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第3話

 おばさんが去って行った入り口からリビングに視線を戻すと、金髪の少女はソファーで温くなってしまった紅茶を飲んでいた。大の大人が大声をあげる事態にも眉一つ動かさず、何事も無かったようにしている彼女は、本当に何者なのだろうか?

 気にはなったが、直にどうでもいいような気分になってくる。長年染み付いた悪い癖は、こんな時でも抜けないものらしい。

 俺はリビングへ戻って彼女同様に対面のソファーに座り、カップに残る紅茶に口をつけた。

「やっぱり、貴方は他の親戚と違って信用できるわね」

「俺の何が?」

 少女はカップをテーブルの上に置く。

「嘘をつかない……というところよ」

「君は気付いてないかもしれないけど、今の会話に嘘は何個も紛れていたよ」

「ええ、知っているわ」

 俺は首を傾げる。彼女は何を言いたいのだろうか?

「自分の本心を貫くために、出来る限りの嘘であの人を追い払おうとした。不味い紅茶を出して、気も使わず、上辺も繕わなかった。……信用できるわ」

 彼女の話し方もそうだが、彼女の考え方に驚かされる。冷静というよりも達観している。

 自分の都合のいいように解釈している部分もあるだろうが、その自分に都合のいい解釈を貫けるというのは、既に彼女の中に確固とした自我が備わっていることを意味していた。

 見た目のギャップ――それが再び気になり出した。

「実は、人を選んでいたの」

 彼女はそう言って膝の上で両手を組み、ジッと俺を見据える。

「この子を任せられる人間を探していたってこと」

「この子? 探していた?」

「ええ。自らの目で確認して、この子を任せられるかを判断していた。そして、受け入れられる真実の量を量っていたの」

「よく分からないな」

 俺はソファーの背もたれに背中をべったりと付けて体重を預ける。

「君が不思議なのは、何となく分かるんだ。言葉遣いも子供らしくないし、大人びている。ならば、それなりの思考が出来るはずなのに問題児だっていうレッテルを貼られている。どういうことなんだ?」

 少女はクスクスと笑っている。

「人間嫌いが、やけに興味を持つじゃない?」

「……本当だ。俺、気持ち悪りぃ」

 自己嫌悪する。人間嫌いだなんて口に出さずに心に留めておけば良かった。今の俺は目の前の少女に間違いなく興味を示している。

「多分、君に会って、俺は人間嫌いが治ったんだ」

 少女は可笑しそうに笑う。

「間違いないようね。神経も図太い」

「そうなのかな?」

「ええ……。貴方なら大丈夫でしょう――いえ、どちらにしろ、これが最後の親戚なのだから、私に選択の余地はないわね。最後まで粘った甲斐があったということなのでしょう」

 少女は自分の右手を胸に当てて雰囲気を一変させ、凛とした顔で口調を静かなものに変えた。

「この子の実年齢は九歳。だけど、今、この子を使って話しているのは三十二歳になる、死んだこの子の母親よ」

「……は?」

 俺は少女に震えながら右手の人差し指を向ける。

「それはつまり……」

「ええ」

「体は子供、頭脳は大人、その名は――」

 少女のグーが炸裂した。

「コナンじゃないわよ!」

 どうやら、この少女は中々の突っ込みセンスも持ち合わせているらしい。

「驚かないとは思っていたけど、まさかボケて返してくるとは思わなかったわ」

「いや、十分に驚いてる」

「嘘くさいわね」

 少女はドスンとソファーに腰を落とし、足と腕を組むと話を続ける。

「それで……今のこと、信じられるかしら?」

「信じられないね」

「……そうよね」

 少女は溜息を吐く。

「そこまで都合よく進まないか……。どう説明したものかしら? こういう状況を受け入れられる人間の可能性を持っていると思ったのだけど……」

 眉根を寄せて悩む少女に、俺は右手を軽くあげる。

「信じてないけど、その状況に乗っかるつもりではある」

 少女の眉間に皺が寄った。

「どういうこと?」

「騙しても嘘でも構わない。その代わり、面白くしてくれればいい」

「……は? 面白く?」

 俺は頷く。

「そう。俺はね、平然と嘘ついてる政治家も、視聴者にゴマ擂ってるテレビ構成も嫌いなんだ。人間のドロドロとしたものを見せられているようで気持ち悪くて吐き気がする。だから、そういう見て分かる作られた展開にならなければいい」

