できる。
「『由美子ちゃん、この埃は何なの? わたくし、窓掃除をお願いしたわよね?』……って」
「本性、だだ漏れってるな……」
彼女は両手を軽くあげる。
「まあ、昼ドラジョークってことで、その場は一緒に掃除をして終わったけどね」
彼女の娘は末恐ろしいな。もう化け始めてんのか……。
「やっぱり、その危ない本性を隠すことを優先した方がいいんじゃないか?」
「そうね。いつまでも昼ドラジョークで誤魔化し切れるものじゃないものね」
そのジョークが本当に通用しているのか、気になるところでもあるが……。
「まあ、しかし……。クラス中の女子のほとんどに昼ドラがブームになっていれば、隠す必要もない――」
「そんな混沌としたクラスは何処にもないわよ。ごく普通の小学生だったわよ」
「……あ、そう。じゃあ、猫を被って隠す方向で」
「そうするわ」
彼女はメモを取りだし、『娘の本性を隠すこと』とメモを取ると、書いていたペンのお尻で額を掻きながら話を続ける。
「ここら辺は、私と娘の相性はバッチリだから時間を掛けずに覚えさせられるわね。あと必要なのは、一人で生きていける力……その具体案かしら?」
「例えば?」
「炊事洗濯の習慣は覚えさせたいわね」
何というか……一昔前の発想だな。今の時代は温いから、そこまで徹底している親も少ない。
「(君にしては)いい考えだな」
「そうでしょう。知識や友達とのコミュニケーションは学校で覚えさせればいいし。あとは――」
あと? 他に何を身につけさせるんだ?
「――戦闘力を」
「ちょっと、待て」
彼女は首を傾げている。
「戦闘力って、何だ? 君は自分の娘を格闘家か何かにするつもりなのか?」
「そこまで極めさせるつもりはないわよ。でも――」
彼女は深刻な顔で視線を虚空に向ける。
「――うちの子って、可愛いじゃない? 変な男が寄り付かないとも限らないでしょう」
凄いな。世の中の親っていうのは、自分の子供に対して、ここまで狂えるものなのか……。
俺は突っ込んだら負けの精神で話を続ける。
「で、その戦闘力というのは、どのぐらい極めるつもりなんだ?」
「まず腹筋が完全に割れているのはNGね」
当然だ。そんな肉体を強化された凶悪生物とは、俺も一緒に住みたくない。
「技術うんぬんを抜きにして肉体の強さだけで言うと、私の理想としては適度に絞れていて、お腹に薄っすらと縦筋が出るぐらいが丁度いいと思うの」
「モデルにでもする気か?」
「それもいいわね」
持ち上げれば、何処までも際限なく上がっていくな。彼女のにやけ顔が止まらない。
今の彼女は完全に舞い上がっている。余計なことを言っても、素敵に頭で変換されるだけで会話にならない。会話にならないから、本来の話に軌道修正して強引にでも進めよう。
「で、その目にかなった格闘技は?」
「ん?」
「だから、君の娘に覚えさせる格闘技だよ」
彼女は我に返ると、腰に左手を当てて答える。
「合気道よ」
「合気道? 理由は?」
「やっぱり、どんなに鍛え上げても男には敵わないわ。だったら、相手の力を応用する合気道が最適だからよ」
なるほど。それは良いかもしれない。
「で、それをどうやって覚えさせるんだ?」
「ネットでスクールを調べられるでしょう? 送り迎えは、貴方がして」
俺に対して本当に遠慮がないな、この女は。合気道の道場だか塾だか知らんが、そんな都合よくやってるのか?
彼女は腕を組み、頷く。
「まあ、今のところ思いつくのは、こんなところね。あとはやってるうちに課題が出てくるでしょう」
「だけど、三年で覚えさせるにはハードル高くないか?」
「いいのよ。三年で全部覚えなくても」
「どうして?」
「娘が切っ掛けを覚えて、継続することを覚えてくれさえすればいいのよ」
「なるほど」
彼女は、よく考えている。自分が全てを教え込めないこともしっかりと理解している。
「しかし、その計画を無責任な俺に話して意味があるのかね? 俺は何の役にも立ちそうにないぞ?」
「立つわよ。私達がすることには、必ず貴方が参加することになるのだから」
「は? 何で?」
「娘のためだからよ」
俺の参加が、どういう理由で娘のためになるのか分からない。
彼女は自分の胸に右手を置くと説明を始める。
「思い出は娘と私と貴方……三人で共有するの。そうでないと、私が居なくなったあと、娘は思い出を語る相手が居ないでしょう?」
「後々、娘が思い出を語る相手が居ないと困るから、俺の強制参加が確定しているのか……」
彼女は頷く。
「その通りよ。――でも、貴方もしっかりと楽しんで」
「俺も?」
彼女は頷く。
「そうじゃないと意味がない」
「どうして?」
「私も、ここに居て楽しかったっていう思い出が欲しいからに決まっているでしょう」
何という身勝手な理由だ。しかも、それを強制させようとは。
まあ、しかし……。
「巻き込むのが変人の特権で、俺はそれを面白いと思う人間である以上、逆らう理由はないな」
彼女は呆れて溜息を吐く。
「反対しないのね……。こんなに扱い易い男は初めてだわ」
「そうか?」
「ええ。男が言う通りにならないで、本当に死ぬ思いをした、私の苦労は何だったのかしらね?」
「巡り会わせが悪かったんじゃない?」
「そういうことにしておくわ」
彼女は溜息を吐いた後で、拳を振り上げる。
「兎に角! 明日から気合い入れて娘の教育を始めるわ!」
「おお」
俺は彼女のガッツポーズに拍手した。