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第12話

 東北から関東に戻り、俺と彼女、そして、彼女の娘の生活が再開した。

 数日経ったが、今のところ、生活のスタイルに主だった変わりはない。俺は仕事に出掛け、彼女は学校に出掛ける。帰ってきたら他愛のない会話をして一日が終わる。

 しかし、ただ一つ、どうでもいい大きな問題が出来たことは認める……。

「何だ、これは?」

 俺が眉間に皺を寄せている原因はテレビを録画するハードディスクレコーダーだ。キーワード録画により、必要な情報を収集する癖のある俺は、二、三日ハードディスクで録画内容を溜め込んでから見る習性がある。録画する理由は、CMを飛ばすことと気に入らなければボタン一つで削除できることが挙げられる。

 そのためのハードディスクレコーダーなのだが、その記憶容量が著しく減っているのである。

 容量を食いつぶしているのは彼女の趣味に他ならない。

「学校に行っていて見られない、ケーブルテレビの昼ドラよ。だって、主婦だし」

 外国人のクセに、こんな日本のババアが煎餅齧りながら見るようなものを嗜むのか、コイツは。

「俺、こういうの大嫌いでハードディスクに残したくないんだけど……」

「じゃあ、昼ドラ専用の外付けディスク買ってよ。USBで2テラバイトの」

 何処でそんな知恵をつけやがった。

 この家に来たばかりの時は録画もロクに出来なかったくせに……。

「貴方はどうか知らないけど、それは私の活力源なの」

 こんなドロドロとしたものがエネルギー源なのか……。

 彼女はうっとりとして両手を握る。

「他人の不幸を見ると安心するのよねぇ……。姑にいびられたり、愛人なんか出来たりして家族が崩壊したりするのを見ると」

 その昼ドラのようなど真ん中を進んだ結果、自分が娘にとり憑いているって分かっているのだろうか?

「もういい……」

 放っとこう……。俺の帰宅前に見終わってるから、俺の自由時間に食い込まないし……。

 お互いが干渉しないなら、好き勝手してもOKというのがルールだ。娘第一主義の彼女は、娘の健康のために夜更かしもしない。俺の自由は侵されないから文句も言うまい。

「だが、2テラバイトのハードディスクだけは買わねば……」

 昼ドラに上書き録画されるのだけは避けたい。

 俺は彼女との円満な生活のために、次の休日は外付けディスクを買いに行くことにした。


 ――そして、そんなどうでもいい彼女の趣味の一つが分かってから一ヶ月が過ぎた頃、事件は起きる……。


 …


 ある日の夜――。

 俺は彼女に重要な話があると、相談を受けることになった。

 時間は夜七時。仕事から帰宅し、風呂と夕飯を済ませた頃である。

「問題が発生したわ」

 俺は『藪から棒に何を言っているんだ? この女は?』と思ったが、相談する彼女の顔がいつになく困った表情で険しかった。


 ――霊媒師のおばさんに会って以降、順調だった彼女に何かあったのか?


