昨晩ベッドに入ったのが夜中の3時ごろ。干してもらったばかりの布団はふかふかと自身の体と双子の体を包み安眠へと誘ってくれた。太陽の光が崖の下のこの館を照らし出す頃、モゾモゾと動く気配と共に人間湯たんぽが二つ、布団から抜け出ていくのを感じた。布団から降りた双子はお互いに小さく朝の挨拶をすると太陽が本格的に降り注ぐ前に寝室のカーテンをまだ眠りたい主のために引いて足音を殺しながら寝室から出ていった。いつもこの時間は大体7時ほど。あと最低4時間はここに包まって寝ていられる。もう一度深く布団に潜り直すとカーテンの引かれた窓に背を向けるように寝返りを打ち再び夢の微睡の中へ吸い込まれていった。
いつもこうしてベルベットはお昼ごろまで安眠を感受している。あまりにも起きてくるのが遅ければ双子に起こされる日もあるが、お昼前までは己の生理的欲求に従って寝具の上で転がるのが許されている。今日もそのはずだった。
「ちょーっとぉ゛!!!!どこにもないじゃなぁ゛い!!!」
だが無情にも、ベルベットの優雅で平穏な朝はとあるオネエの爆音によって抹殺された。
無視を決め込んで寝てやろうかとも思ったが同じフロアを駆け回る音や何かをひっくり返す音、双子も楽しくなって宝探しに混ざっているのかいつの間にやら会話をする声と笑い声さえも聞こえ始めた。
「うるさい…やかましい……」
締め切ったカーテンの隙間から漏れ出る白い光が刺す時計をどうにか少し身を起こしてみれば午前9時。早い。早すぎる。何でこんなバカみたいに早い時間から館を宝探ししているんだ。目をつむり、何度も寝返りをうつが騒音によって夢への扉は固く閉ざされてしまったようでイライラしながらベットから降りてスリッパを履き、ノロノロとリビングへ向かった。いつもは後ろに流している長い前髪も寝起きではそうもいかず眠気で歪む視界をゆらゆら影のように揺れていた。
「……うるさい……。」
「あ、ベルちゃんおはよう」
「ベル様、おはよう」
「ベル様。今日早いね…」
「誰のせいだと思ってるんだ……まだ早朝だぞ……」
「早朝?まだ9時過ぎだけど。」
「だから早朝だと言っているんだ阿呆……」
「アンタいつもいつまで寝てんの?」
「ベル様いつもお昼まで寝てる…」
「ベル様お昼ごはんまで…」
「寝過ぎね。たまにはシャキッとしなさいよシャキッと!」
明るすぎて目が痛い。それに寝起き一発目でどうしてこんな賑やかな人間の相手をしなければならないんだ。ため息しか出ない。この賑やか集団が一瞬でも家から出ていってくれたらもう一度安眠できる気がする。寝ぼけた頭でもどうやら自分は天才らしい。ある考えを思いついて口を開いた。
「モノ、ジノ。そこのうるさい男を…」
「男????乙女ね」
「…乙女を連れて買い物に行ってきてくれないか?」
「…お買い物?」
「…おつかい?行っていいの?」
「嗚呼、やかましいのが一瞬でも家からいなくなってくれれば僕はもう一度眠れるし…りんごを買ってきて貰えればアップルパイが作れる」
「アップルパイ…」
「サクサクパイ…」
「それにそこの乙女はお金持ちだからな…何かうまいものでも買ってもらえ」
「ちょっとベルちゃん!?何言ってんのアタシも行くの?!」
「…カオル子ちゃんモノとお買い物いや?」
「…カオルちゃんジノとお出かけいや?」
「嫌なわけないじゃないかわい子ちゃんたち!でもアタシ上のところで騒動起こしてるのよ?大丈夫かしら、それだけが心配なんだけど」
「嗚呼、その点か……ちょっと待て」
そう言い残すと来た時と同じようにふらふら揺れながらベルベットはリビングから姿を消した。残された3人は突然の買い物に首を傾げるも楽しみな気持ちは拭いきれないのかモノとジノはカゴを用意し始めた。
「りんご…りんご…アップルパイ…」
「サクサクのパイ…アップルパイ…」
「2人ともアップルパイ好きなの?」
