夏休みの終わりが近づいた八月十九日。タカシは二階の自分の部屋で、新作のテレビゲームをして遊んでいた。お盆に会った祖父母に買ってもらったものである。祖父母から「この年金泥棒!」と罵られたことは気にしていなかったが、まだ手をつけていない宿題には頭を悩ませていた。それは読書感想文である。
「読書感想文やだなあ。だいたい読書感想文ってさ、自分の体験談とか入れたりしなきゃいけないんだろ?そんな都合のいい経験、してるわけないって」
まだ本を読んですらいないのに、タカシはひとりぶつぶつ言いながらゲームを続けていた。しかし敵にやられてしまうと手を止めて、床に寝ころがった。
「あーあ、なんで本なんてあるんだろう。本がなければ読書感想文を書かなくていいのに」
パンがなければお菓子を食べればいいのにレベルの無茶なことを、タカシは仰向けのままつぶやいた。するとそのとき、部屋のドアがガチャリと開けられた。タカシが驚いて身を起こしそちらを見ると、男が入ってきた。
「おじさん誰?どうやって入ったの?」
おびえるタカシを見た相手は、
「玄関からさ。僕は未来から来た君だよ」
とにこやかな表情で答えた。
「だって下には母さんが……」
そう言いかけてタカシははっとした。未来から来たタカシと名乗った男は、その様子を見てニヤリとする。
「毎週水曜日のこの時間、君のお母さんは買い物に出かける。だから、家には君ひとりだということが僕には分かっていた」
「でも母さんは出かけるとき玄関にカギをかけていくはずだ。カギはどうしたのさ」
タカシは食ってかかるが、未来のタカシに動じる気配はない。
「僕は未来の君だよ。お母さんがカギをどこに隠しているかくらい知っているさ」
「オレは知らないよ」
「君も四日後には分かるさ」
「四日後?四日後になにが……」
「でも、窓が開いてたからそこから入ったけどねっ」
未来のタカシは、タカシの言葉をさえぎって強めにそう言った。そして、
「どうだい?僕が未来の君だって信じてくれたかい?」
と、タカシに問いかけた。未来から来たとか、どう考えても嘘っぽいよな、と思っていたタカシだが、なんだか面倒になってきたので、
「うーん。いいよ、信じるよ」
と適当にうなずいた。さらに、
「よかった。でもね、思考停止して相手の言いなりになるのは、詐欺に引っかかる人の心理と同じだから気をつけなよ」
と忠告されても、『え、お前がそれ言うの?』と思ったが黙っていた。
未来のタカシはにこやかな表情を崩さず話を進めた。
「今回はね、君にこれを渡しに来たんだ」
そう言って差し出されたのは一冊の本だった。タカシはそれを受け取ったが、すぐに落胆の声を上げた。
「『夏の思い出』?なんだよ、読書感想文の課題図書の本じゃないか。いらないよ」
「いいから、少し読んでみなよ」
未来の自分に促され、タカシはしぶしぶ本を開いてページをめくった。しばらくニコニコしながらその様子を見ていた未来のタカシは、頃合いをみて聞いた。
「さあ、どうだい?何か気づくことはないかな」
「気づくこと?」
「ああ、例えば主人公についてとか」
何も思いつかなかったタカシだったが、仕方がないので感想を絞り出した。
「えっと、仮病を使って塾を休んで、仮病を使ってプールを休んで、この主人公クソだね」
タカシの答えを聞いて、未来のタカシは苦笑しながら言った。
「クソかどうかは置いておいて。そこに書かれていることは、この夏、君が体験したことだろ?」
「え……?そうだ、これはオレだ。オレはなんてクソだったんだ!オレは最低だ。オレは最低だぁ!」
タカシは自分がいかに愚かな行いをしたかを思い出し、頭を掻きむしりながら喚いた。
「タカシ君、ちょ、ちょっと落ち着こうか」
未来のタカシは自分に絶望するタカシをなだめながら、「子供のころ、こんな情緒不安定だったっけなぁ」とぼやいた。少し経つと、タカシはようやく落ち着いて、相手を見た。
「おじさん誰?」
「え、どうした?」
「誰?どうやって入ったの?」
タカシが初対面のようにおびえるので、未来のタカシは戸惑ったものの、最初から説明した。
「いいかいタカシ君。僕は未来から来た君で、この本にはこの夏、君が体験したことが書いてあるんだ」
未来のタカシの言葉を聞いて、タカシに先ほどまでの記憶が戻ってきた。
