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第8話

 その霊媒師の人は全国的に有名というわけではないらしい。神社仏閣や寺に勤めているわけでもなく、個人の自宅で霊についての悩みの解決を行なっている。

 民間の霊感の強い人という位置付けで、エクソシストや法力僧のような霊を滅する力は持っていない。出来るのは霊との交渉までで、説得により憑依した霊に出て行って貰ったり、俺達のように離れられ方が分からなくなってしまった霊に離れ方を教えてくれたりするのである。

 ちなみに、週末に霊媒師宅へ伺う約束を取り付けることには成功している……のだが、その時の電話口の声や話し方が、本当に何処にでも居る普通のおばさんだったため、今一、本物の霊媒師に会いに行くという実感は持てていない。


 …


 週末の二日と休暇の二日を利用した四連休初日――。

 俺と彼女は新幹線を利用して目的の東北の駅を降り、現在はタクシーを使って目的の霊媒師の家へ向かっている。

「万事恙なく済めばいいけどな」

 俺の言葉に、彼女は溜息混じりに返す。

「その恙なくの状態を理解している?」

「除霊をすることだろう?」

 彼女は首を振る。

「私を滅して、どうするのよ? 私が消滅しちゃったら、今後、貴方はこの子の面倒を見なくちゃいけないのよ?」

「……それは困るな」

「そうでしょう? 一番いいのは、私と娘の意思で入れ替われること。次点で、私と娘の立場の入れ替え」

 ああ、現状の立場を入れ替えるという解決法もあったか。彼女の話では、母親と娘は内心で会話が出来ているということだから、娘が表に出ても子育ては出来る。ただし、この場合、母親としての仕事が出来なくなるので、次点という扱いになっているのだろう。

「で、その次点案の時、君はいつまで娘の中に居るつもりなんだ?」

「そこは本命の案でも同じ。娘が一人でも大丈夫だと思ったら離れるつもりよ」

「明確には決められないか」

「今のところはね。――とはいえ、絶対に一人で何でも出来るようにしてみせるから、その時が来たら、娘の一人暮らしの援助をお願いね」

 俺は頷く。

「ここまで来ると、もう何かの縁だろうな。面倒くさいが約束するよ。……と言っても、最低限のことしかできないけどな」

「ええ、それで十分よ」

 彼女が目を閉じてタクシーの後部座席の窓に目を向ける。

「ママ、居なくなっちゃうの?」

「……娘の方か」

 彼女と娘の入れ替わりは、実はあれから何回か発生している。原因は分かってはいない。いつも突然だ。そして、約二週間彼女と生活を続け、案内係の女学生ほどではないにしろ、この子が彼女ではないことぐらいの見分けが付くようになっていた。今のところ、娘を認識するのではなく、あくまで彼女ではないという所でしか判断できないが。