「うん…大好き」
「うん…美味しいよ…」
「今日はそのアップルパイの材料をおつかいに行くのねぇ。ベルちゃんが作ってくれるの?」
「ううん…モノとジノで作るの」
「そう…2人で作るの」
「結局ベルちゃんは何にもしないんじゃないの!」
アップルパイに関する話で盛り上がっていればしばらくしてベルベットがまた幽霊のように現れた。今度は手に何かを持って。
「コレ…つけてけ……」
「あ、おかえりベルちゃん。ってそれ何?紐パン?」
「突っ込まないからな僕は。コレをつければお前のことは誰もあの時のオネエだと気がつかないだろ。」
「どうやってつけるの?てかコレほんとに何」
「顔につける…こっちこい…」
手招きをしてカオル子が自身の目の前にくれば黒い布に金色の魔法陣のような模様が書かれた物を黒子がつける顔隠しのようにカオル子の目から下へつけて後頭部で結んだ。それをつけられても特段カオル子に変化が生じることはなく不思議そうに首を傾げた。
「コレをつけていれば…お前の存在は認識できるが記憶がぼやけて顔の特徴は判断されまい…ただ外れれば…顔がバレるから気をつけろ…僕は寝る…」
「あ、ありがとう…え、ほんとに行けるのコレ?」
「なんだ…僕を疑っているのか…」
「いやアンタがすごい魔法使いだってのは知ってるから疑わないけど」
「じゃあいいだろ…早く行って来い…」
「行ってきます、ベル様」
「行ってくるね、ベル様」
双子が眠そうなベルベットにまとわりついていけば眠く不機嫌そうだったベルベットも彼らの頭を優しく撫でていた。本当に彼らを召使いとして扱っているのか愛しているのかわからない。ひとしきり撫でられるのに満足すると双子はカオル子の横に戻ってきた。
「嗚呼…お前の金は…お前の部屋の引き出しに入れてあるから…」
「うん。さっき魔法石探してたときに見つけたから大丈夫」
「そこから1200ペカ…もらったから…」
「何でよ」
「洋服やったろ…」
「えぇ、貸してくれたんじゃなかったのね…」
「うるさい。ほんとに早く行ってくれ…」
「わかったわよ…行ってきまーす!」
「いてきます…」
「おやすみベル様…」
3人はベルベットに手を振ると手を繋いで玄関へと歩いていった。玄関の場所はわからなかったが双子が案内してくれて無事に大きなステンドグラスがはめられた玄関へとたどり着いた。そこで双子が小さな靴を履いているのを見て気がつく。
「待って、アタシ靴ない。」
「ベル様が…コレ履いてけって…」
「ベル様がコレって…」
双子が靴箱から取り出したのは茶色い皮が巻き付いたようなデザインのサンダル。傷も汚れも見受けられず保存状態の良さから新品かと疑ってしまう。聞けばどうやら昨日のうちに用意してくれたモノだそうでなんだかんだ面倒見の良い男だとつくづく思ってしまう。履き方をレクチャーしてもらって足に入れればピッタリだった。
「履けたわ!」
「じゃあいこ…」
「レッツゴー…」
重い扉を双子が開ければ新緑の光が太陽の光と合わさって目に飛び込んでくる。三週間ぶりに感じるリアルな外にただの風景にも関わらずため息が出た。一歩玄関から足を踏み出せば体を吹き抜ける風が包んでいく。外に出てきた双子と手を繋いで敷地内にしっかりと整備された石の道をゆったりと歩いていった。
「それにしても立派な館ね。これがオンボロな館だったなんて信じられないわ」
「ベル様が綺麗にしたから…」
「ベル様すごいから…」
「あの人がすごいってのはアタシにもわかるわ。」
振り返れば日光の光を浴びているにもかかわらず影がかかったかのような灰色の大きな館。2階にあるあの隅の窓が開けっぱなしになっている部屋がカオル子の客室だろう。外から見ると建物は3階分の高さがあることがわかった。3階はまだいった事がないから帰ってきてから見ようと決心してトコトコかけていく双子を追いかけた。