「そうだ、思い出した。オレはクソだ。最低だぁ!」
タカシは今度は自分の膝をこぶしで叩きながら喚いた。
「落ち着いて、落ち着いてタカシ君!」
未来のタカシがそう言うと、タカシは手を止めて相手を見た。
「おじさん誰?」
「話が進まないなぁ!僕は未来から来た君で、この本には君に起きたことが書いてあって、君は最低のクソ野郎だよ」
未来のタカシから一気にまくしたてられ、タカシは涙ぐんだ。
「なんでそんなひどいこと言うんだよぉ」
最低のクソ野郎と言われて傷ついたのだ。
「ごめん、言い過ぎた。でも話が進まないからさ」
そんなことを言いながら、未来のタカシはまた「子供のころ、こんな情緒不安定だったっけなぁ」とつぶやいた。
「でもわかったろ?この本には僕が君の年の夏休みに経験したこと、つまりこの夏、君に起きたことが書いてあるんだ。だから君の体験したことと、そのとき考えたことを絡めて読書感想文を書けるだろ?」
「うん、そうだね。ありがとう未来のオレ」
タカシはこれで読書感想文を書けると素直に喜んだ。そして、それ以外にもうれしく思うことがあった。
「でも知らなかったな。オレって文才あったんだ」
「文才?」
「だって未来のオレの本が課題図書になってるじゃん」
キョトンとしていた未来のタカシたったが、すぐに笑いながら答えた。
「ああ、それはさ、ほら、課題図書を選ぶ会におじさんがいただろ?」
「うん、お父さんのお兄さん」
そう言いながら、タカシはおじさんの顔を思い浮かべた。
「あの人に金を渡したんだ」
「そうなの?」
唐突に知らされた事実に、タカシは驚いて目を丸くした。
「あの人、金さえ渡せばなんでもしてくれるから」
「そんなことないよ。おじさんはいい人だよ!」
納得しないタカシに対して、未来のタカシは目線を合わせて肩に手を置き、噛んで含めるように言った。
「違うよ。おじさんこそ最低のクソ野郎だよ。最低の、クソ野郎だよ」
「なんでそんなこと言うのさ」
「それは五年後の十月七日に分かるよ」
「日付が具体的で怖いよ!」
大声を出すタカシに、未来のタカシは穏やかに笑いかけた。
「僕は未来から来ているからね」
「だから怖いんだよ!その日なにがあるっていうのさ!」
「そうだね、悲しい出来事とだけ言っておこうか」
未来のタカシはそう言って目を逸らし、それ以上は何を聞いても答えてくれなかった。他にすることもなく、タカシは本のページをめくって読み進めてみたが、ある不満を口にした。
「この本に書いてあるのは確かにオレが体験したことだけどさ。くだらないことばかりで読書感想文に書くのは恥ずかしいよ」
「ああ、それなら大丈夫だ」
「何が大丈夫なのさ?」
「四日後の八月二十三日に、悲しい出来事が起こるんだ」
そう言って、未来のタカシはまた目を逸らした。タカシはしばし呆然としたあと、すがりつきながら問いかけた。
「え、何?四日後に何が起こるの?四日後って……ねえ、玄関のカギのことと何か関係あるの?ねえ、教えてよ!」
「やめておけ!先に知らない方がいい。先に知ってしまったら、きっと君はそれに耐えられない」
「そんなひどいことが起こるの?やだよ、四日間ずっと不安なままなんて!」
喚くタカシを落ち着かせるように、未来のタカシは穏やかに話しかけた。
「大丈夫。想像するより、ずっとひどいことが起こるよ」
「ぜんぜん大丈夫じゃないよ!」
結局、未来のタカシは何が起こるか教えてくれなかった。タカシはもうそのことを考えるのをやめにした。そこでふと、あることに気づいて叫んだ。
「あー!だめだよ!」
「何がだめなんだい?」
「絵日記だよ。宿題の絵日記と本の内容が同じなんだ。これじゃ本に書いてあることを丸パクリしたと思われちゃう」
「なんだ、そんなことか」
未来のタカシは落ち着いた調子でいった。
「大丈夫。九月三日に担任の先生に悲しい出来事が起こって、絵日記のことはうやむやになるから」
「やだよ、なんで僕の周りで悲しいことばかり起こるんだよ!そんなのクソだ!最低だぁ!」
叫んだタカシはしばらくバタバタしたあと、床に転がってブレイクダンスのウインドミルのように頭と背中をついて回転した。そして、首と両手で体を支えて逆立ちしながらピタっと止まり、相手を見て言った。
「おじさん誰?」