「君のママは、本来、君の側には居られないんだ。それでも、今、側に居るのは特別なんだ」

「特別?」

「まだ分かんないよな」

 俺は溜息を吐くと、手提げの鞄から飴玉を取り出す。

「君に初めて会った時から、一応、用意してあったんだ」

 また娘が出てきた時を警戒し、俺は話が続かなくなった時のための飴玉を用意していた。飴玉が口の中で溶け切るまでの時間は潰せるはずだ。

「はい、どうぞ」

 彼女の娘に飴玉を渡すと、彼女の娘はそれを口に入れて会話を止めた。


 ――これで暫くは静かになるな。


 ……と、思ったのも束の間、彼女の娘はガリガリッ! と飴玉を噛み出した。時々居るが、この子は飴玉もジュースの中の氷も噛み砕くタイプなのだろう。

「飴はたべもの」

「話をするしかなさそうだ……」

 俺が溜息を吐いた直後、彼女の娘が話し掛けてきた。

「愛人のおじさんはいい人だよね?」

「そう思うんなら、いい人なんじゃないかな。俺は、君に対して何にもしてないけどね」

「何もしないからいい人なんだって、ママは言ってた」

 なんか、何もしないと言い切られるなんて、人としてどうしようもない烙印を押されている気がする……。

「でも、愛人のおじさんは、れーばいしっていうのを捜してくれてるから、わたしはいい人じゃないのかなって思うよ」

 俺は腕を組む。

「そうだな……。こんな面倒くさいこと、何で、手伝ってんだか? じゃあ、俺はいい人でもいいんじゃないか」

 彼女の娘が首を傾げる。

「なんか、どーでもいいみたい」

「どうでもいいからね」

 いい人でも悪い人でも……。

「面白ければ」

 俺は残っている飴玉の一つを口に入れると、彼女の娘にも渡す。

「噛まないで舐めてごらん」

「噛まないと甘くないよ?」

「砂糖ばっかり食べてると、ドラえもんみたいになるよ」

 何処にでも行けるドアを出さずにドアを壊していくような……。

「……将来、ドラえもんになれる道もあるのか」

 真剣に考え出した彼女の娘の将来がああなっても困るので、ここでやめさせよう。親戚というからには、あのおばさんに近いDNAも僅かながら受け継いでいる可能性がある。

「ドラえもんになっても、秘密道具は使えないけどいいの?」

「そんなのヤダ」

「じゃあ、砂糖は控える方がいい」

「そっか。じゃあ、やめる」

 俺は安堵の息を吐き出す。未来は守られた。

 そして、そうこうしているうちにタクシーは止まり、目的の家に着いた。その頃には隣の少女は彼女に戻っていた。

「君の娘は、飴玉を噛むんだな」

「私も初めて知ったわ」

 小さい頃は虫歯になり易いって言うし、今まで飴を食べさせなかったのかな?

「お客さん、御代」

 タクシーの運転手の顔にはイライラが表われていた。代金も払わずに、いつまでも降りない俺達に業を煮やしたのか? それとも、入れ替わる彼女と彼女の娘との会話を聞いて、さっさと俺達とおさらばしたいと思ったのか?

「すみません、直ぐに払います」

 代金を支払ってタクシーから降りるとタクシーは直ぐに走り去り、目の前には普通の住宅街に一軒家が佇んでいた。看板も何もないため、ここが目的の霊媒師の家なのか判断がつかない。近くの電信柱の番地を確認すると、ここが目的の場所で間違いないらしい。