暫く歩けば館を隠すようにあった小さな森を抜けて山道に入る。ただ道はあの上の街のように茶色で乾いていてどうやら整備はされているよう。いつもの散歩道だというその道をズンズン進んでいけば少し離れたところに小さな川とその川の側面に聳える高い高い崖があった。
「もしかしてアタシが落ちてたのってあの川?」
「うん…熊さんが寝てるのかと思ってた」
「そしたら、カオルちゃんだった…」
「死んでたと思ったけど…」
「近くに行ったら生きてた…」
「すごいわねアタシ、あそこから落ちて今こうして元気に歩き回ってるなんて」
「ベル様が治してくれたんだよ…」
「ベル様が良くなれーって」
「そうね。ほんとに感謝してるわ。」
「ところであの崖を登っておつかいにいくんでしょ?どうやって登るの?地図で見たけどこっちじゃなくてあっちの山を越える道じゃないと上に行けないんじゃないの?」
「ううん…モノたち上がれる」
「上がるとき、一緒ね」
「うん?何登るの??この崖を?」
疑問のまま小川に並ぶ石を歩いて崖に触れることができる距離まできた。モノは右手に籠を持ち、ジノは左手にお財布のようなあの日の巾着を握っていた。カオル子はその双子の真ん中に入って手を繋ぐように促された。
「え、これどうするのよ」
「
「
双子はカオル子の手を握りベルベットが良くするように何か呪文のようなものを唱えた。何事かと思っていると今まで顔を撫でる程度だった風が突然ピタリと止み、瞬間足元から突風が噴き上げて3人の体を勢い良く押し上げた。
「え、ちょ、っ何これぇええええ!!!!」
「こうやって登るの…」
「簡単でしょ…?」
絶叫をぶちかますオネエと違って両サイドの双子はいつもと変わらない表情を見せる。風が吹き荒れると共に一気に高度は上昇しあっという間に上へ上がっていく。起こる風に顔に掛けられた布と長い髪はは旗めいた。そうしてふっと草むらに両足がつく。あたりを見れば明るいため景色が異なって見えるが丁度カオル子が落ちた宿屋の突き当たりだった。その間僅か3秒程度。びっくりして体の力が抜けたのかへたへたとその場に座り込んでしまった。
「ど、どうなってるの……」
「モノもベル様とお揃い…」
「ジノもお揃いなの…」
「アナタたちも魔法が使えちゃうのね…羨ましいわ…」
そういうのが精一杯だった。あまり長い間ここに座っていても目立つので双子に引きずられるようにして宿屋が立ち並ぶ通路へと移動した。あの草原からそのまま道に出ると怪しまれるため人の目を避けようといつもこの宿屋の裏から表の道へ出ているらしい。引きずられながらどうにか体制を整えて立ち上がり表の道へ出るとそこには賑やかな通りが広がっていた。
建物と建物の間に紐で吊るされた三角の旗のようなものがいくつもぶら下がりどこかで演奏しているのだろう、風に乗って管弦の音も聞こえる。三週間前の様子はあまり覚えてはいないがそれでもその日よりは街全体が賑わっていることがわかった。彼方此方に常駐する店ではないのだろう、屋台のようなものがずらりと並んで空きっ腹を刺激する良い香りがあちこちから漂っていた。
「わぁ!お祭りみたい!」
「お祭り…」
「すごぉい…」
「モノちゃんジノちゃんはお祭りきたことあるの?」
「3回くらい…ベル様と」
「ベル様に…3回くらい」
「そうなのねぇ、でも何回きてもやっぱりお祭りは楽しいわよね!」
「カオル子ちゃんは行ったことある?お祭り…」
「カオルちゃん、お祭り知ってる?…」
「ええ勿論!アタシの仕事場の近くで年に一回たっくさん屋台が出るのよぉ。花火も上がったりしてとっても綺麗なんだから!」
「すごいね…」
「行ってみたいね…」
「アタシのところに遊びにきたらたっくさん見せてあげるわ!」
「楽しみ…」
「うん楽しみ…」
