「こんな単純なミス、新入社員だってそうそうしないわよ。まったく、注意ひとつすれば防げることを、なんで注意しないの、ねぇ
副島さよりは興奮を抑えているが、語尾が怒りで震えている。
眼鏡の奥の瞳が鋭く寿を見据えていて、寿は俯いてはぁ、と言うしかない。寿はこの女性の上司を苦手としていた。
「はぁ、じゃないでしょ、はぁ、じゃ。前も同じミスをしたわよね? 本当に反省してるの!?」
「はぁ」
「だからはぁ、じゃないって言ってるの! いい歳して、いつまで新人のつもりでいるの!」
理性の堤防を越えて、押さえつけていた感情が唾と一緒にほとばしる。寿はさよりの剣幕に
反省の色が見えない態度についに怒る気力も削がれてしまったのか、さよりが深いため息をついて手を振った。
「もう下がっていいわ。さっさと仕事に戻りなさい」
最後にもうひとつはぁ、と気の抜けた返事をして180度ターンする。さよりの厳しい言葉のお陰で、オフィスには緊迫したムードが漂っていた。後輩も含め、みんなの前で怒られるのは寿だって悔しい。
しかしその悔しさをバネに頑張ろう、という前向きな結論には至らず、反抗期の中学生みたいに不貞腐れることしかできないのが、寿だ。
「副島さん、何か虫の居所でも悪いんですかねー。朝からピリピリして」
後輩の根本が横から話しかけてくる。先輩先輩、とひたすら纏わりついてくるのをいつも鬱陶しく思いつつ、振り切れない。
「別に普通じゃない? 副島さんはいつもああだし」
「まぁ、そう言われりゃそうですけど。そういえば堀切先輩、二課の寺井さんが会社辞めるの知ってます?」
「辞めるの? 寺井が? 何で?」
寿と同期入社でそれも寿と同じく中途採用ということで、寺井とは割と仲良くしている。東南アジア系の濃い目の顔立ちに東北訛りが特徴の、イケメンと言えばそこそこイケメンの男だ。
「なんでも寺井さん、会社起こすらしいんですよね。学生時代の同級生と先輩と、三人で」
「マジで? すげぇなぁ。不景気不景気つっても、やっぱいいとこはいいんだなぁ」
「まぁ、俺らには関係のない話っスけどね」
さよりの刺すような視線が自分たちに投げられた気がして、そこで会話は中断してしまった。
勤務中の私語はやめたが、寿の頭の中には寺井のハンサムな顔と、彼が会社を辞めて独立するのだという事実がぐるぐる回っていた。