「やっぱ、変だよなぁ」
鏡の中の自分に確認するように呟いた。きっちり締めたネクタイ、真っ白いモーニング。
そう、真っ白。寿は白なんて恥ずかしくて断固としてグレーがいいと言ったのだが、なごみが白がいいと言い張り、結局その通りになってしまった。早くもカカァ天下である。まぁなごみのほうが強いのは、今に始まったことじゃないけれど。
「寿―、これからリハーサル始まるって。支度出来てるんでしょう、早くなさい」
「はいはい」
新郎の控え室を出ると、今日のためにきっちり和装した母と、黒い礼服でびしっと決めた父が立っている。なごみにちょっと似た気の強い母と、彼女に頭の上がらない父。寿がミュージシャンを目指して東京に行きたいと言った時は断固として反対した母と、心配しながらも応援してくれた父。
考えてみれば随分、心配も迷惑もかけてしまった。大学を卒業しても就職ひとつせず、ミュージシャンとしても芽が出ず、そんな自分をきつく責め立てたのも、今考えれば当たり前のことだったろう。
「オヤジ、オフクロ。今までごめん、そしていろいろありがとう」
思ったままを口にすると、母が一瞬目を見開いて、そして厚く口紅を塗った唇を歪ませて笑い出した。
「やぁだ、急に何言い出すのよ、この子ってば。てかお父さん、何泣いてるの」
「いや……寿も本当に、大人になったって」
「やぁねぇ。それはどっちかっていうと、あなたじゃなくて向こうのお父さんの台詞でしょう。大体まだ式、始まってないわよぉ」
実家にいた頃は毎日のように聞かされていた夫婦漫才に久しぶりに立ち会い、寿の口元も緩む。着慣れないモーニング姿で歩き出す。花嫁の元に向かって。
プロポーズから三ヵ月後、夏が通り過ぎた秋晴れの空の下。近所の小さな教会で、二人はつつましい結婚式を挙げた。
教会の中は親戚や二人の友人、あちこちから詰め掛けた参列者で既にいっぱいだった。久しぶりに会う親戚たちに会釈をしながら、リハーサルのためになごみの元へと向かう。なごみは親友の椿と今澤に挟まれ、楽しそうに談笑していた。
「ったく、こいつぅ。あたしより先越しやがって。こういうの、抜け駆けって言わない?」
「いや言わないし、意味違うでしょ。椿にもそのうち、素敵な人が現れるってば」
「まぁなんとも無責任な。お、寿くん。キマってるじゃーん、真っ白いモーニング」
「キマってないよ、やっぱ変だよ。だからなぁご、言っただろ。絶対グレーがいいって」
「あら、なかなかいいわよ。わたしが白で、寿も白。そのほうが自然じゃない?」
合わせて声を立てて笑って、なごみと椿はまた女同士の話題にどっぷり漬かってしまう。そして自然に寿と今澤の視線がかち合う。恋の敗者は今日は寿に負けないぐらいビシッと、こちらは黒いモーニングでキメていて、早くも参列者の若い女性たちの視線を集めていた。
考えてみれば、この今澤にも感謝しなければいけないのだった。あの不思議な出来事のことを誰にも言わず胸ひとつに収めてくれていて、二ヶ月も仕事を休んでいたなごみをすんなり職場に復帰させてくれた。昨日の敵は今日の友。そう思って、今寿は今澤に素直に頭を下げる。
「何ていうか、その。いろいろとありがとうございます。特に……あのこと、黙ってくれてて」
「いや、言ったって誰も信じないでしょう。私だって頭のおかしい人と思われたくはありませんし、黙っておくのは当たり前じゃないですが」
笑顔だが、相変わらず言葉には少しトゲがある。昨日の敵は今日の友……前言撤回してしまおうか。
「堀切さん、私は確かにあなたに言いましたね、なごみさんを諦めると」
「はい」
「でも今日の彼女はとても美しい」
「え、今澤さん、まさか……」
「不倫というのも悪くはないですね」
絶句している寿に、今澤は大人の余裕を持って笑いかける。
「冗談です」
「……」
「幸せになって下さい、二人とも。心からそう思ってますよ」
「はぁ……ありがとうございます」
寿の笑顔は少し引きつっていた。この男の言葉は素直に受け取れないから怖い。結婚したってなごみは仕事を辞めないし、これからも今澤とは毎日顔を合わせるわけだ。油断はできない。改めて肝に銘じた。
「ご新婦様、ご新郎様。リハーサルでーす」
ウエディングコンサルタントの声がかかり、リハーサルが始まる。椿は軽く手を振り、今澤は小さく会釈して、参列者席に去っていく。寿は隣のなごみにちらっと目配せした。なごみは無言で笑いかける。きれいだった。掛け値なしで。お世辞抜きで。
十分ほどの簡単なリハーサルの後、本番が始まる。おなじみの曲がパイプオルガンによって生演奏され、なごみは父親に手を取られて、バージンロードをゆっくりと歩き出す。
祭壇の前で待っている間、なごみの父の肩が震えているのが寿にはわかった。早くに母親を亡くして、苦労をかけてしまった娘。それでもその苦労に負けず、ひねくれることなく、一人で東京に出て、夢と愛を掴んだ娘。