3人でお祭りを眺めているとくぅ…と間抜けな音がカオル子から上がった。食欲を刺激する香りで腹の虫が鳴いたんだろう。くすくす双子ちゃんに笑われればポケットに捩じ込んだ札束を取り出して見せた。
「すぐ帰っちゃってもベルちゃん怒ると思うから…折角だし遊んじゃいましょ!」
「え…いいの…?」
「いいの?…」
「もっちろん!お金はアタシが出してあげるから美味しいものいっぱい食べましょ!」
双子に体を挟まれる形で手を繋いでルンルンで祭り屋台へと向かう。この地に在住している人以外も多くいるのだろう。双子が歩いていても先日のように心無い言葉や目線をかけるものはいなかった。自分の心配より双子のことを心配しまくっていたカオル子はホッと肩の力を抜いてブラブラ呑気に土の押し固められた道を歩いた。
「そこの兄ちゃん!見ていかねえか!」
「あら、アタシかしら?」
「そうそう!そこの子供連れた兄ちゃんよ!買ってかねえか?いちごにぶどうにりんご!たっくさん揃ってるぜ!」
屋台の一軒から声をかけられてよってみるとそこには宝石のように輝く飴でコーティングされたフルーツが所狭しと並んでいた。綺麗と呟けばモノとジノは何とか背伸びをして屋台を覗こうとする。幼い2人では身長が足りず満足に屋台を見ることもできないんだろう。モノにポケットから出したお金を手渡して右に抱き上げ、ジノにはお財布と買い物籠を持たせて左に抱き上げた。重いかと思っていたが思いの外軽く、案外簡単に双子を抱き上げることができた。
「わぁ…綺麗…」
「宝石みたい…すごぉい…」
「ウェスティアでできた果物だぜ〜坊主。どれも一個300ペカ!どうだい食ってくかい?」
「じゃあアタシはいちごにしような〜!モノちゃんジノちゃんは何にするの?」
「え…?」
「んん…?」
何が欲しいか聞けば腕に抱かれた双子はしたからカオル子を見つめて目をぱちぱち。不思議そうに首まで傾げている。
「どうしたの?いらなかった?」
「モノたちも食べていいの…?」
「ジノたちも選んでいいの…?」
「当たり前田のクラッカー!いつも美味しいご飯作ってくれるからそのお礼として今日のお祭りはアタシに奢らせてくれないかしら」
「でも…」
「お金ベル様からもらってる…」
「おねがぁい、奢らせて、ね?」
「……モノみかんがいい…」
「……ジノぶどうにする…」
「そうこなくっちゃ!おじさん!いちごとみかんとぶどう一個ずつくださいな!」
「はいよっ三つで900ペカね!」
「大きいのしかないんだけどいいかしら」
差し出された商品をジノが受け取ればモノがそれに対してカオル子の札束から一枚抜いて店主に差し出した。店主は少し驚いたような顔をするも細かいので申し訳ないと1000ペカ札を9枚と銀色の軽い硬貨を一枚、モノの小さい手にしっかりと握らせた。
「また買いに来てくれよ〜!」
「ありがとう〜!」
抱き歩きながらモノとジノに食べることを勧める。棒に刺さった果物に琥珀色の飴が薄くコーティングされた物。それを2人で持つと恐る恐る小さい口にかりっと良い音を立てて頬張った。
「……!!」
「…!」
「どう?美味しい?」
「飴、サクサク…」
「果物、じゅわぁ…」
「モノこれ好きかも」
「ジノも好きかも」
「気に入ってくれたようでよかったわぁ!アタシもこれ大好きなの!アタシの世界ではもうちょっと高いからここの屋台は良心的ね。」
「カオル子ちゃん、はい」
「カオルちゃんも食べて」
「あらあら、ありがとう食べさせてくれるの?」
双子を抱いていて腕が使えないのを見てか双子はカオル子が選んだ飴を口へと差し出してくれた。感謝して頬張ることにすると琥珀の殻を破ると同時に甘いいちごの果汁が口内を浸していきなんとも言えないおいしさ。これは一本600円でも購入するJKの気持ちがわからんでもない一品だった。
「んん!美味しい!モノちゃんたちもいちご食べる?」
「いいの…?」