 俺は少女を右手で指差す。

「騙しても嘘でもいいというのは、そこだ。見え透いたおべっかを使わない話をしてくれれば、俺は、それを楽しむために妥協して受け入れるぐらいのことをする」

 少女は呆気に取られていたが、やがて微笑むと口を開いた。

「いいわ。そんなことでいいなら、貴方の条件を受け入れてあげる。こっちも手間が省けるし。――じゃあ、私がこういう状況になった経緯を話していいかしら?」

 俺が頷くと、彼女はゆっくりと語り出した。

「私とこの子の父親が二年前に亡くなったのは、あの高橋っておばさんから聞いたわよね?」

「ああ」

「死因は交通事故。反対車線を走っていた車が、突然、ぶつかってきたの。夫はハンドルを切ったけど間に合わず……。その時に私と夫は亡くなり、この子だけが残された……はずだった――」

 彼女は俯く。

「――だけど、気が付いたら、私は自分の七歳の娘になっていた……」

「娘に?」

「ええ……」

「娘は、どうなってしまったんだ? 君が入ったことで乗っ取ってしまったのか?」

 彼女は頷く。

「半分は、そう。娘は死んだわけではなく、ここに居るの」

 彼女は自分の胸に右手を当てて顔を上げた。

「ただ、娘は自分で体を動かすことが出来ない。私が娘に入ってしまったために、私が体の所有権を奪ってしまったみたいなの。娘は私としか会話が出来なくなってしまった」

「体に二人分の意思があるのか……」

「正直、最初は神様を恨んだわ。……でも、今は感謝している」

 彼女の目に力が戻る。

「私達が死んだ後に娘を守る人間は居なかった。これが現実だったのよ」

 俺は腕を組んで頷きながら言う。

「何となく分かるよ。あの親戚達が、自分のカテゴリー以外の人間を受け入れるわけがない」

「ええ、その通りだったわ。だから、ワザと問題児を装って、親戚の中をたらい回しになったのよ」

「ワザとか……。君も、いい性格をしてるな」

「娘の将来が懸かっているのだから、やり方は選んでいられないわ。ちなみに施設にも入ってみたけど、あそこは窮屈だったから無しの方向にしたわ」

 この少女が普通に俺と会話が出来ている時点で違和感バリバリなのだが、中身が大人というのは信憑性が出てきた気がする。

「それで、俺が君の眼鏡にかなった理由は?」

 彼女は頷くと、些か真剣な顔で右手の人差し指を立てる。

「一つ、貴方という人間が危害を加える人間じゃないこと。私の見る限り、貴方はこちらが干渉しない限り、害はない」

 彼女は、右手の中指を立てる。

「二つ、突拍子もない話でも、話を最後まで聞く器があること。私の話を最後まで聞ける人間は、まず居ない。途中で中断させるか、無視するか、話を真に受けないはず。それでも話を最後まで聞いてくれるには、ある程度、普通の人間と違う感性を持っている人間でないといけない。これは人格が破綻しているとか、そういうことではなく……何て言えばいいのかしら?」

「無理に言葉を探さなくてもいいよ。少し変わり者で、変なことでも受け入れられる図太い神経の人間だってことだろう? 話の節々で出ていたよ」

「……まあ、そういうこと」

 彼女は咳払いをすると、右手の薬指を立てた。

「三つ、子育てに口出しをしない人物。この子の中に私が居る以上、余計なお節介や要らない躾をしないで欲しいの。教育方針は、私が決めるわ」

「なるほど。それで無干渉な俺か」

「ええ。打って付けだったわ」

 彼女の言っていることが本当ならだが、ようやく彼女の目的が見えた気がする。要するに彼女は子供の体で何もできない状況でありながら、自分の都合のいいように子育てできる場所を探していたということだ。

「凄い執念だな」

「母の愛って言って欲しいわね。私は、自分の娘に真剣なだけ」

「そうか」

「ええ」

 どうやら面倒ごとも起きず、面白いものを特等席で見物できる状況が降ってわいたようだ。俺にとって、これほど都合のいい展開はない。

 俺は立ち上がって大きく伸びをする。

「話は、これで終わりのようだな。じゃあ、その子が大人になるまで、ゆっくりと暮らすといい。こっちは何もしなくていいから、今までと大して変わらないし」

 そう、俺が口にした瞬間、彼女は、それだけでは終わらないと目を座らせてぶっきらぼうに言った。

「悪いけど、迷惑をもう少し掛けるわ。これは最重要課題でもあるから」

「何の迷惑?」

「貴方の休みの日をいただくわ」

「は?」

 俺の休みを? 何故? 君達は勝手に育ってくれるんだろう?

 彼女は自分の胸に右手を当てる。

「娘に体の所有権を返さないといけないの」

「……そう言えば、体の所有権を奪ってしまったみたいなことを言ってたような」

「この体に入って二年になるけど、一向に抜け出せないの。その方法を探して」

「え?」

 それは思いっきり干渉する上に、あまりにも無理難題な要求な気がする。

 突然、転機の機会を持ってきた少女は、一体、俺に何をもたらすつもりなのか?

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