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第15話

 半年振りに訪れる、東北の霊媒師のおばさんの家――。

 一軒家はあの時と変わらない佇まいで、インターホンから返ってくる声も変わらない。

 霊媒師のおばさんは、俺と彼女を家に上げて和室に通すとお茶を出してくれた。

「驚いたわ。何をしたら、そういう風に霊を大人しくさせてあげられるの?」

「好き勝手に昼ドラを見せ続けると悪霊から毒気が抜けて、こうなります」

 霊媒師のおばさんは疑いの目を俺に向けている。

 しかし、事実、彼女は好き勝手に娘を育て、昼ドラを好き勝手に見続けていただけだ。

「嘘じゃありませんよ?」

 胡散臭い俺の言葉に対して、霊媒師のおばさんが彼女に目を向けると、彼女は目を閉じたままお茶を啜り、頷いた。

「その人が言ったように、ほぼ事実です。お陰で娘との入れ替わりも自由に出来るようになりました。今ではしっかりと義務教育を受けることも出来ています」

「そんな方法で、本当に悪霊と共存していたのね……」

 霊媒師のおばさんは呆れた目で俺を見たあと、やがて笑みを浮かべた。

「彼女は、もう悪霊ではないわね。完全に邪気が抜け切っている。あなたには霊媒師の素質があるのかもしれないわ」

「偶々ですよ。他の霊が憑いていたら、九割の確率で怒らせて霊の症状が悪化します。それこそ、ただの悪霊が大魔王になるぐらいにね」

「その通りよね」

 俺達の会話に霊媒師のおばさんは可笑しそうに笑い、彼女がただの霊に戻ったことに安心したようだった。

 霊媒師のおばさんはお茶を啜り、一拍置く。

「これで大事なお話が出来るわね」

 霊媒師のおばさんは彼女に向き直ると、ゆっくりと話し始めた。

「悪霊としての格が落ちたということは、あなたの娘さんを縛り付けないことでもある。あなたは娘さんの体から出て行くことも、考えているのではないのですか?」

 彼女は静かに霊媒師のおばさんへ目を向け、湯飲みを置いて頷いた。

「遠くない未来で……。きっと、娘が思春期に入る頃だと思っているわ」

 この話は、彼女が俺にも話してくれたことがないものだ。女同士で、かつ、無神経ではない人間だからこそ、話すことが出来る内容なのだろう。

 彼女は続ける。

「無邪気な子供の頃なら気にも留めないだろうけど、思春期に入れば知られたくない自分の秘密を持つようにもなるし、友達と自分が違うことに違和感を持つようになる。そうしたら、娘から離れなければならない。彼女だけの人生を返してあげなければならない」

「……そこまで思っていてくれたのね」

 霊媒師のおばさんは彼女の両手を握った。

「母親として辛いことね」

「だからこそ、それまでの間にしっかりと覚えさせなくちゃいけない。生きていくのに必要なことや私の犯した過ちのことを」

「そうね。ええ、その通りだわ」

「そして……出来るなら、私を忘れないように――」

 彼女は泣いていた。気楽な俺と違い、彼女はしっかりと娘の将来のために別れを考えていたのだ。一緒に居られる時間は、ずっと短いことも理解していた。

 今年で十歳になる彼女の娘は、自分というものをしっかりと分かり始めていた。言葉遣いも幼さが少しずつ抜け始めている。中学生になる頃には、大人となる第一歩を歩み始めるだろう。