「……食べる」
小さな口でいちご飴を頬張る姿はとても愛らしく今こうしてこの状況を画像として保存できる媒体がないことに呻き声を出して悔しがる。美味しい美味しいと言い合って一つのいちご飴に群がっていた双子だが自分たちが持っている食べかけの飴の存在に気がつけば無言でむいむいと口に押し付けてきた。
「ちょちょちょ、お口の周りベタベタになっちゃうからっ!ストップストップ!」
「カオル子ちゃんにも分けっこしてあげる」
「カオルちゃんもジノの食べて」
「わかったわかったから順番こね、二つ一気に食べられないから!」
なんとか落ち着いてもらいまずはモノのフルーツ飴から。かろ、と飴の殻を破るといちごよりも多い果汁がとプリと口の中に広がって爽やかな酸っぱさで満ちていく。みかん美味しい。次はジノの差し出すフルーツ飴、また飴を噛み砕いたがかけらが少し上顎に突き刺さりちり、とした痛みが生まれたがそんなもの忘れさせるほどのぶどうの波に襲われる。ぶどう美味しい。
いちごもみかんもぶどうも全てがとっても美味しく帰りに留守番というか寝ているベルベットにお土産として買っていこうかとも思うほどだった。
あっという間に食べ終わってしまったがカオル子御一行の食欲は止まらない。次はあっちの焼き鳥みたいな屋台、その次は飴細工の屋台。それも終わったらカリカリに揚げられたポテト……。出店をコンプリートする勢いで駆け回りこれならもうお昼ご飯は要らないねなんて微笑みあった。
「おいお前達。ちょっといいか。」
至るとこに出ている出店をひとしきり堪能し、そろそろりんご買って帰る相談をしていると男の声で呼び止められた。声をかけられれば反射的に振り返ってしまうのは仕方ないだろう。振り返れば何処かで見たことのあるデザインの制服の様な物を着て此方を訝しげに見る男の姿があった。ちょっといいかと聞かれれば長年の経験がこれは呼び止められて応じたら良くない結果が待っていると警笛を鳴らし、なんとなくそうした方がいい気がしてモノとジノを背後に隠して応対した。
「アタシたちちょっと急いでるから良くないかもしれないわぁ……」
「アタシ?その言葉遣い何処かで…」
アタシで反応する男に考えを巡らせる。かつてと言っても三週間程前、カオル子に魔術使いの冤罪をかけ死ぬ気で追いかけ、実際死にかけさせた兵隊が着ていたあの制服と酷似していた。つまり目の前のこの男は双子を連れて会うには一番適さない人物、勇義隊の一員であると言うわけだ。最悪な再会にため息が漏れてしまう。ただこんなに至近距離なのにも関わらずカオル子本人についてビックリするほど触れてこないのはやはりベルベットから貰ったこの守りの顔布の影響なんだろう。
「き、気のせいだと思いますよ。それじゃあ自分たちはちょっとここで……」
「おおい待て待て。まだ帰さねえよ話が終わってねぇんだ」
「アタシ…じゃなかった。自分たちは終わったと思っているんですが。ちょっといいかと聞かれて良くなかったら大人しく下がってくださいよ。」
「なんだてめぇ!俺達勇義隊に逆らうのか?その化け物双子だけじゃなくてめぇも魔術取り締まりで取っ捕まえるぞ!!」
「なにそれ!そんなの職権乱用じゃない!!……ですか、それに化け物って」
「あぁ、この地域に住んでる奴からこないだ此処に来た時に情報があってねぇ。定期的に姿の全く変わらない双子が何処からともなく現れて何処へともなく消えるっつーんで。もしかしたら魔術使いかもしれねぇし化け物だったら気持ち悪ぃからとっとと始末しとかねぇといけねぇからなぁ」
カオル子の背後に隠した双子を覗き込むように無遠慮に顔を近づけてくるこの男。こいつが大きな声でしゃべるせいで歩いていた人たちは足を止めて此方の様子をじっと見ている。人がこんなに見て居なかったらぶん殴っていた所だ。
「この子達が魔術使い?そんなわけないじゃ無いですか、まだ子供ですよ?」
