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第四章 新米先生とイケメン社長(1)

 黒板の前のなごみに三十六人分、七十二個の瞳が集中する。度胸は一人前の立派な大人であるなごみも、さすがに緊張した。


今この空間を支配しているのは自分だという気がした。自分の一言が、自分の一挙一動が、この場の全てを担っていると思った。



「堀切なごみちゃん、自己紹介をお願いね」



 内原梨沙子うちはらりさこという名前の若い教師が、甘ったるい声でなごみに言う。白い肌もふわふわとした髪も全体的にほわんとした雰囲気を作っていて、なかなかの美人だ。(本来は)二十六歳のなごみよりも、少し若いくらいだろうか。



 年下に気遣われて、失敗するわけにいかない。それに後ろには寿もいる。覚悟して大きく息を吸い込んだ。ガヤガヤとうるさかった教室の中が急に静まり返った。



「堀切なごみです、お父さんの都合で引っ越して、今日からこの学校に通うことになりました!よ ろしくお願いします!!」



 一気に言って、ペコッとお辞儀する。我ながら小学校一年生にしてはよくできた挨拶だったと思う。ぱらぱらと拍手が鳴った。



「じゃ、俺はこれで……先生、後はよろしくお願いします」

「はい、大丈夫ですよ」



 梨沙子が顔をとろけさせて、わざわざ仕事を抜け出しやってきた寿を廊下に送り出す。寿が少しデレデレしているのがわかって、なごみは面白くない。いつのまにああいうお嬢さん系がタイプになったんだろう。


 そもそもの発端は、なごみがスーパーで職務質問されたことだった。



「君、お家のお手伝いかい? 偉いねぇ」



 背伸びして棚の上のものを取ろうとしていたなごみに、制服姿の警官が声をかけた。口調は優しいが、目は笑っていない。


ずっと寿の家にいても退屈なだけなので、昼間のなごみは自然と専業主婦になってしまう。朝のうちに掃除と洗濯を済ませ、昼は買い物。


夕方のスーパーは混み合うので、買い物は明るいうちに済ませることにしていた。しかしそれが、こんな事態を招こうとは。



「学校はどうしたんだい? 今だとまだ、四時間目ぐらいの時間だよね?」


「えっと、その、今日は、風邪でお休みしてて……」


「風邪かぁ、その割には元気そうだけど。お家まで送っていくよ。お名前は?」


「え、えっと……お、おしっこぉ!!」



進んでやりたくはない芝居だけど、一番有効な手段だった。案の定警官は慌て、なごみを女子トイレに連れて行く。


奴はトイレの前から一歩も動かないので、なごみは本物の犯罪者みたいにトイレのドアから脱出し、ポリバケツの上に着地した。


家へ帰る間、心臓が駆け足をやめなかった。もしあそこで捕まっていたら、どういうことになっていただろう。


交番に連れて行かれたら。自分が津幡なごみだということがバレてしまったら。このとんでもない事態が第三者に知られることとなったら。


 実験動物のように研究室に連れて行かれ、檻に閉じ込められている自分の姿が浮かんだ。


 その夜、帰ってきた寿にその話をすると、寿は至って真剣に言った。そんな姿をしている以上、学校に行かないと怪しまれるんじゃないか、と。


 よって津幡なごみは堀切なごみとして、寿の娘という身分で小学校の一年生に転入することになった。堀切なごみ。実はずっと、憧れていた名前だ。そんなことはもちろん寿には言えなかったが。それに「妻」ではなく「娘」だけど。


 学期の途中という中途半端な時期にやってきたなごみに対し、子どもたちはそれぞれ丸い目を輝かせ、興味津々だった。



「ねぇねぇ、なごみちゃんのお父さんって、若いよねぇ」

「うちのパパよりもかっこいいー」

「なごみちゃんも可愛いよね」

「へっ、なんだよあんなの。ブッサイクじゃん」



 身体も声も周りの子どもたちよりひときわ大きい男の子が、居丈高いたけだかに言い放った。いくら子どもの言うことだからって、さすがにムカッとくる。



 ぱんぱん、と梨沙子が手を打った。しかし騒ぐのをやめたのはほんの一部だけで、なごみを「ブッサイク」と言い放ったあの子は、教室の真ん中でまだ大声ではしゃいでいる。



「それじゃあなごみちゃんの席は、千瀬ちせちゃんの隣にしましょう。この子が村山千瀬ちゃん。千瀬ちゃん、なごみちゃんにいろいろ教えてあげてね」



 なごみの席は窓側の一番後ろの、たまたま開いているところになった。隣の村山千瀬というおさげ髪の子は人見知りなのか、少しはにかんでいる。


それでもなごみを見てぎこちなくニコッとして、「よろしくね」と挨拶した。さっきの悪ガキみたいな子が隣じゃなくてよかったと、なごみは心からホッとしていた。



「それじゃあ今日は、たし算をやりたいと思いまーす。みんな、教科書の二十ページを開いてー」



 転校生を迎えるセレモニーがひと通り終わり、授業が始まる。しかし梨沙子がチョークを手に取り、授業を始めても一向に教室内は静かにならない。


きちんと教科書とノートを開き、梨沙子の話を聞いているのはなごみと千瀬と、他はほんの数人の女の子だけだ。「ブッサイク」の悪ガキは、隣の席や前の席の子たちとのおしゃべりをやめようとしない。



「みんな、静かにしてー。特に嵐くん」



 梨沙子が名指しで注意したので、悪ガキの名前が嵐だと判明した。嵐。教室荒らし。ぴったり過ぎるネーミングだ。


嵐は先生に注意されてしょげるどころか、あまのじゃくになってますます騒ぎ立てる。完全に若い女の教師をなめていた。


ついに席を立ち、友だちと仮面ライダーごっこまで始めるので、さすがのなごみも呆れてぽかんとしてしまう。


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