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第十四章 海と本当の愛(2)

「てめぇだな、なぁごにわけのわからん魔法だかなんだかをかけやがったのは!! お前の、お前なんかのせいでなごみはこんなことに……!!」


「ご、誤解じゃ。いいからまずその手を離せ、落ち着け。小さい頃親に教わらなかったのか? 年寄りには親切にしろと」


「年寄りに親切にしろは言われたが、インチキ占い師に親切にしろとは言われていない!!」


「誰がインチキ占い師じゃ!! わしはお主を助けてやったんじゃぞ!?」



 その言葉でようやく寿の手が占い師の胸倉から離れた。開放されたヤツはぜぇぜぇと荒い呼吸を繰り返し、熱心に酸素を吸っている。


歳のよくわからない形相だが、実は老人に近い年齢で身体はか弱いのかもしれない。それにしても、助けてやっただと? この俺を?いつ? どこで? どんなふうに?



「わしがこのお嬢さんをこんな姿にしたのは彼女のためじゃない、お主のためじゃ」

「どういうことだよ!?」


「わしには未来が見える。俗に言う千里眼とか、未来予知とかいった能力じゃな。地道に修行を積んだ者だけが使える術だ。


その術を使って、わしは通りすがりのこのお嬢さんが恋人のお主を捨て、職場の、あの今澤とか言ったかな。その上司と恋愛関係になる未来を見抜いた。


その未来では当然、お主は捨てられることになった。ちょうどお嬢さんに会ったのが二ヶ月前じゃから、あのまま行くと今頃お主は失恋していたわけじゃな」



 言い返せなかった。そんな馬鹿な、何を出鱈目を、等と言い散らす意志すらなかった。そのぐらい、占い師の言葉は不思議な説得力を持っていたのだ。何せ彼が接触したことのないはずの今澤の名前がすらすらと出てきたのだから。


 呆然としている寿に、占い師はにやり、と笑った。にこっ、でもえへっ、でもなく、にやり、と形容するのが正しい笑い方だった。牙みたいに唇の端から突き出した八重歯が黄色っぽく光っている。



「わしも男じゃからな、お嬢さんが新しい男とくっつくのはまぁさておき、やはり男の味方が、情けないほうの味方がしたくなる。それでついでにお主の未来を読んでみた。いやぁ、あの時点でのお主の未来は悲惨じゃったよ。お嬢さんを失ったことで会社にすら行けなくなり、仕事をクビになり、引きこもって実家の親にも見離され、三十も半ばを過ぎたある日、首を吊ってあっけなく死ぬ」


「そんな……!!」


「繰り返すがわしは男の味方、情けなく弱いほうの味方じゃ。そういうわけで、お主を救ってやることにした。まぁ、年寄りの気まぐれじゃな」



 ふぉっふぉっふっぉふぉっふぉっ、と喉が壊れたような奇妙な発作のような変な笑い声が、白い病室に非現実的に響き渡った。もっと非現実的なのは、占い師が予測した寿の未来、正確には未来となるはずのものだった。梅干みたいな唇の間から飛び出したのは、あまりに悲惨な物語、いや物語にもならないほどの悲惨な話だった。



「そんな……嘘でしょう、俺が会社に行けなくなるとか、引きこもるとか、自殺とか……たかが、たかがこいつにフラれたくらいで」


「本当にたかが、なのか? お主にとってそのお嬢さんの存在は、たかが、の三文字で言い表せるほどのものなのか?」



 後頭部を棍棒こんぼうで打たれたような衝撃だった。寿は思わず振り返ってベッドの上のなごみを見た。その顔は既に死人と間違えそうに白く、今こうしている間にも少しずつ生命がその身体からこぼれているのかと思われた。



「違うはずじゃ。お主にとってのお嬢さんは、言うなればお主の全てじゃ。お主の一番大切なものじゃ。ある時はさほど意識しない、しかしないと生きていけない。空気や水のようなもの。違うかな」

「……」


「お主らの関係は二ヶ月前のあの時点でははっきりしない、互いにこのままでいいのかなぁと思いたくなるような、伸びきったゴムみたいなものじゃっただろう。しかし今度のことで、お互いに自覚したはずじゃ。


お主にとってお嬢さんがどれだけ大切か、お嬢さんにとってお主がどれだけ大切か。いわば二人はひとつの危機を乗り越えたことによって、ハッピーエンドというわけじゃ。つまりわしはさしずめ恋のキューピットとでも言ったところじゃな」



 もう一度ふぉっふぉっふっぉふぉっふぉっとしわがれた笑い声が空気を揺るがした。寿は占い師の笑いの発作が収まるのを、なごみの顔を見つめて待っていた。皮肉にも彼――今さっき自分で男だと言ったことで、性別がはっきりした――の、言う通りだった。