彼の心中はまだ寿には想像することしかできないが、なぜか自分まで泣き出したい気持ちになっている。
父親から寿へと、花嫁の手が渡る。父親はその瞬間ちゃんと寿の顔を見た。頼むよ、君。わかりました。視線で男たちの約束が交わされたのを、なごみは側でちゃんと見守っていた。
外国人の神父による説教、誓いの言葉、指輪の交換。ヴェールがめくり上げられ、軽く唇が触れる。もう何度もキスは交わしていたけれど、この一回だけは今までしたどのキスより、これからするどのキスより、特別なのだ。約束が、誓いが、ほんの一瞬にこめられている。
「おめでとう!」
「おめでとう!!」
二人で教会の扉を開けて外に出ると、参列者が一斉にフラワーシャワーを撒く。秋晴れの空をバックに赤やピンクの花弁が舞い上がり、なごみの白いウエディングドレスにカラフルな羽のように降り注ぐ。
「おめでとう!」
「おめでとう!!」
繰り返されるその言葉に包まれ、幸せを噛み締めながら、なごみと寿は参列者たちの黒々とした人垣の向こう、教会の路地の前を駆けていく子どもらの姿を見た。
カラフルなランドセルに、黄色い帽子。それは間違いなく千瀬たちだった。花鈴も萌乃も、傑も嵐も雷も大風もいる。そういえばちょうど、小学校の下校時刻だ。ドレスや花など、可愛らしいものが人一倍大好きな萌乃が、なごみたちを指差して声を上げる。
「あぁ、花嫁さんだ! キッレーイ」
「本当だぁ。あたし、幼稚園の時大人になったらケーキ屋さんになりたいって思ってたけど、やっぱりお嫁さんもいいなぁ」
「えぇ、千瀬ちゃん、誰のお嫁さんになるの? もしかして嵐くん?」
「嫌だ、花鈴ちゃんってば。変なこと言わないでよ!!」
千瀬の頬が赤くなる。同じく名前を出された嵐の頬も赤くなる。なごみは意外だった。千瀬は乱暴者の嵐のことなんて怖がっているだけだと思っていたし、それに嵐は自分のことが好きじゃなかったのか。
いや、あれから三ヶ月も経ち、時は確実に進んでいる。大人にとっての三ヶ月はあっという間でも、子どもにとっての三ヶ月は長い。彼らの間にはきっと、なごみなんて知ることのできない子ども同士の深いドラマがあったのだ。
ふいに感傷が胸の底から湧き上がってきて、ブーケを握る手が揺れた。嵐が例によってぶっきらぼうに言い放つ。
「バーカ! こんなブス、相手にしねーよ!」
「ひっどーい、嵐くん! そんな言い方ってないでしょ!」
「そうだよ嵐くん、謝ったほうがいい。本当は千瀬ちゃんのこと、好きなくせに」
「傑まで何言うんだよ!!」
「あっ、嵐くんが逃げたー!!」
きゃらきゃら笑いながら、楽しそうに子どもたちは駆けていく。これから先の人生にどれだけ悲しいことや辛いことが多く待っているかも知らない、無邪気な子どもの笑顔がなごみの前を通り過ぎていく。
自分が、あのわずか二ヶ月だけ一緒にいた転校生だとは、誰も気づかなかった。当たり前だけど。もう二度と、あの中になごみは戻れない。
「なぁご……本当に良かったの?」
寿が少し心配そうになごみの顔を覗き込んで、はっとした。寿がとても悲しそうに見えたからだ。なごみが抱えている悲しみは、決して彼が拭うことはできない。
「本当に、これでよかったって思ってる? いや、もちろん俺は、なぁごが元に戻って嬉しいけど。なぁごはやっぱ、そうじゃなかったのかなって」
「ううん、これでいい」
寿を安心させるために、はっきりと笑った。無理のない笑顔だった。
「子どもに戻るよりも、大人として今を生きたいの。寿と一緒に生きる、今と未来を」
「……そっか」
もう一度強く頷く。寿が頷き返す。親や親戚たちに見られてなかったら、今ここでもう一度キスをしたい気分だった。
なごみの胸の中でコトリと動くものがあった。なごみにはそれが何なのか、わかっていた。あの時不思議な世界の中で抱き締めた、子どもの、七歳の頃の自分だ。
本当は、大人というものは子どもの部分を切り離してなるものじゃない。子どもの部分をしっかりと抱き締めて、大人になるのだ。なごみはそのことを、あの小さな少女に、過去の自分に、教えてもらった気がする。
いつまでも一緒に生きていこうね。わたしの中の七歳のなごみちゃん。胸の中に向かって語りかけた。
「なごみー! ブーケトス!ブーケトス!!」
椿の声に急かされるようにして、なごみはブーケを持つ手を振り上げる。親戚や友人知人の独身女性が競うようにして前に出る。おいおい、椿ってば。前に出過ぎだっつぅの。ふっと笑いながら、手の中のものを空に放つ。
秋らしく晴れ渡ったセルリアンブルーの空に、赤とピンクの薔薇の花が眩しく生えている。女性たちの黄色い歓声がそれを受け止める。人垣がものすごくて、誰の手にブーケが渡ったのかは見えない。
なごみと寿は改めて手を握り合った。強く強く握った。
<END>