「ふう……」
少女は夕暮れの教室で頬杖をついて、物憂げな表情を浮かべていた。
彼女の名前はスナオさん。今年14歳になる女の子で、生まれつき少し茶色みがかった髪がサラサラと流れる柔らかな体つきのお嬢様で有名私立女子学園であるここに通っている。
大富豪のお嬢様だ。
「どうしましたの?スナオさん」
そう聞いたのはアタリさん。
個人で都内にタワーマンションを3棟しか保有していない普通のお金持ちの娘で、スナオさんとは比べ物にならないほど慎ましやかな暮らしをしている少女。ただ、何故かスナオさんとは馬が合って、いつもこうして二人で他愛もない話をしているショートカットのスレンダーな文系メガネ少女だ。
そんなアタリさん、スナオさんの「聞いてちょうだい」オーラを見逃すような人間ではない。
「なにかありましたの?」
すかさず、スナオさんは答える。
「わたくし、はじめてでしたの」
ドキリンッ。
スナオさんの突然の告白に、アタリさんは顔を赤らめて瞳を伏せる。
「お父様に買ってほしいものをことわられましたの」
ああ、そういうことですのね。
アタリさんは、とんでもない勘違いした自分を心のなかで小さく諌めながら、スナオさんの話に耳を傾ける。
「わたくし、どうしても欲しい物があって、お父様にお願いしたのに、買ってくださらないんですの」
たしかに妙な話だ。
スナオさんのご実家なら、その気になれば小さな国くらいはキャッシュ一括で買えるはず。
「ああ、それは大変、なんで買っていただけないのかしら?」
「そう、それは……」
アタリさんの相槌に、スナオさんは悲しげに答える。
と、同時に、スナオさん長いまつげがパシパシと動く。が、別に泣いているわけではない。ただ単にそういう物憂げな表情が似合う、と、自分で知っているだけのことだ。理由は、女の子だから、だ。そしてこの可愛さは、アタリさんに効果てきめんなのだ。
「恥ずかしがらずに仰ってくださいな」
「はい、その、あのね、それって……違法らしいですのよ、国際的に」
「違法?!そ、それはいけませんわね」
たしかにそれは駄目ね。
アタリさんはスナオさんと同じく物憂げに目を伏せる。ここからさき、直接そのものの名前を聞くことはやめたほうが良さそうね、と心に誓いながら。
だって、スナオさんのご実家が買えないほどの違法なモノ、知るべきではないもの。
でも気になる。
そこでアタリさんはいつものように質問攻めにすることにした。スナオさんとアタリさん、だいたいいつもこんな感じなのだ。ただ今日は、少しだけ遠回りなだけ。
「ねえスナオさん、その欲しい物って、どんな大きさなんですの?」
「えっと、その……」
「あ、欲しいものの名前はおっしゃらないで!」
「え? あうん、そうね、おっきいわ、とてもおっきくて立派だわ」
なるほど、おっきくて立派なのか。アタリさんはうなずいて続ける。
「では、お色は?」
「真っ黒ですの!真っ黒でツヤがあって、黒光りしていますのよ!」
「く……黒光り?」
「ええ!黒光り!」
スナオさんは嬉しそうに続けた。
「そうなんですの、それで、モジャモジャと毛が生えている部分もあって……」
たまらずアタリさんが割って入る。
「エッチですわ!」
「そうかしら?」
「そうですわ、おっきくて立派で黒光りしていて一部がモジャモジャなんて、エッチ以外の何物でもありませんわ!」
興奮するアタリさんを見て、スナオさんは頬に手を当てて首をかしげる。
「そんなことないのですけど、それにはじめはおっきくないのですよ」
「はじめ……は?」
「はい!私はちっさいのを自分の手でおっきくしたいんですの」
「もうしりません!!」
スナオさんの言葉に、アタリさんはそう叫んで机に顔を突っ伏した。
「ひどいですわ、大きくて立派で黒光りしてて一部がモジャモジャで、しかも小さいのを自分の手でおっきくするなんて、そんなのエッチ過ぎますわ」
小さな声でそう抗議しながら耳まで真っ赤なアタリさん、でもスナオさんはそんなことどーでもいいお年頃です。
「ほしいですわ、どうしても」
「そんなに?」
「ええ、もう一目惚れですの!」
「ひ……ひとめぼ……」
きっと秋田のお米のことに違いない。
アタリさんはそう思うことにして、必死で「エッチですわ!」を我慢する。流石に、これ以上その言葉を連呼するのははばかられたのだ。