八年も続いていて、でもこの先どうなっていくかはわからない、結婚するかどうかさえハッキリしない、ダラダラした関係だった二人。そんななごみと寿は、なごみが小学生になってしまうという前代未聞の事態によって、危機を救われたのだ。それはまぎれもなく、こいつのお陰だ。あまり認めたくはないが。



「でもなんで、なぁごをこの姿に……? 他に方法もあったと思いますが」


「あの時は、あの箱しか手元になかったんじゃ。お嬢さんにパンドラの箱、願いが叶うといって渡した箱じゃな。あの箱には確かに術がかかっているが、箱を開けた者を子どもの姿にする効果があるだけで、願いが叶うといった作用はない。そもそも何もかも希望が叶うなんて、そんな都合のいい術はどこにもない」


「……」


「とにかくまぁ、緊急措置だったわけじゃ。あのお嬢さんと上司の今澤がくっつくのを阻止するにはこれだけが、わしがあの場で咄嗟に思いついた方法だったのじゃ。そのへんの事情、わかってくれるかのう」


「大体のことはわかりました、というかわかるように今努力してます……でも、今のこの状態は何なんですか? どうしてなぁごが意識不明にならなきゃいけないんですか?」


「それがわしがお主の前に姿を現した理由じゃ」



 急に細い目の放つ光が鋭くなり、寿はついたじろきそうになった。目の前の彼は確かに、間違いなく術者だ。インチキ占い師でも霊媒師でもただの老いぼれでもない。普通の人間とは異なる光が、その目から寿を刺している。



「この術の欠点は、術をかけられた者とそのパートナー以外の他人が、術をかけられた者の正体に気付いた時、効力を失うことだ。他人の魂が間に入った場合、その念が術の効力を壊すというメカニズムじゃな。その場合術は解け、術をかけられた人間の身体は崩壊する」


「そんな、崩壊、って……!! それってつまり、なぁごの正体が誰かにバレたってことですか! ?あ、そうか、この間お父さんが田舎から来たから、その時に……」



「いや、彼の場合、問題はない。彼は非常に無垢な魂の持ち主で、世間一般の親と同様、娘の幸せを願う真っ直ぐな思いしか持ち合わせていない。自分勝手な欲望とは無縁の、極めてクリアな魂じゃ。その場合正体を知られたとしても、彼の念がお嬢さんの身に影響を及ぼすとは考えられん」



「じゃあ、誰が……」

「今澤じゃ」



 寿の脳裏に一瞬で今澤に関する一連の記憶が蘇ってきた。何度もアパートに押しかけてきた今澤、なごみを思う口調に特別な思いさえ感じ取れたこと、そしてこの間、原宿で偶然とはいえ二人の会話を盗み聞きされた件……


「彼の場合は、お嬢さんの父親の場合とは違って厄介じゃ。彼の心はお主からお嬢さんを奪おう、自分のものにしてやろうという邪心に満ちておる。お嬢さんに対する恋心も、純粋に相手の幸せを願うというよりは、自分のために相手の心と身体が欲しいという、言わば子どもが高価なおもちゃをねだるような性質のものじゃ。そんな男だからこそ、お嬢さんとくっつけたくなかったのじゃが……」


「……」


「まぁとにかく今澤の念は、危険じゃ。自分勝手な邪な欲望に満ちた塊は、お嬢さん自身を破壊し、傷つける。急がなければ取り返しのつかないことになる」


「俺はどうすればいいんですかっ」

「念を消すことじゃ」



 またもや掴みかからんばかりの勢いの寿に、占い師は鸚鵡返しのごとく冷静に言い放った。寿はぽかんとするしかない。念を消す? そもそも術とも魔法とも今までまったく無縁だった寿にとっては、いきなり念どうこうの話をされてピンとくるわけもなかった。



「今澤の魂を洗い清め、邪悪な欲望をそっくりそのまま、消し去ってしまうことじゃ。でもまぁ、これは不可能といっていいだろう。いくらわしでも人の心を操ることはできん。術によって状況を変え、人を導くのがわしに与えられた力じゃからな。ああいう魂の持ち主が改心することなど、まずないといって良い」


「じゃあどうするんですか!!」

「いっそのこと、今澤そのものを抹殺してしまえばよかろう。それで当然、念も消える」



 彼は顔色ひとつ変えずに言い放った。寿は文字通り頭から冷や水を浴びせかけられた気がした。抹殺。その一言で、みるみるうちに全身の血液が冷えていく。



「今澤そのものを葬り去るか、もしくは万が一の可能性にかけて、彼を改心させるか。どっちの方法を取るかは、お主に任せる。急ぐのじゃ、時間がない。この術は実はかなり多くのエネルギーを使う。


本当ならとっくに解けるようなものなのじゃが、お嬢さん自身がこのままでいたい、ずっと子どもの姿でいたいという念を強く持ち過ぎたため、こんなに身体がボロボロになるまで、術の効力が続いてしまった……


急がないと、彼女の身体が持たない。しかし術を解くにも、今澤の念をどうにかしないことにはこちらから何もできないのじゃ」



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