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第11話

 宿に向かう途中の道で、彼女はそっと俺に寄り添った。

「ありがとう……。感謝しているわ……」

「どうしたの?」

「私は悪霊よ。自分では否定したいけど、あの霊媒師のおばさんが言ったのなら、私は悪霊なのでしょう。それを受け入れると、貴方は言ってくれた」

「そんなことか。俺は君が変な人だから手伝ってるだけだよ。これからも変な人であり続けてくれ」

 彼女は可笑しそうに笑っている。

「こんな妙な口説き文句は初めてだわ」

「口説き文句か?」

「ええ……」

 彼女は、また笑っていた。

「じゃあ、貴方の期待に応えるために、私に何が起きたかを話してあげるわ。幼くても娘は、私が人を殺していることを理解していたみたいだし」

 そんな笑顔で話すことではないが、何となく彼女のしたいことは分かる。

「娘主義だもんなぁ……」

 彼女も、俺が悟ったのを理解したようだ。

「その通りよ。私の考えが世間一般の考えから離れていることを娘に理解させないといけない。これをすると、まともな人生を歩めないから我慢しないといけない……ってね」

「それを理解させるために、俺と会話をするのか?」

「そんなところ。あと、貴方を信頼するために――」

 彼女は俺に対して、少し穏やかになった気がした。

「――そうしないと、娘と入れ替われないものね」

 が、勘違いだった。彼女は娘第一主義の彼女のままだった。

「何処から話そうかしらね……」

 彼女は俺の勘違いに気付きもせず、自分の過去を話し始めた。

「私と夫はね、大学に通っていた頃に知り会ったの。夫から私に声を掛けてきて、外国の留学生だった私と御付き合いをしたい……って」

「その頃、どんなんだか分からないけど、綺麗な人だったんだろうね」

「何故、綺麗だなんて分かるの?」

「いや、こんな変な性格の人に声なんて掛けないだろう? だったら、見た目が良かったんじゃないかって――」

 彼女の蹴りが、俺の左膝に炸裂した。

「貴方は、本当にどうしようもない性格をしているわね!」

 彼女は舌打ちすると話を続ける。

「当時は猫を被っていたから、私の本性を知る人間は居なかったわよ。それに付き合いをする以上、私の性格なんて徐々に分かるはずでしょう? 夫は、それでもいいからって、私と結婚したの」

 彼女は目を伏せる。

「……でも、貴方の言っていたことは正しいわ。夫が欲しかったのは見た目の綺麗な奥さんだった。気にしていたのは周りの目……。外国人の綺麗な奥さん、自分に従順な奥さん、見栄のために近所の人達との会話をするのも制限をつけていたわ」

「理想の妻を持っているって、周りに自慢でもしたかったのかな?」

「多分、そういうことだと思う。……そして、私も段々と嫌気が刺してきてね。夫の理想の奥さんから離れ出したの」

「それは仕方がないんじゃないか? 考えただけでも気持ち悪いよ。会話まで制限させるとかって……」

 少しぐらいの体面を気にするのはありだと思うが、限度というものがある。そして、俺が彼女に同情的になっているのに気付く。思い当たる理由は、俺自身にも他人からの押し付けを経験したことがあるからだろう。父の葬式の時の父方の親戚の態度は、今のくだらない俺を形作る要因の一つを刻み込んだ。

 父方の家系は、本当にくだらないことに固執する奴が多かった。母方の家系は、至って普通なのに……。今思えばだが、俺の父親は一族の中でも例外だったんだと思う。親戚の集まりに呼ばれることもなかったし、親戚を呼びもしなかった。だから、母が喪主で行なった葬式で分かった父方の親戚の行動は、父親の性格と真逆で心底辟易とした。俺と母は、その親戚に二度と関わりたくなく、連絡先を親戚へ告げずに引越しをして、今の住居に住むことになったぐらいだ。