「でも何年も変わらぬ姿で見るっつー噂じゃん。それに…先日丁度この市場で買い物してたらしいから魔術使いを崖から落としたついでに、その双子も討伐して手柄を上げようと思ってたんだよ。こんななんもねぇ田舎に仕方なしに在中してたらやーっとあらわれやがった」
「執念深っ、ねちっこ…てかアタシ魔術使いじゃないから冤罪だし…」
「何か言ったか?」
「なーんにもいってないですー。というか何年も姿が変わらないなんてそんなの都市伝説みたいなもんじゃないですか?面白いですよねー都市伝説ぅ」
「都市伝説?なんだそれ?」
「嘘偽りの伝説物語ってことですよぉ。ホラーな伝説は大体都市伝説」
訝しげな表情を見せるこの男から離れようと双子の手を握り後退る。だが背中に何かが当たり振り返ればと大柄で体の厚い男が立っていた。『ごめんなさいね……』と目を反らして逃げようとするもどんどん人だかりができて逃げられなくなる。あの大声のせいだと胸の中でこの無礼な兵士の端くれに唾を吐いた。そんなカオル子に野次馬から野次がとんだ。
「兄ちゃんの手下かそのガキ達は」
「て、手下っ!?そんなわけ無いでしょうが!」
「じゃあそいつらを庇う義理もねぇだろ?勇義隊に渡した方がこの地域も安泰だ。なぁお前ら」
「そうそう。先月もそいつらを庇った人間が崖から落ちて死んでるらしいしなぁ。祟りってやつか?」
「関わった人間の魂を喰うんじゃねぇの?」
「おっかねぇなぁ」
カオル子たちを囲んだ野次馬達は次々と頷き同意する。どうやら自分は双子を助けたせいで死んだことになっているらしいが全くの冤罪。しかも自分は生きているし。これ以上此処にいたらまた双子は石を投げられてしまうかも、悲しい思いをさせてしまうかもしれない。人混みに紛れてこっそり退散しようと野次馬の群れに飛び込めば誰かの静止させるように伸ばされた指が引っ掛かり、ベルベットに着けて貰ったお守りの布がふわりほどけて地面に落ちた。一瞬でその場は静まりかえり今まで双子に向いていた視線は一気にカオル子に集まった。逃げた此方に気がついて追ってきた兵士とバッチリ目が合ってしまった。
「てめぇあんときの…!!?崖から落ちて死んだんじゃねぇのか」
「あは……はははは…………見ての通りピンピンしてるわよ………」
「おい!誰かと思ったらこいつ双子を庇った変わり者の兄ちゃんだったぞ!」
「魔術使いって追っかけられてた奴だよな!」
「やっぱり手下にしてたのか!!」
「モノちゃんジノちゃんホントにごめん………アタシバカほどやらかしてるわね」
「カオル子ちゃん…どうする?」
「カオルちゃん…どうしよか…」
辺りを見渡せば露になったカオル子の正体にスペースの無かった一帯に自分を中心として地面が見える。今のこの野次馬の量と密度だったら撒けるかもしれない。頭の中でこの状況の打開策を練ってシュミレーションも一通り済ませてこの間僅か0.05秒。まとまった考えで双子をひょいと抱き上げ小脇に抱くと更なる混沌が訪れた。
「あなた達!いったい何の騒ぎですか?今日はお祭りだから揉め事を起こさない様に言った筈です!」
「そうだぞ!お前らが揉めてるって聞いたから折角女と遊ぼうと思ってたのにアトラスに無理やり連れてこられて!」
「申し訳ありません隊長、アトラス副隊長…ですが……」
「なんだなんだお前ら退け!邪魔だ!勇義隊隊長が通るぞ!!」
野次馬が自己中な隊長と呼ばれた男によってどんどん押し退けられて捌けていくが残念なことにそれで逃げ道ができる訳では無かった。現れたのはあのときの兵隊を引き連れた不細工ちょび髭男とカオル子愛用の靴を燃やし、カオル子に冤罪をかけたあの女張本人だった。まぁ一匹いたら百匹いる白蟻と同じで勇義隊の端くれが居たからまぁ居るだろうなとは思ったがビンゴ。ビンゴの景品は斬首刑だろう。