 俺は彼女に話し掛ける。

「問題なんてないんじゃないのか? 娘との入れ替わり時間も、日に日に増えてるんだろう?」

「ええ」

「学校の成績も『さすが私の娘だわ!』って言ってたじゃないか」

「そうね」

「じゃあ、問題っていうのは?」

 彼女は一枚の紙をテーブルに置いた。

「何だ、これ?」

 俺は彼女の置いた紙を手に取る。

 それは懐かしい作文用紙だった。筆跡を見ると、真っ直ぐな線を書けずに少し歪んでいるので、彼女ではなく彼女の娘が書いたのだろう。

「よかったじゃないか。ちゃんと入れ替わってる」

「ええ、そうね……」

 俺は首を傾げる。

 娘と入れ替わりが出来ない以外に、何の問題があるのだろうか? それ以外は、彼女の中で娘と対話して解決できる問題がほとんどのはずだ。

 彼女は重々しく口を開いた。

「問題は内容よ」

「内容?」

 俺は読み上げる。

「『わたしの家族について』」

 なるほど。こんな題名の作文を書かせた先生に怒っている、ということか。

「この先生、君の娘が両親いないって知ってて書かせたんだな」

 道理で、彼女が問題視するわけだ。

「いや、そうではなく……」

 彼女は視線を外して右手で待ったを掛けていた。

「ん?」

「先生はちゃんと気遣って、娘には『違う作文にしようか?』って相談したわ」

「じゃあ?」

「それでもいいって書いたのは、娘なの」

 俺は疑問符を浮かべる。

 彼女の娘が進んで書いたというのが解せない。

「悩む原因が分からないから、続きを読むよ」

 俺は再び彼女の娘の作文を音読した。

「『わたしのお父さんとお母さんはいません。二人はさいしょのお母さんが殺しました』」

 俺は思いっきり吹いた。

「何だ、これは⁉」

「だから、相談しているのよ!」

 彼女はテーブルを叩いて声を上げたあと、突っ伏した。

 しかし、ちょっと待て。何で、こんなことを平気であの子は書けるんだ? あんな小さい子が精神的な耐性を持っているわけないだろう。

 俺は、更に続きを読む。

「『父は酷い男だったわ。わたしに乱暴をして、毎日のように暴力を振るった。義理の母は見て見ぬフリをするだけ……。わたしの心は疲弊し、徐々に心が空っぽになっていった。だけど、たった一人、わたしに手を差し伸べてくれる人が居た――それが別れた母だった』……って、これ、そのまま昼ドラのナレーションじゃねーかっ!」

 彼女は突っ伏していたテーブルから勢いよく顔を上げると叫んだ。

「そうなのよ! あの子、私の趣味に毒されて、作文でこんな完璧な家族事情を書き上げてしまったのよ!」

 一ヶ月前に判明した、彼女の趣味の影響がこんなところに……。

「俺のことも書いてあるのか?」

 俺は彼女の娘の作文を流し読みし、俺のことが書かれたところの文章を読み上げる。

「『今、わたしは母の愛人と一緒に暮らしている』……愛人って、オイ」

 待て。そういえば、すっかり忘れていたが、彼女の娘が最初に出てきた時に、俺を『愛人のおじさん』と言ってなかったか?

「あのさ……」

 俺が彼女を見下ろすと、彼女は顔をあげて視線を合わせた。

「娘の体に入って、二年間ずっと昼ドラ見てただろう……」

「当然よ! 昼ドラの再放送だけが私の唯一の慰めだったんだから!」

 親戚の人間が彼女を追い出すわけだ……。日本の何処に金髪の小学生が昼ドラを見続けるなんて混沌空間がある……。

 俺的には、どうでもいい空気が漂う中、仕方なしに彼女に聞いてみる。

「で、どうすんの?」

「娘を普通に戻すのよ!」

 無理だろう……。二年間で、お前の洗脳は無駄に完璧だ……。

「おかしいと思っていたのよ! ままごとする時に『芳江は隆志の浮気相手だ』なんて言い出すんだもの!」

「その時点で気付いて手を打っとけ……」

 この金髪の少女の中で、一体、母と娘はどんな遊びをしているのか?

「……簡単に言うと、娘がおばちゃん化したってことか」

「言わないで――っ!」

 彼女は耳を塞いで絶叫し、頭を振って悶絶する。

「ど、どうすれば……⁉」

「まず、昼ドラ見るのからやめたら?」

「何…ですって……?」

 ギギギギ……と、彼女の顔がこっちへ向く。

 いや、そんな世界が終わるような顔されても困るんだけど……。

「それは出来ないわ! これから夏江の姑への復讐が始まるんだから!」

 俺は腕を組んで溜息を吐く。

「昼ドラが子供の教育にいいわけないだろう。外国人なんだから、それっぽいの見ろよ。『HAHAHAHAHA!』とかって陽気な副音声が流れるヤツ」

 彼女は不機嫌そうに腕を組んだ。

「貴方、外国人全般を馬鹿にしているの?」

「向こうは単純な構成のハイテンション番組ばかり流れてんじゃないのか? 無駄に爽やかな兄ちゃんが出てきて、『ワーオゥ! 見て、この驚きの吸水力!』みたいなノリのが」

「そんなのは極一部よ!」

「そうなのか?」

「そうなのよ!」

 俺は顎に右手を当て、外国の映画のいくつかを思い出す。

「まあ、そうか。向こうの方にも落ち着いたドラマもあるわけだし」

「その通りよ」

「でもさ、そこまで外国人の番組を否定されて怒るんなら、それなりに愛着があるわけだろう? 日本の昼ドラなんて見なくてもいいじゃないか」

「それは大きな間違いよ……」

 彼女の目は座っていた。

「向こうのテレビの嫉妬はね、ストレートなの。手が出て殴り合いになるし、ナイフで人も刺すわ」

 その外国人の血が流れてるから、こうなっているのか……。

「だけどね、日本の昼ドラは陰湿なのよ。逆らえないことを知っていて執拗にネチネチと嫌がらせを繰り返し、主人公の精神を徐々に侵していくの。正直、最初はまどろっこしいと思ったわ。……だけど、今はそれが凄くいい」