「インターネット動画で見ましたの、私ワイルド系大好きですので」
「エッチですわ!!」
アタリさんは机を叩いて叫ぶ。
もう我慢できない。
「エッチなのですか?というか、アタリさんは見ませんの?」
「……え?」
ここで「見ない」というのは容易い。
しかし、目の前にいるのは唯一無二の親友と決めたスナオさんだ。そんなスナオさんの無邪気な問いに、思春期の女の子として挑まなければいけないはずだ、とアタリさんは勝手に思ってしまった。
「み、見ますわ、見ますとも。でも、私はその、もっと穏やかなものが好きですので」
「ああ、アタリさんは血を好まないのですね!」
「ち、血ぃ?!」
「ええ、で、アタリさんがご覧になる物は、どんな場所のものですの?」
「え、あ、その、きょ、教室とか好きかなっ……て……」
「まあ、山中とか密林じゃございませんの?!」
「みつり……って、レベル高すぎますわ!」
アタリさんはめまいを起こしそうになる自分を励ますように、その薄い胸に手をおいて息を整える。
もうダメ、これは私が突っ込んでいっていいレベルじゃない。
アタリさんはグッと湧き出す好奇心を抑えて、目の前のスナオさんがいつものスナオさんになってくれることを祈りつつ話をそらそうとした。
「で、でもまあ、違法ですから無理ですのよね」
「はい、残念ですけど」
「ど、動画で見て我慢するしかないですわ」
「ええ、でも、我慢できそうにないのです」
もう我慢してください、マジで。
というか、そんなモノを娘に頼まれてしまった父親はいったいどんな気持ちだったのだろう。アタリさんは2度しか会ったことのないスナオさんのダンディーな父上を思い出して、いたたまれない気持ちになった。
「だって本当に素敵ですのよ?」
「ええ、そうですね、素敵なのですね」
アタリさんは、もはやこの先を聞きたいくないといった風情で顔をそらす。
「もう、アタリさん、もっとお話を聞いてくださいませ」
いやです!
とは言えない。真っ白で産毛の生えた桃のようなほっぺを膨らませて「もー」声を上げてふてくされるスナオさんを前に、その願いを断るような度胸は、アタリさんにはない。
「わ、わかりましたわ、お聞きしますわ」
「うふふ、ありがとう」
ああ、可愛い。
別にアタリさんとて、女子と恋に落ちるような性癖は持ち合わせていないのだが、スナオさんの破壊的な美しさと可愛さの前に思わず顔が緩んでも仕方のないことであった。
が、続くのは、さっきの話しだ。
「で、その、それは、どんなふうに素敵ですの?」
「そうなんですの!あのですね、ソレはいつもはとってもおとなしくて、ダラーッとしてますの」
こらえろわたくし!
まだその時ではないですわ!
アタリさんはグッとこらえて、次の言葉をまった。
「でも立ちますの!」
「たちっ……!」
「はい、興奮すると雄々しく立ち上がりますの!!」
「たちあがっ……!」
「しかも激しく暴れますの!」
「あばれっ……!」
「音を立てて!」
「おとっ……!!……音?」
アタリさんは、ゴクリと生唾を飲んだ。
「音……でますの?」
「あら、ご存知ありませんの?でますのよ、立って暴れると」
「で、出るんですのね、音……」
「はい、こう激しく、パンパンパンパンパンパンパンパンパンパンパンパンパンパンパン……」
「エッチですわっ!!!!」
アタリさんはそう叫ぶと、一目散に教室を出ていった。
残されたスナオさんは、目をパチクリさせてつぶやく。
「おかしなアタリさんですわ。ちっともエッチではございませんのに」
夕暮れの教室で、スナオさんはそうつぶやいて続ける。
「やっぱりお父様に買っていただきましょう、そしてアタリさんに見せるのです!」
そう決意したスナオさんはゆっくりと立ち上がり、鼻歌交じりで教室を出ていった。
ちなみに、御察しの通り、スナオさんが欲しい物、ソレはゴリラ。
霊長目ヒト科ゴリラ属に属する生き物で、決してエッチなものではない。
さらにちなみに、この数カ月後、スナオさんの父親は国際的な霊長類の研究施設を創設し、合法的にゴリラを獲得。喜びに湧くスナオさんは、アタリさんとともにゴリラ見物と洒落込んだらしい。
その時、雄々しくたちあがりパンパンとドラミングをするゴリラを見て。
「え……エッチですわ」
そう、アタリさんが小さくつぶやいたことは……。
内緒である。