「カオル子さん…あなた…生きていらっしゃっ」
「お、お前!崖から落ちたオカマじゃないか!」
アトラスが何か言いたげな顔をしていたがそんな彼女の言葉を遮るように空気の読めないちょび髭男は失礼な事を言ってのけた。しかもそれはカオル子の地雷を大きく踏み抜くあの言葉。
「オカマですって!?アタシはオカマじゃないわ!オネエ様よ!こーんなに美容意識が高いしこんなに華奢で美人なオカマはもうオネエよ!」
「カオル子ちゃん…今そこじゃない…」
「カオルちゃん……違う……」
「危ないとき程調子いいほどお口回っちゃうんだけどどうしましょうアタシ」
「双子もろとも魔術使いの疑いでもう一度殺してやる!行けお前ら!!」
「隊長、ちょっと待ってください!!」
今回も言い訳をする隙すら与えられずに追いかけられるのかと思ったらどうやら勝手が違うようだった。武器を持ちいきり立つ勇義隊の前に同じ勇義隊の筈のアトラスが立ち塞がったのだ。
「ま、待ってください!あの者は魔術使いではありません!前回も今回も此方に反撃しようとはしませんでした!本当の魔術使いならば追いかける時点で術を放ってもおかしくないですよ!それをあの者は何もしなかった。何もしなかったのではない、出来ないからなのです!」
「っ!うるさいうるさい!そもそもあの人間を報告したのはお前だろうが!」
「最初は私も怪しいと思っていたんです。でも証拠が全く無い!疑わしきは罰せずですよ、今までの人達もきっと冤罪なんですよ!」
「黙れ媚を売るしか能の無い魔法使い風情の売春婦が!!お前は俺の!隊長の指示に反論せず精々その弱い魔法を使っていれば良いんだ!女の癖に生意気な!」
「ちょっとそれは言い過ぎなんじゃないの?」
「……カオル子ちゃん…」
「カオルちゃん…?」
あまりの言われように思わず黙っていようと思ったのに口が動いてしまう。口は災いのもともは良く言うがこの災いら起こさないと行けない物な気がした。
「アタシ魔法とか魔術とか最近本を読んで知ったけど身に付けるまで相当努力が必要な物なんでしょ?それを頑張って身につけて国や人間の平和の為にむさ苦しい男に紛れて働いてる女の子に向かって売春婦は無いんじゃないの?何も媚を売ってるように見えないし彼女は彼女なりの誇りと信念を持って仕方なくアンタの下で働いてるんでしょ!?知らんけども!!!!密告したこととアタシの靴燃やされたことは許さないけど!!!!!」
自分のことでは無いのに自分のことのようにぶちギレるカオル子を見てアトラスはあの日の彼女の言葉と笑顔を思い出した。『やなことがあったらアタシがぶん殴って助けてあげるからね』。生まれて初めてそんな言葉を言われたし生まれて初めて今、自分の努力を認められ、褒め、反論してくれた。やっぱり自分にはこの人間達が魔術使いが漏れなくそうだと言われている悪人にはどうしても見えなかった。やはり前々からずっと思っていたが本当の悪人は……………
「黙れ魔術使い!悪人風情が正義や正論を解くな!斬首刑だぁあ!」
「人の上に立つ人間とは思えないわねっ!モノちゃんジノちゃんちょっと我慢してね!」
小脇にそれぞれ双子を抱えて今度こそ走り出した。道なりに走れば追いかけられやすい事はわかっている為出店や民間の裏の森林の中をかけていく。振り返る余裕は無く息を切らせて走るが背後から喧騒と武器が擦れ合う特有の音がした。しかも今回は何時用意したのだろう、テレビでしか聞いたことの無い馬の足音も聞こえる。
「待て反逆者!己の罪を悔やめ!」
「ねぇ馬がいるなんてずるでしょ聞いてない!!」
「お馬さんの音だね……」
「お馬さんパカパカ……」
いくら木々の間を走っても馬がいてしまえば追い付かれてしまうのは一目瞭然。肩越しに振り返れば馬に乗った男は弓矢の様な物を構えていた。武器なんて卑怯だと走る速度を限界まで上げた時、左足の付け根にじんわりした熱さが広がる。走り続けようとするも鋭い痛みが追い付いて来て、つんのめって草の上に転んでしまった。
