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第十四章 海と本当の愛(4)

「堀切さん、あなたの話の要点をまとめると、こうです」



 今澤は胸を張って言った。こうして改めて耳にすると心地よい、美しいテノールの響きだった。今高らかに靴音を立てて廊下を横切っていくナースが彼の声を聞き取っていたら、さぞかしハンサムな男が部屋の中にいるだろうと想像するに違いない。



「なごみさんはある日突然、怪しい占い師に会った。そして開けた者の身体が小学生化してしまう魔力を持った箱を、願いが叶うパンドラの箱だと言って手渡され、開けて願いをかけてしまった、その結果彼女はこんな姿になった。ここまで、間違っていませんか」


「はい、その通りです」



 いい返事だった。まるで今澤が何かの教師で、寿がその生徒のようだった。その内容の突飛さ、非現実的さを超えて、今澤の美声は理路整然とこの非常事態を解説していた。



「そして今なごみさんは生死の境を彷徨う状態となり、彼女に魔法をかけた占い師が今度はあなたの前に現れた。彼によれば、なごみさんの生命の危機はこの私のせいだと言う。私の邪念が、なごみさんを死に追いやっていると。術を解こうにも、私のなごみさんを思う気持ちがある限りは、無理なのだと」


「そうなんです! だから俺は……」

「私になごみさんを諦めてほしい。そうですね?」



 大きく寿は頷いた。寿の長い話は今澤によってあっさりとまとめられてしまった。大きくてかさばる布団を専用のパックに入れて、煎餅みたいに圧縮してしまうようなものだ。よく、深夜の通販番組でやっている、アレ。ほら、こんなにコンパクトにまとまりましたよー、と。もう一度今澤がおもむろにため息をついた。



「そんなふうに言われて、私が素直になごみさんを諦めるとでも思っているんですか!?そんな無茶苦茶な作り話を信じて、あなたの言う通りにするとでも!?」

「いや、今澤さん、これは……」


「わかっています、あなたにとって今の話は本当のことなんですよね? 占い師の存在も、魔法のことも。突然自分の恋人の身体が縮むなんて異常事態が起こっているわけですから、混乱してありもしない話を頭の中で作り上げてしまったんでしょう。未熟な人間にはありがちなことです」



 間接的に自分のことを未熟だと面と向かって言われ、さすがに心の表面がささくれだった。顔に出さないようにするのが精一杯だった。やっと、寿も諦めていた。無理だ。


この男は極めて理性的で論理的で、魔法とか占いとか幽霊とかUFOとか、そういった科学的に説明のつかない物事については徹底的に嫌い、自分には関係ないと遠ざけるタイプの人間だ。確かに、寿だって最初は信じられなかった。


見知らぬ少女が突然現れて、なごみの名前を名乗って自分に抱きついて、とんでもないいたずらをする子どももいるものだと、それぐらいにしか思わなかった、思えなかった。


しかし結果的には、信じざるを得なかった。長年なごみと付き合ってきた寿にはその少女がすぐに姿を変えたなごみだとわかったし、実際に目の前にあの占い師が現れ、すべての謎がきれいに片付いてしまったのだから。


対して今澤はそうではない。目の前の少女がなごみだということは認めたものの、占い師と本当に会って話したわけではないのだ。自分の理解と想像の範囲を超えたことは、そう簡単には認められない。人間とはそういうものだ。不思議と、今澤を許せるような心持ちにすらなってきた。



「いいですか堀切さん、なごみさんの身に起こっているのは魔法ではありません、病気です。おそらくまだ見つかっていない新しいもので、症例も少ないでしょう。しかし治す手段がないと決まったわけではない」


「……」


「こんな普通の病院ではダメです。今すぐ僕の知り合いの医者のところに連れていきましょう。彼は医者としての腕もさることながら、珍しい病気や難病についての知識も非常に多く持っていて、その世界で注目を集めている人物です。彼ならなごみさんを治せる可能性は、十分にあります」


「あの今澤さん、だからなぁごは病気とかじゃなくて……」

「これだけ言っても、まだわからないんですか!!」



 平静だった今澤の声が突然爆発した。無駄な家具が置かれていない正方形の病室は、その鋭い声を四方に反響させ、そのボリュームと剣幕に寿は後ずさりそうになった。程よく筋肉の張り巡らされた、今澤の浅黒い腕が震えていた。昂ぶった感情を沈めるための深呼吸を一つした後、この理性的で論理的な男は続ける。



「はっきり言って、あなたのやっていることは卑怯過ぎます。要は、私になごみさんを諦めてほしいんですよね? そのためにこんなレベルの低い作り話を……まったく、あなた今いくつですか!?」


「今年三十ですけど……」


「今年三十! 信じられませんね。これではなごみさんがあなたに呆れ返り、別れを考えるのもしょうがない!!」


「え、ちょっと今、何て言いました?なぁごが別れを考えるって……」



 寿の顔から色が退いていった。今はなごみの命がかかっていて、別れるとか別れないとか既にそんな次元の話ではない。それでも寿は青ざめた。対して今澤の首から上に優越感の笑みが広がる。



「ちょうど二ヶ月ほど前ですかね。なごみさんとその親友の椿さんが、オフィスの近くのレストランでランチを食べていて、彼女らの会話をたまたま盗み聞きしてしまったんですよ。なごみさんはあなたのだらしなさと情けなさにすっかり呆れ、辟易していた。早く別れて、新しい男を探すべきだと」



 今澤の口角がにやりと持ち上がった。彼の話はだいぶ誇張してあった。なごみがあの頃寿の情けなさに呆れていたのは事実だとしても、早く別れたいとか新しい男を探すべきだとか、そんなニュアンスのことを口にしたのは、なごみと一緒にいた椿のほうだ。


もちろん寿にそんなことはわからないので、彼の拳は震える。戦慄く拳骨を見て、今澤の口角が更に上を向く。やがて寿の手の震えが止まった。あれ、と今澤が寿の顔に焦点を合わすと、寿は冷徹な目で今澤を刺していた。



「あの頃の俺と今の俺とは違います」

「……」


「確かにあなたは俺よりずっと大人で、金もあって会社も持っていて、なぁごに相応しいのは俺も認めます。けれど気持ちの面で、あなたは俺に負けている。俺はこの先ずっと何があっても、なぁごがこのまま子どもの姿でも、彼女を守り続けていくって誓ったんです。そんな強い愛が、俺にはあります」


「愛だけでは人は幸せになれない」

「そうかもしれません、でも」



 寿は目を逸らさなかった。意味深な沈黙が二人の男の間に満ちた。窓から見える遠い山の端を、朝が白っぽく染め始めていた。



「でも、人が幸せになるために、愛以上に必要なものがありますか」

「――わかりました」



 今澤の表情は変わらなかった。しかしその目の端で暗い光が強烈に瞬いたのを、寿は見逃さなかった。



「あなたがそこまで言うなら、ひとつ勝負といきましょう」


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