「と、とにかく、しばらく入院はしないといけないわけだし……仕事のことは、何とかしておかないと……」
子どもらしく聞こえるように注意しながら、なごみがおずおずと言った。実際的な椿の頭はすぐに切り替わる。
「本当にそうよね、今澤さんにもそう説明しておかなきゃいけないし……もう、なごみったらまったくこんな時に何やってるのよ! せっかく大事な仕事任されたばっかりなのに!!」
「……」
「それにしてもしっかりしてるのねぇ、あなた。今何歳?」
椿に聞かれ、なごみは少し口ごもる。自分が正確には今何歳か、なごみ自身にもわからない。とりあえず今の年齢から二十マイナスしておく。
「小学一年生、六歳です……来月で七歳になります」
「そうなんだぁ、本当にお利口さんね。じゃあ寿くん、とりあえずわたし、今日は帰るわね。なごみの容態に変わったところがあったら、すぐ連絡してくれる?」
「うん、わかった」
「小さい子と一緒で大変だろうけど、頑張るのよ?」
親友の命の危機というヘビーな問題(嘘だけど)に直面しても、椿は強い。最後はちょっと悲しそうながらも笑顔を見せて、寿のアパートを後にした。
バタン。扉が閉まり、椿のミュールが速足で階段を下りて、やがて聞こえなくなる。再び二人きりになると、なごみと寿の間にはさっきまでにはなかった緊張感が漂っていた。
寿がいきなり、先制攻撃をかけた。
「どういうことなんだよ合コンって!!」
予想はしていた展開だったが、なごみもうまく即座の受身が取れない。寿の自分を責める瞳から目を逸らすのが、精一杯だ。
「それはその、椿にしつこく誘われて断れなくて……」
「椿ちゃんのせいにして! 本当は自分が行きたかったんだろう!?」
「違うよ! 別に誰ともライン交換とかしてないし」
「本当!?」
「本当よ、ほらスマホ」
パジャマのポケットに突っ込んでいたスマホのロックを解除して見せると、早速寿はかじりついた。疑惑はとりあえずこれで晴れるだろう。しかし、それよりも。
「それよりも、わたしの話聞いてよ」
「何? お前の浮気以上の問題があんの?」
「浮気って、別に合コンしただけだし……まぁいいや。だからさ、ほら、仕事のこと。もしずっとこのままだったら、仕事だってやめなきゃいけないでしょう?」
実はなごみが朝からずっと考えていたのは、そのことだった。一日や二日で元に戻るならいいが、そうならなかった場合の話だ。
今の姿で津幡なごみと名乗っても仕事仲間は誰も信じてくれないし、六歳の女の子がCGクリエイターとして働くわけにもいかない。
「嫌になっちゃう、もう。仕事やめる、なんて……」
「……」
「椿もちらっと言ってたでしょう?わたし、大きな仕事任されたばっかりなんだ。せっかく今まで頑張ってきたのに、ようやく、やっと、一人前になれたのに……」
なごみが選んだ場所は、それなりに厳しい業界だ。才能と実力と運が物を言う世界。せっかくいい美大を出ていても、挫折してやめていく人が毎年何人もいる。そんな中で、なごみは生き残ってきた。
別に自分にそれほど才能があるとは思っていない。だから、人一倍努力した。勉強して、努力して、それで足りない才能を補った。なごみはそうやって、どうにか一人前のCGクリエイターに成長したのだ。
だからこそ、寿の次の一言は聞き捨てならなかった。
「別にいいじゃん、仕事なんか」
「……どうしてそんなこと言うの!?」
なごみの剣幕に、寿は少なからず驚いているようだった。
「いや、だって、仕事なんて別に他にいくらでもあるじゃん。なぁごの歳ならまだまだ、転職のチャンスはあるだろ?」
「……」
「そりゃ、この不景気じゃ今すぐってのは厳しいだろうけど。それ以前にその容姿じゃちょっと、ねぇ」
そんなことはわかってる、そんなことはわかってるのだが。
返す言葉がなく、なごみは拳を握り締めたまま下を向いた。寿とてなごみがどれだけ今の仕事が好きか、どれだけCGクリエイターになるために頑張ってきたか知っているはずなのに、何でそんな言い方をされなきゃいけないのだろう。
なごみが寿に言ってほしかったのは、そういうことじゃない。
「もういい、わたし帰る」
「おい、ちょっと待てよ……!」
一人になりたかった。一人でアパートの部屋に戻って、お風呂を入れて、ラベンダーの香りの入浴剤をたっぷり入れて、ゆっくり考え事をしたかった。これ以上寿に気持ちを乱される前に。男の前で泣いたり怒ったりするのは、なごみは好きじゃない。
しかし、寿に腕を掴まれて振り向いたなごみは泣く直前の顔をしていたのだろう。寿はちょっと目を見開いた後、本当に六歳の子どもに言うように、優しい声を出した。
「中身は大人でも、今のお前は六歳の子どもなんだ。夜に家に一人きりってわけにはいかないだろ……」