 ……と、俺のことは兎も角、今は彼女の方である。

「それにしても、よくそんな男が社会に適合できてたな?」

 彼女は軽く笑って答えた。

「世間体を気にする一族の男だったからね。社会に溶け込むのは得意なんじゃない? 張ってた見栄を相手に見せ付けるには、良好な関係を築いておかないと見せびらかすことが出来ないもの」

「君の旦那は、そういう凝り固まった性格をしていたのか……」

 溜息を吐く俺を見て、彼女は頷いて続きを話す。

「やがて我慢の限界がきた私は夫と別れることになる。その時、娘の親権を巡って大いに揉めたわ。……結局、外国人の私は日本で娘を育てられないって裁判で負けて、親権を取られちゃったけどね」

「そういう流れだよな」

「別れる時、さんざんと念を押したわ。娘を引き取る以上、しっかりと育てることと絶対に寂しい思いをさせないことをね」

 彼女は暫くそのまま無言で歩き続けたが、徐々に目を吊り上げていった。

「だけど……! 別れた夫は、私との約束を果たさなかった! 言うことを聞かないと娘に手をあげて、再婚した後妻も同じように娘に手をあげた!」

「何処で知ったんだ? そんなこと?」

 彼女は大きく息を吐き出し冷静になると答える。

「裁判では親権を放棄する時に条件が付けられていたの。半年に一回だけ娘と会えるという条件がね」

「つまり、その日に気付いたのか」

「ええ」

「家庭内暴力を相談しているとこに相談しなかったのか? 弁護士とか家庭裁判所?」

 彼女は不機嫌を顔に浮かべながら答える。

「そんなことを考える暇もなかったわ。本来の私が激情型なのを知っているでしょう?」

「ああ。今日、知った」

「プッツンしててね。直ぐにアイツらの抹殺を考えたわ」

 俺は呆れて溜息を吐く。

「その抹殺方法で自分が死んでたら、元も子もなくないか?」

「気付いたのは死んだ後だったわ。だけど――」

 彼女は悪霊らしい怒りに満ちた目で、言葉を吐き出した。

「――あの怯えきった娘の目を忘れられない。言葉一つ発するのに夫の顔を伺っていた態度を忘れられない。だから、一刻も早く助け出さないといけないと決意させた」

 彼女は視線を斜め下に逸らし、小さく続けた。

「……兎に角、それで、私は人殺しで悪霊なのよ」

「なるほどね」

 俺と彼女は宿に向けて無言で歩き続け、五分ほど何も話さなかった。

 その沈黙の間、俺は彼女について色々と考えながら、彼女の中に居る娘が、どう思っているかが気になった。

「世の中、そんな単純なものじゃないと思うけどさ。少なくとも君の娘は、君が助けてくれたと思ってくれてるわけだよな?」

「ええ、それが問題……。障害を排除するのに、どんな手を使ってもいいなんて間違っている。それを許していいわけがない」

 そう答えた彼女を見て、俺は微笑む。

「冷静でいられるなら、君はいい母親だよ」

「そうは思えない……」

 隣を歩く彼女を見て、俺は話を続ける。

「法律を守ってるだけじゃ守れないものもあるんじゃないのかな?」

 彼女は俺を見上げて視線を向ける。

「法律があるから守られていることがあるのは確かだと思う。実際、俺は法律がなければ殺したいと思っている人間が両手じゃ足りない。俺だけじゃなく、そう思っている人間は多いと思う。それをしないのは法律を守らないと社会の中で死ぬことになると分かっているからさ」

「……そうでしょうね。私は貴方以上に殺したい相手が居ると思うわ。……実際、手を下してしまった人間が二人居るのだし」

 俺はポケットに両手を突っ込み、話を続ける。

「だけど、それを実行してしまった君を、俺は非難しないよ」

「……何故?」

「さっきの法律の続き。法で行動を縛る以上、縛った奴には責任が生まれるってこと」

 彼女は黙って俺の話を聞いている。

「排除しないと守れない大事な人がいる。だけど、法に守られて排除したいけど排除できない。だったら、俺達が法を守ってやる以上、法を作った人間はこっちの訴えに対する対処をしないといけない」