 備え付けのインターホンを押して、暫くして返ってきた声は電話で話したおばさんの声だった。

「今日、霊視をお願いしていた者ですが」

『はいはい、上がってください』

 スピーカーに受話器を置く音が響くと、直に玄関の扉が開いた。中から現われたのは想像と遠くない中年のおばさんだった。

「今日は、よろしくお願いします」

 俺が頭を下げると、おばさんは『こちらこそ』と笑顔で返事を返し、俺と彼女を家の中へと招き入れた。


 …


 家の中はさっぱりとしていて清潔感がある。通された部屋は和室で、大きなテーブルに四枚の座布団が向かい合わせで置いてある。

 俺の隣に彼女が座り、向かいに霊媒師のおばさんが座っている。

「さて、問題のある子は、その子でしたね」

 俺が頷くと、おばさんは彼女を見て直ぐに難しい顔になった。

「あなた、何ともないの?」

 その質問は、俺に言ったのか彼女に言ったのか? 今一、よく分からなかった。

 俺と彼女は顔を見合わせると首を傾げ、俺が答えることにした。

「特に何も……。関係も良好だと思います」

「良好なの……」

 霊媒師のおばさんは暫く額に右手を置いて俯いていたが、やがて顔をあげて話し出した。

「私は霊感が高くて、ある霊媒師の組織の民間協力者という位置付けなの」

「はあ……」

「それで、直ぐに分かったのだけど……。その女の子と生活しているのよね?」

「そうですけど?」

 霊媒師のおばさんは溜息を吐く。

「その子に憑いているのは、組織の上層部へ直ぐにでも連絡しないといけないぐらいの悪霊よ」

「「へ?」」

 俺は自分を指差す。

「すると、俺は危険極まりない悪霊と仲良く二週間も生活してたんですか?」

「そうなるわね」

 俺は腕を組む。

「どういう神経しているんだ?」

 自分で自分が分からなくなる。

「だけど、そんな凶悪な存在じゃないと思うんだけどなぁ」

「でも、その子に憑いている怨念が強過ぎて、本来のその子が表に出られないのが現状よ」


 ――この人、本物だ。


 ふと、そう思ってしまった。電話では『九歳の少女に何かとり憑いた』としか言っていない。これは霊媒師の偽者を判断するために、あえて情報を制限したからだ。

 だけど、このおばさんは情報なしで、彼女の娘が表に出続けられないことを見抜いたのである。

「本当に、あなたに危害はないの?」

 霊媒師のおばさんの再度の質問で俺は我に返り、ここ二週間を思い出しながら振り返る。

「本当に危害はないし、怨念って言ってもなぁ……。娘に対する想いが強過ぎる気があるから、その強過ぎる想いを怨念と勘違いしているのでは?」

「そんな優しい霊じゃないはずよ」

 霊媒師のおばさんの彼女を見る目は厳しかった。

「この波長は何度か経験しているから分かるわ。その霊は、人を殺しているはずなのよ」

「え?」

 そんなはずはない。何事もなく彼女は事故で亡くなって一生を終えたはずだ。あの高橋というおばさんも両親が亡くなったとだけしか言っていない。

 俺は信じられずに彼女を見ると、彼女は何も語らず、冷ややかな目で霊媒師のおばさんの視線を受け止めていた。

「あなたは人を殺しているわね?」

「…………」

 彼女は何も答えない。

「何故、殺したの?」

 彼女は目を閉じると不愉快そうに呟いた。

「――余計なことをベラベラと……」

 彼女の様子が少しおかしい。高橋のおばさんに連れられて来た時のように、発する言葉の温度が低い。

「それ以上、娘の前で言わないでくれる?」

 彼女は見下すように霊媒師のおばさんに続けた。その口調は疑問系で頼むような内容でありながら、明らかに命令していた。

「やはり危険極まりないわね」

 霊媒師のおばさんは大きく息を吐き出すと、彼女に屈せず話を続ける。

「人を殺しておいて、それを隠すために威嚇するようなあなたを野放しには出来ません」

 彼女は目をつり上げて立ち上がると、テーブルの上を右足で勢いよく踏みつけた。

「その口を閉じなさい……」

 霊媒師のおばさんは首を振る。

「……娘に聞かせるなって言っているのよ……」

 俯き、長い髪で顔を覆い隠した状態で、彼女は拳を握っていた。

 そして、一拍置いた次の瞬間、彼女は霊媒師のおばさんに飛び掛かっていた。

「――ッッ‼」

 俺は咄嗟に彼女の左手を捕まえて、彼女の前に向かう力を無意識に止めていた。彼女を掴んでいる俺の右手は少女を拘束しているだけにも関わらず、同じ体格の人間を押さえつけているような力を入れさせられている。

