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第一章 デキる女とダメ男(2)

「そりゃさ、やめるべきだよ。ダメ男は絶対ダメ男のまんまだもん。自分が改心させてやるとか、そういう女が却ってダメなのにハマっちゃうんだって。


なごみ目ぇ覚ましなよ、うちら今年二十七だよ? 不毛な恋愛してる暇ないんだって」



 不毛な恋愛。アラビアータをフォークで絡めながら、椿はなごみの悩みをバッサリと切り捨てた。


なごみはバジリコスパゲティを巻きつけたフォークを口に入れるのを躊躇ためらうように、皿の端でもてあそんでいる。


 オフィスの近くにあるこのイタリアンレストランは、ランチでは八百九十円で本格的なパスタとサラダとコーヒーとデザートのセットを出すとあって、昼時はOLたちですし詰め状態だ。


どのテーブルでもなごみと椿と同じようなOLの二人組が、パスタを目の前におしゃべりに花を咲かせている。



「んー、やっぱりそう思う?」


「そう思うよ。話聞いてたら、あたしでも寿くんとは付き合わないって思うもん。でも前はそんなんじゃなかったでしょ? どうして変わっちゃったの」


「バンド辞めて今の会社に入ったから、だと思う。夢を諦めて、糸が切れたみたい」



 なるほど、と椿がアラビアータを口に放り込んだ。なごみもならってバジリコスパゲティを噛み砕いた。とっくに冷めていた。



 同じデザイン事務所で働く椿とは同期入社で歳も同じで、自然とプライベートを共にする仲に発展していった。



仕事仲間でライバル。しかし誰よりも気が合うし、仲がいい。大人になってから親友と呼べる存在にめぐり合えるのは、貴重なことだろう。



「やっぱさぁ、そろそろ潮時なんだよ。いい加減寿くんはやめて、将来を見据えてくれるちゃんとした男と付き合ったほうがいいって」


「うーん、そう言われてもなぁ。今さら新しい恋愛する気になんないんだよね」


 我ながらオバサン臭い発言だな、と言ってから少し反省する。



「そっか。そういえばなごみ、寿くん以外の人と付き合ったことないんだっけ」


「正確に言えば高校の頃、クラスメートと三ヶ月くらい付き合ったことあるけどね」



 それは昔の高校生みたいな、清くて可愛らしい恋愛の域を出ていなかった。


別になごみとその相手が今どきの高校生にしては珍しく真面目だったわけではなく、単にそういう関係になるまで盛り上がらなかった、というだけの話だ。


だから結局、東京に出てきた十九歳の年に付き合い始めた寿が、なごみの「初めて」の相手になった。



 八年も付き合っていれば、そのへんの新婚カップルよりずっとお互いのことを分かり合っている自信がある。


いいところも悪いところも、かっこいいところも情けないところも、お互いがお互いのあらゆる部分を知り尽くしていると思うし、それは決して嘘じゃない。


でも、だったら最近ことあるごとに感じる、スケートリンクに入ったひびみたいに細いけれど決定的な二人の摩擦を、どうして埋められないんだろう。


寿とずっと一緒にいてこれから家庭を作っていきたいなごみに対し、寿はそういったことをまだ遠い未来の話だとしか考えていない。これはなごみにはどうしようもできないことなのか。



「八年!? うっそー、もうそんなに長いの!?」



 八年と口にしただけで、椿は大袈裟に驚いていた。目の前のアラビアータが0・5秒目を離した隙にカルボナーラに変わってたとしても、ここまで驚きはしないだろう。



「すごいなぁ。あたしなんか同じ男と一年以上続いたことないのに」


「椿さぁ、そんなこと言ってるからこのトシで独身で彼ナシなんだよ」


「痛いとこ突くなぁ。てかあたしのことはいいから、あんたの話でしょ。それさ、おかしいよ。八年も付き合っててプロポーズの兆候、ゼロでしょ? おかしくない?」


「だから悩んでるんだって」



 寿は巧妙にそういう話を避けているように見える。テレビを見ていて結婚情報誌のCMが流れると新聞を広げ出すし、ドラマやバラエティで結婚式のシーンが出てくるとトイレに立つ。


一度、デート中に通りがかったチャペルで結婚式の真っ最中であるカップルに遭遇し、さりげなくあの二人幸せそうだねーと口にしてみたが、寿はそっぽを向いて、そうだなと呟いただけだった。


寿の左腕に自分の腕を絡め、大人らしくもなくはしゃいでいたなごみの期待は、パンクした自転車のタイヤのようにむなしくしぼんでいった。



「だからさぁ、いい加減もう無理なんじゃないの? 倦怠期がそのまま普通の状態になっちゃったっていうか。なんかさ、長く付き合っていれば結婚するかっていうと、結構そうじゃなくない? うちらの周りだと、大抵二、三年付き合って結婚してくしさ」


「んー、そう言われたらそうなのかなぁ」


「なごみさ、寿くんバッサリ切って、新しいの見つけなよ。それか寿くんと付き合いながら、新しい男探すのだってアリだと思うし。とにかく一度、合コン付き合って」


「もう、またその話」



 専門学校時代も含めて、なごみは合コンというものに行ったことがない。ずっと寿と付き合っていたし、それに合コン、という軽い響きが気に食わない。


軽い言葉からは、遊び半分の軽い恋しか得られないような気がしてしまうのだ。



「なごみはさ、視野が狭いんだよ。ずーっと寿くんとだけ付き合ってるから。合コンしていろんな男に接したら、気が変わるって」


「ふぅん、視野、ねぇ……」



 目の横に開いた両手を置いて、箱の蓋みたいに閉じたり開いたりしてみる。それがそんなに面白いのか、椿が女子高生みたいにケタケタ笑い出す。


案外、椿の言う通りなのかもという気がしてきた。なごみはずっと寿と付き合っていて、寿以外の男を知らない。他の男に接してみれば、新しい世界が開けてくるだろうか。



 何か言おうとすると、その前に椿がぎょっと目を見開いた。視線がなごみの背後で静止している。


何かと思って振り向けば、会社の社長である今澤がやや複雑そうな顔つきでなごみと椿を見比べていた。



「今澤さん」


「いつからそこに」



 なごみと椿の声が重なった。今澤がふっと相好そうこうを崩すと、四十過ぎにしては若々しい顔の目尻に、くしゃっと笑い皺が寄った。



「ずっといたよ、席が君たちに背を向けてる位置だったから、気が付かなかったんだね。八百九十円のランチに釣られて入ったんだけど、ここは女性ばっかりで肩身が狭いし、その、おしゃべりが楽しそうだったから、声もかけづらかったんだ」



 言い訳がましくない爽やかな口ぶりと微笑だった。一体自分たちの話をどこまで聞かれてたんだろうか。


赤くなるなごみとさすがに気まずそうな今澤の間を、椿がうまく繋げようとする。



「もう、今澤さんったら人が悪いですー。女のおしゃべり立ち聞きするなんて」


「立ち聞きじゃないよ、座り聞き。二人は何頼んだの? アラビアータとバジリコ? うん、それもおいしそうだね」


「今澤さんは?」


「カルボナーラ」


「あぁ、カルボナーラおいしいですよね。でもカロリー高いんですよ、生クリームだから」


「え、そうなの。ヤバイなぁ、もう中年だから、そろそろメタボ気にしないと」



 椿が笑いながらなごみに目配せする。合わせて口元を笑いの形に歪めつつも、今まで自分が何を話していたか。それを思い出すことばかりに、神経が集中していた。


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