 彼女は何かに陶酔している。

「あのキレるかキレないかの間を行ったり来たりして、家族が崩壊していくのを見るのが癖になるのよ」

 歪んでやがる……。カルチャーショックが嫌な方向に開花しやがった……。

「昼ドラと出会うのが遅すぎたわ……。もう少し早く出会っていれば、私も殺人なんて手段を取らなかったはずなのに……」

 その時は、どういう報復をするつもりなのか。

 俺は呆れ気味に言う。

「何で、法よりも昼ドラの方が殺人防止の抑止力が強いんだ? 昼ドラを知っていれば、殺さなかったってことだよな?」

「多分、日本文化の結晶だからだと思う」

 あんなものが日本文化の結晶だなんて、俺は認めない。

「兎に角!」

 彼女がテーブルを叩いた。

「私が昼ドラを見つつ、娘が普通の考えを持つ方法を考えないといけないのよ!」

 どうやら昼ドラを見ないという選択肢は完全に却下の方向らしい。

「もう諦めたら?」

「諦めないで!」

「別に昼ドラが趣味の小学生が居たっていいじゃないか」

 彼女は俺に右手の人差し指を向ける。

「本当にいいの? 貴方、娘に母親の愛人扱いされているのよ?」

「君の娘が、そう呼んでいたのは昼ドラの影響だったのか……。だけど、まあ、俺の知らないところで、俺がどう思われようが何の影響もないから気にならん」

 彼女は額に右手を当てる。

「役に立たないわね」

「君に言われたくない。そもそも、君の趣味が原因じゃないか」

「……それは置いといて」

 置くな。

「どうしたもんかしらね」

 彼女は腕を組んで溜息を吐いた。

 面倒くさいな。こんなことを延々と相談されても困る。俺なりの意見を先に吐き出しておこう。

「あのさ、考え過ぎているようだけど、それは君の娘の個性だよ」

「……個性?」

「そう。確かに親としては娘の趣味は心配かもしれない。だけど、君が昼ドラを見るのをやめられないように、娘の方にも趣味趣向はある」

「一理……あるわね」

「良い風に考えるんだ」

「と、言うと?」

「親子で同じ趣味を持っている」

「……なるほど」

 もう一押しか?

「無理に力で押さえつけない。抑圧された感情の先に何が起こるかの悲劇は、君自身が分かっているはずだ」

「確かに……」

「だったら、それを受け入れて認めるしかない」

「……そうね」

「だから、普通で居させたいと思うなら隠せばいい」

「隠す?」

「要は、バレなきゃいいんだ」

 彼女は顎に右手を置く。

「……そうしようかしら?」

 俺は頷くと、やっと話が終わったと息を吐く。これで面倒くさい話からも解放される。

 しかし、話はまだ終わってないらしい。彼女が後ろに手を回して妙な笑顔で話し掛けてきた。

「ところで、貴方は面白いことが好きだって言っていたわよね?」

「言ってたよ」

「すこ~し……朗報があるのだけど」

「いいね」

 くだらない相談ごとに乗ってあげたんだ。それぐらいの見返りがあってもいいだろう。

「少し早い親子面談をする気はない?」

「それは面倒ごとだろう」

「いや、まあ、その、そうなんだけど……」

 どうも彼女の歯切れが悪い。

 彼女は後ろから、もう一枚紙を取り出した。

「さっきの作文のせいで学校から呼び出しが……」

「オイ……。あれは提出前のものじゃないのか?」

「出した後よ」

「何で、止めないんだよ!」

 俺の抗議に一歩後退し、彼女は言い訳をする。

「親の立場から見ると難しい漢字も使っているし、文もしっかりしていたから……」

「文面で気付かないか?」

 彼女は髪を梳かし、視線を虚空に向ける。

「……同じ昼ドラ好きだから、注意されるまで気付かなかったわ」

「…………」

 この人はダメな人かもしれない……。娘の教育をさせちゃいけないのかもしれない……。

 他人事ながら、彼女の娘の将来が無性に心配になった。

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