 彼女は荒々しく息を吐き出し、髪を振り乱し、尚も霊媒師のおばさんに向かおうとしていた。

「放せッ‼ そいつは娘に知られちゃいけないことを話そうとしているッ‼ 娘がどれだけ傷つくかも知らないでッ‼」

「だからって、暴力はよせ!」

 俺の拘束を振り解こうと暴れる彼女を見て、霊媒師のおばさんは再び大きく息を吐く。

「どうやら、あなたは彼女の原因となるものを刺激しなかったから無事だったようね」

 霊媒師のおばさんは俺達から見えない位置に用意していたロープを取り出すと、ゆっくりと立ち上がった。

「そのまま、彼女を押さえていて」

 俺が頷き、霊媒師のおばさんは彼女を縛り上げ始めた。

「霊の中には自制が利かない者も居るの。そして、そういう霊は、大抵が何か後ろめたい過去を持っているわ」

「……だったら、それを刺激しなければいいじゃないですか」

「それではいつまでも原因となるものに向き合えない。向き合わなければ解決もしない」

 彼女は霊媒師のおばさんにより、身動きできないように体だけでなく後ろ手も縛り上げられてしまった。可哀そうな光景ではあるが、暴れる彼女をそのままにはしておけない。

 やがて、彼女は振り乱していた髪で顔を隠して静かになった。

 俺は押さえつけていた両手を離すと、霊媒師のおばさんに話し掛ける。

「少し外していいですか?」

「ええ、もう大丈夫よ」

 もう一度、彼女を見たあと、俺はポケットからスマートフォンを取り出す。

「彼女の真相を知っていそうな人に電話してきます」

「分かったわ」

 俺は席を外すと和室を出て、声の届かない廊下まで移動した。掛ける相手は高橋のおばさんだ。電話番号は彼女の荷物が届いた時に書き留めてあったものをスマートフォンに登録してある。

 電話を掛けると、暫くして電話は繋がった。

『誰だい?』

「少し前に会った……って言えば分かるかな?」

『あんたかい』

「用件も分かるかな?」

『どうせ、あの子のことだろう? また暴れたのかい?』

「まあ、それが原因ではあるんだけど、少し聞きたいことが出来て」

『あの子の制御法なら分からないよ』

「それはいい。もう拘束したから」

『過激だねぇ……』

 拘束したのは俺ではないが、この状況なので無用な説明はしないことにした。

「聞きたいのは彼女の母親のことなんだけど、人を殺した……っていうことを聞いたことあるかな?」

『藪から棒に何なんだい? そんな話は聞いたことないよ』

「そうか」

 俺は暫し考える。霊媒師のおばさんの言葉に反応した彼女の行動が『人を殺した』という事実を証明しているのは間違いないと思う。では一体、誰を、いつ、殺したのだろうか? 俺の知っている話で直接的な死に関わるのは、例の彼女が死んだ交通事故ぐらいしかない。

「彼女の周りで人が死んだりしたっていうのは、彼女の両親の死んだ原因の交通事故だけなんですよね?」

『ああ、そうだよ。――ん? 気味悪がって引き受けない可能性があったから、その話は詳しくしてなかったね』

 気味が悪い?

「事故の詳細を教えてくれませんか? ただの事故じゃないんですか?」

『さあ、どうだかね』

 電話口では溜息を吐いたあと、ライターを使って煙草に火を点ける音が聞こえた。その時間は僅かなはずだったが、随分と長く感じた。

 電話先の高橋のおばさんは暫く黙ると、やがて話し出した。

『確かに、事故であの子の両親は亡くなったよ。だけど、亡くなったのは父親と母親が二人さ』

「……母親が二人?」

 どういうことだ?

『その事故はね、父親の運転する車に同乗していた後妻と、前妻の運転する車が正面衝突したものなんだよ。詳しい原因は分からないけど、警察は事件性のない事故だと処理したよ』

 全てが繋がった。

「その前妻と後妻の関係は……どんな感じだったんですか?」

『詳しくは分からないね』

「じゃあ――」

 俺は唾を飲み込む。

「――後妻と父親と……娘の関係は?」

『最悪だったって話だね。娘は家庭内暴力を受けてたって話だ』

「……そういうことか」

『どうしたんだい? 今更、断わるのかい?』

 俺は大きく息を吐き出す。

「いいや、最後まで面倒をみるよ」

『いい心掛けだ。他に用がないなら切るよ』

 高橋のおばさんが電話を切ると、俺もスマートフォンを切ってポケットに入れる。

 俺は無言のまま右手で頭を掻く。

「……どうしたもんかね」

 頭の中では大まかな経緯が組み上がっていた。

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