 俺は彼女に視線を向ける。

「君は娘と暮らしていきたかった。だけど、法は父親に娘を明け渡した」

「ええ」

「娘は虐待を受けていた。半年間、誰も助けて貰えなかった。だから、行動に移した」

 彼女は静かに頷く。

「そうね……。でも、その間に抜けているものがある。私は訴えなかった。貴方の言う、法を創った者にも責任があるのかもしれないけど、その人は全てを知ることは出来ない。私が声を上げなければ、その人の耳には絶対に届かない。……訴えをしなかったのは、私の責任よ」

 俺は頷く。

「そうだな。君が悪い」

「……ええ」

 俺は彼女の肩に右手を置くと、彼女は再び俺を見上げた。

「それでも君が娘を守ったのは変わらないよ」

「でも……」

「死んだ二人の性格は変わらないさ。一度、手を出した時に信用を失ってる。会社に勤めても、そう。顧客に対する信用を失ったら、なかなか取り戻せない。ましてや、今回のは長年染みついた個人の性格が元凶だ。本人が努力しても、直ぐには直らないよ」

 彼女は不思議そうに俺を見ていた。

「よく……言い切れるわね?」

「修復するわけがない。例え、洗脳を掛けて絶対に娘に手を出さなくしたって、娘の方には拭いきれない記憶が刻まれているし、君の心には決定的な不信感が刻み込まれている。忘れられないものを刻んで元に戻るはずもない。それに手を出さなくしたって、君の娘を傷つけ続けるのは明らかだ。体に傷は出来なくなるけど、態度や言葉で君の娘の心は傷つけられるに違いない。――俺は、そこで行動を起こして自分の信念を証明した犯罪者の方を評価するね」

 彼女は暫く呆けると、笑い出した。

「本当に変な人……。犯罪を犯した私の方が信念の証明だなんて」

「別に犯罪を奨励しているわけじゃないよ」

「分かっているわ」

「本当か?」

「ええ」

 彼女は頷くと、冷静になった頭で語り出した。

「貴方の言っているのは漫画や小説なのよ。物語の中では仇討ちや過剰な仕返しが正当化される。現実じゃ捕まる行為でも、物語の主人公なら許される。それは物語の中では仇討ちが許されているから。作者がそういうルールを決めた世界で許される行動だから。そして、私達が現実では許されないと知っていながら物語の登場人物に感情移入してしまうのは、心の何処かで現実では許されない欲求を物語の中に求めているから。……貴方の考えは、その物語の中の行動を現実で正当化しているのに近いわ」

 俺は腕を組む。

「なるほど」

「つまり、貴方は単純なのよ」

「……そうかもね」

「でも、それで納得できた」

「ん?」

「私は、そんな貴方よりも、もっと単純なのだって」

「そうかもしれないな」

 俺は改めて質問する。

「俺の意見はフィクションよりで君を支持するけど、君は自分のしたことをどう思う? 後悔しているかい?」

 彼女は首を振る。

「残念ながら、私も貴方に近い考えみたい。頭で悪いと思っていても後悔してないわ。いいえ、後悔はある――」

 彼女は目を鋭くする。

「――完全犯罪で殺しておけば良かったわ。そうすれば今頃、娘と母子水入らずだったのに」

「……フ」

 俺は声を出して笑ってしまった。

 他人が聞けばゾッとする話を素面で語れる人間に出会えるとは思わなかった。人間社会で生きていくために、内に隠した本音を正直に打ち明けるのがこんなに楽しいとは思わなかった。


 ――つくづく思う。


 俺と彼女の相性は最高なのではないか……と。

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