 時間にすれば、二、三年の猶予しかないのだ。

「あなたを縛り付けているものが弱くなっているわね。あなたは、もう自分の意思で娘さんから離れられるんじゃないの?」

 彼女は無言で俯くと、静かに頷いた。

「……分かってる……」

 霊媒師のおばさんは彼女から俺に目を移して訊ねる。

「その時が来たら、あなたはどうしますか?」

 既に色んなことが分かっている二人と違い、俺だけが分かっていない。既に覚悟を決めていた彼女と比べて、俺だけが覚悟が出来ていない。


 ――ならば、思い付きで答えるしかないではないか。


 俺は頭に思い浮かんだことを口にする。

「彼女を彼女の娘の守護霊にすればいいんじゃないですか?」

「は?」

「いや、だから、おばさんの眠れる霊媒師の力を呼び起こして、彼女が彼女の娘から離れた瞬間に捕まえて、『エイヤ!』の掛け声のもとに守護霊にしてください」

「……そんなこと出来るわけないじゃない」

 霊媒師のおばさんは額を右手で押さえて項垂れた。

「霊媒師って使えませんね?」

「あなたは霊媒師をなんだと思っているのですか……!」

 あの温和な霊媒師のおばさんが拳を握っている。

 その霊媒師のおばさんに対して、涙を拭ってぶっきら棒に彼女が付け加える。

「その人、あまり考えていないから気にしない方がいいわよ。私にも同じように勝手なことをよく言うし」

 棘のある彼女の補足に、俺は異を唱える。

「いや、適当に言ったわけじゃないんだ」

「本当に?」

 疑いの目を向ける彼女に頷き、俺は霊媒師のおばさんに顔を向ける。

「守護霊って、一人に一体ってわけじゃないですよね?」

「え? ……ええ」

 彼女が俺の左腕の服を引っ張る。

「どういうこと? ちゃんと説明して」

「守護霊っていうのは、複数人が憑くこともあるんだ。例えば、有名なスポーツ選手には闘争心の化身である侍と勝利の運気を齎す王様の霊が守護霊として憑いていることがある」

「そういうこともあるの?」

「ああ。そして面白いのが、その国籍が統一されていないことなんだ。一説によれば、前世に関わりを持っていた者が守護霊になったという説や縁のある人が死んでその人に憑いていた守護霊が移ってきたという説とか」

 俺は右手の人差し指を立てる。

「そう考えると、守護霊になる条件は高くない。ほとんど無いようなもんだ。幾らでも憑いていいし、何処の誰でもいい。まあ、そこに憑く人間との関係が必要になるかもしれないが、親子なら関係もバッチリだろう。あとは守護霊になる方法だけだ」

 俺は霊媒師のおばさんに視線を移す。

「そうなると、おばさんの力でしょう? 霊にとり憑かれ易い体質の人は、強い守護霊を入れてとり憑かれ難くする治療もあったはずだ」

 彼女と霊媒師のおばさんが意外そうな顔で驚いている。

「ちゃんと調べていたのね……」

「本当……」

 失礼な奴らだな。俺だって、彼女が悪霊としてとり憑いていると知ってから、テレビやネットを見て、それっぽいのは調べて記憶している。

 積極的にではないが……。

「まあ、そんなわけで霊媒師の力を頼りにしてます」

 俺の説明が終わると、彼女は噛り付くように霊媒師のおばさんに迫った。

「彼の言ったことは出来るの?」

「出来なくはないけど……わたしには無理なのよ。わたしは霊との交信しか出来ないわ」

「じゃあ、以前言っていた、組織というのに頼むのは?」

「組織が元悪霊を守護霊にするために力を貸してくれるはずないわ」

「……私は滅却される立場の方だったわね」

「「う~ん……」」

 唸りながら彼女と霊媒師のおばさんが悩み出すと、俺はお茶を啜り、何か良い案が浮かぶのを待つことにした。霊でない俺には霊の感覚的なものなど分からないし、霊媒師のおばさんみたいに持って生まれた力もない。

 最悪、抜け出て浮遊霊にでもなったら、彼女の娘の周りを飛び回っていればいいんじゃないだろうか?