「あっ、!!」
とっさに両手を地面について双子が頭から地面に激突するのを防いだが完治していなかった手首がズキンと傷んだ。
「モノちゃんジノちゃん大丈夫?ごめん転んじゃった、!」
「だいじょぶ…」
「カオルちゃんは?」
「アタシはだいじょぶ、このまま走るわよ」
「カオルちゃん足、切れてる、」
「カオル子ちゃん足……」
双子の不安そうな声色に足元を見れば矢がかすったのだろう。赤黒い血がとぷりとこぼれていた。だがこんな痛み崖から落ちた痛みや逃げなければ味わう斬首の痛みには遠く及ばない。振り向けば馬はすぐ前迄迫っているではないか。大丈夫と首を降って双子をもう一度担ぎ直せば背後で矢が風を切る音と鈍い音で何かに当たり刺さる音がした。
「!アトラス副隊長、!?なぜですか!」
「!?」
馬を慌てて止める音と甲冑が落ちる様な音と地面が重いものを受け止める音。あ、と声を上げた双子に振り返れば目を疑う光景が広がっている。今しがた自分を追いかけてきていた隊員アトラスの、露出した右腹部に矢が突き刺さっており彼女は背後に位置するカオル子達を庇う様に膝を付いていた。
「あ、アンタちょっとなにしてんのよ、!?」
「良いんです!カオル子さん!私はずっと後悔していたんです、謝りたかったんです、!守ってくれるって言ってくれたことのお礼を言いたかったんです!私はあなたよりもこの隊の方が腐って見える!悪人に見える!私はあなたのように自分の正義と信念に正直に生きた」
「アトラスぅっ!お前余計な事を!」
今になって自身も馬にのって追い付いてきたちょび髭男はまだ話している途中のアトラスの元へ大声で駆け寄った。介抱してやるのかと思いきや持っていた鞘に入ったままの安っぽいデザインの剣で思い切り彼女を殴打し始めた。
「お前も反逆者か!反逆罪だぞ!お前も死ね!!斬首刑だ!!」
「何やってんのよブス!女の子に、ましてや見方に手を挙げるなんて何があってもしちゃいけないことでしょうが!」
追いかけてきていた兵隊の動きが止まったのがわかるがどうにも彼女をこのままにしては此処を立ち去れない。思わずというかまた口が勝手に動き目の前の正義を語るとは思えない人間に大声で毒を吐き続けた。
「その子から離れなさいよ!その子が反逆者になってもアタシはその子の味方になるわよ!」
「うるさいぞ人間のゴミが俺様に口を聞くなッッ!!」
そう声を荒げるちょび髭の隊長はブチギレすぎておかしくなってしまったのだろう。今まで倒れたアトラスを強打していた剣を鞘から抜けば思い切りカオル子へ投げた。
もう避けられない。だがせめて双子だけは守らなくては。ぎゅっと双子を庇うように抱き寄せ覚悟を決めて目を閉じるも一向に体に刃物が突き刺さる感覚は無かった。恐る恐る目を開けると目の前で白刃をこちらに向けたまま静止する剣が見えた。
「え、なにこれ、どういうこと」
ギョッとしたのはカオル子だけではないようで剣を投げた張本人さえも固まって目を見開いていた。
「お前はすぐに問題ごとを起こす………乙女からトラブルメーカーに改名した方がいいんじゃないか?」
背後から見知った声がする。振り向けばそこには手袋を外した手を此方に構えてすらりと立っているベルベットの姿が見えた。どうやら剣を止めたのはベルベットらしい。右手をスライドさせれば剣は力を失って草の生えた地面の上にぼさりと落ちた。
「さてさて……勇義隊の諸君。良くも私の愛しい子と居候に刃物を向けてくれたね。」
ベルベットは笑顔の仮面をぴたりと貼り付けたまま冷たい目でそう言い放った。
顕になった白い手の甲には青黒く目立つ十字架の刺青がくっきりと入っていた。
カオル子の残金あと98万4400ペカ
第9話 (終)