 だけど……。

「抜け出てしまうと話せなくなってしまうから、それは……寂しいか」

 俺の独り言に、彼女が不思議そうに訊ねてきた。

「どうしたの?」

「折角、気の合う人と出会ったのに、君が娘から抜け出てしまったら話すことも出来ない。それが無性に寂しく思えてね」

「……そういう風に思ってくれたのね」

「君に体があって、歳相応ならプロポーズしてもいいよ。今なら」

 冗談ともとれる俺の軽口に、彼女は満足気に笑って見せた。

「私をそこまで惚れ込んでくれたのなら、安心して貴方に娘を任せられそうだわ」

「いいのか?」

「ええ、私の大事にしていたものを無下に扱うはずないもの」

「無下に扱う方が面倒くさいだけだよ」

「貴方らしい解釈ね」

 俺は、お茶を啜る。

「俺にも霊媒師のおばさんみたいな力があれば、君が娘から抜け出ても話せるのにな」

 突いて軽く出た俺の言葉を聞いて、霊媒師のおばさんの顔が厳しくなる。

「霊と話せるというのは、そんなに簡単なものではないのよ。この世に留まる霊というのは、強い想いを残している場合が多いの。彼らは自分を主張することがほとんどで、わたしの話を聞かせるまでのやりとりは根気の要ることなの。それにわたしが話しの分かる人間だと知れば、勝手に押し掛けもするのだから」

「つまり、見えたり聞こえたりしない方が幸せってことですか?」

「その通りよ」

 死んだ者の住む世界が見えるというのも、あまり良いものではないらしい。特にその死者というのが強い想いを残しているなら、その自己主張を貫こうとするのは当然なのかもしれない。

「面倒くさいもんなんだな、霊媒師って」

 俺が溜息を吐くと、彼女がポツリと溢す。

「でも……娘から抜け出るということは、確かに貴方との会話が出来なくなるということでもあるのよね」

 彼女の目は寂しそうなものだった。

「どうしたの?」

「私も貴方と話せなくなることを考えたら……少しね」

 生前、彼女は夫に会話を制限されて生きてきた。

 だから、俺という話の通じる相手が出来たのは、久しぶりだったのかもしれない。

「二、三年っていうのは長いのかしら? それとも短いのかしら?」

 彼女は、そう呟いた。

「濃い薄いで決まるんじゃないのかな。十年二十年掛けて思い出にすれば長く感じるだろうし、その十年二十年掛けて思い出になるものを三年の間に濃縮すれば、振り返った時に短いと感じると思う」

「じゃあ、私は短かったと思える思い出をこの子に残してあげればいいわけね?」

「残していけそう?」

 俺の問い掛けに、彼女は自信を持って頷いた。

「残せるわ。それは、今までの時間が証明している。私の中にある思い出が、短くて特別なんだもの」

「じゃあ、安心だ」

「ええ」

 その言葉が彼女を決意させたのかもしれない。

 彼女は霊媒師のおばさんに向き直る。

「この子が小学校を卒業して直ぐに、私は、この子の体から出て行くことにします」

「あなたが守護霊になる件は、どうするの?」

「娘に霊障が起きるようになったら、私を守護霊でも何にでもしてください。私は娘の側にいつも居ますから」

 霊媒師のおばさんは快く頷いてくれた。

「その時は、お約束します。組織の方は、わたしが責任を持って説得します」

「ありがとう」

 彼女は心残りの一つを消すと安堵の顔を浮かべ、俺を見る。

「あと、三年。私にしっかりと母親をやらせて」

「あと、三年。しっかりと俺を飽きさせない生活をしてくれ」

 彼女が微笑んで頷くと、霊媒師のおばさんが話し掛ける。

「あなた達はいいコンビね。素敵だわ」

「ええ、短い人生を終えた後で、最高のパートナーを見つけたわ。今が一番充実していると思う。――でも、この今も、後々には一番ではなくなるのかもしれない。そういう期待が、私の胸の奥にはある」

 霊でありながらも、彼女は何処までも前向きだった。

 そんな彼女の積極性がとても眩しく思える。

 本当に俺は、生前の彼女と出会っていれば、彼女にプロポーズをしていたかもしれない。

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