「…ぃ……ぉい……」
うるさいわね…アタシこんな変な目覚まし時計セットしたかしら。
「…い!……い!……てんのか」
「うぅん…あと五分だけ………」
「何馬鹿なこと言ってやがる!起きやがれ!」
今まで小さく、どこか遠くで鳴っていた様な夢現な気持ちで聞いていた音が突然意味をもち形となり耳に突き刺さる。
余りの荒々しい物言いに何ごとかとガバッと起き上がるとそこは見知った四畳半の自室ではなかった。
コンクリートでもなくただ押し固められた土のような道、今しがた自分の頭があった場所を通って行く代車。自分を見にそこかしこから顔を覗かせるその土地に根付いたであろう人々。そして何より……
「てめえ!!!なんてとこで眠りこけってやがんだ!馬車が通れねえだろうがよ!どこのもんか知らねえがねみいならとっとと家に帰りやがれ!」
自分に覆いかぶさるような影を落として上からこちらを覗き見、怒号を飛ばしてくる大男。おかしい。どう考えても自分が普段生活している世界とは大間違いなのだ。
だって自分の住んでいる街は歩道と車道は一緒ではないし、もし万が一、億が一車道で眠りこくっていても大声で注意する人間は余程気の強い警察くらいだ。いや、最近は警察でも優しく『どしたん話聞こうか』体制を取ってくる。だがこの男はどうだろう。身長は2mにも近そうで肌は黒く健康的に焼けていて首から下げたタオルはただのぼろ切れた麻布のよう。
「な、あんたな、何よ!ここどこよ!え、!!何!夢!」
見るからにどう考えても気が触れたのかと自分を疑ってしまうような非日常な情景に頬を強くつねって見るも視界は全く変化せずさらに奇妙なものを見るような目で見られてしまう。
「夢じゃねえよ目が覚めたんならそこをどけバカタレ!邪魔臭くて仕事ができやしねえ」
「何よ初対面のレディーに向かってあんまりな物言いじゃない!確かにこーんなところで寝てたアタシも悪いけどもっと気遣いってもんをするのが紳士じゃないの!?」
「つまりあれか?お前はそっと別のところに寝かせて欲しかったってわけか?」
「そうよそういう紳士的な行動をとれっていっt」
いい終わる直前重力が頭の方に寄り胃の中がぐるりと回転する感覚に襲われる。何事かと思う前に背中にかけて鈍い痛みと音が走った。
あー。アタシこれ投げられた???嘘でしょ。
ただ現実は無情なもので嘘でも冗談でもなく彼女は背負い投げの状態で土煙りが立つ道から民家の軒下に積まれた草の束の中に放り投げられていた。口の中に濃厚な枯れ草の味が広がり唾液と一緒に急いで口の中から吐き出しながら目の前の男をキッと睨みつける。
「アタシに対して『背負い投げぇ〜』をやってのけるなんて何?アタシに喧嘩売ってるの!?アタシ怒るとコワァイんだから!謝るんだったら今のうちよ!」
「おぉ、おっかねえオトコオンナだなぁ精神でも触れちまったんじゃねえのか?」
「投げ飛ばすだけじゃ飽き足らずアタシを奇人変人扱いするですって?」
「そりゃあお前さんは完全な奇人変人だろうがよ」
なぁ、と目の前の大男が野次馬群衆たちに返答を求める。野次馬たちの中から賛同する声や同調の意を込めて諾く者が投げられて天地がひっくり返った今の状態からも痛いほどわかった。
「服もどこに落っことしてきちまったのか知らねえが上半身裸だしよぉ、道のど真ん中で寝てやがるし、それに男なのに女王様でもしねえ様な女言葉で喋りやがる。これを奇人と言わねえでなんていうのが正解なんだよ」
「確かにそれだけ聞くとアタシとんでもない不審者ね?」
「だろ?なんだ急に物分かりがいいじゃねえか。」
「頭が逆さまのおかげて物事が嫌に冷静にわかるわ」
「頭に血が上ってるんだから普通逆じゃねえのか?」
「……あらやだ確かに。あなた天才じゃないの」
「…ぶっっは!なんだお前面白えやつだな!」
ゲタゲタ腹を抱えて笑った大男は一連の会話で冒頭の苛立ちもすっかり忘れてしまったのか天と地が逆さまのまま枯れ草に寝転がる彼女に手を伸ばして引っ張り起こしあげた。
「売り言葉に買い言葉が人間になった見てぇなやつだなお前」
「ありがと❤︎、アタシも自分のこと口から生まれてきた女だと思ってるわ」
「どう見たってお前女じゃねえだろ。それに出産は股からだ。」
「何よ!アタシスーパープリチー乙女だけどぉ?それにものの例えだってここの人たちは本当に冗談が通じないのね」
冗談が通じない?アタシどっかでこんな冗談誰かに言ったかしら。
なんだか此処と同じように自分が普段いた場所とは全く違う世界でジョークが通じないと相手を叱りつけたことが鮮明に思い出される。もしかして今こうして呑気に笑っている場合ではないのではと珍しくまともな思考が脳みそに染み渡っていく。何か思い出さなくてはと突然黙りこくった自身を不思議そうに覗き込む男の瞳には差し込んだ光が模様を作っていた。白、真っ白………。
「ああっ!!!!!!!」
「うるっせえ!なんだ突然でけえ声出しやがって!!!」
思い出した。自分は真っ白な空間で美しい人に贈り物と称して100万円を貰い、知っている世界から全く知らない世界に飛ばされたのだった。職場で鬼のように酒を煽り、ぶっ倒れて目が覚めると何もない空間にいて、またなんか色々ごちゃごちゃあって目を覚ましたら今度もまた違う場所で。
「アタシスリープトラベラーかもしれないわ…」
「なんだそれ。魔法の名前か?」
「そうよ。アタシが目を閉じた時だけ使えるテレポーション」
オネエはアホであった。そんなわけがないのに今まで意識がなくなると同時に場所が二転三転しているという結論からそんなことを恥ずかしげもなく言ってのけた。ここが彼女の元いた世界、日本ならば確実に心療内科を受診することを本気で自分を魔法使いだと信じ込んでいたら勧められるだろうがジョークだと茶化されることもなく、頭の心配をされるでもない。どうやら彼女に対する此処の反応は全く思っていたものと異なるものだった。
「いや、申し訳ねえ。魔法使いのお方に俺ぁとんでもねえ仕打ちをしてしまった…どうか命だけはお助け願いてぇ」
「は??どういうこと?突然アンタどうしちゃったの?さっきの威勢はどこ行っちゃったの」
目の前の男は突然先ほどまでの対応を180°変えたのだった。『お怪我はありませんか』『手持ちのものは何か壊れたりしていませんか』など大男とは思えない細やかな気遣いばかりで歯痒い扱いを突然されて仕舞えばことの発端の自分自身でさえも面食らってしまうのは当たり前だろう
「ちょっとアンタえーっと…」
「ダニアンとお呼びください魔法使い様」
「アタシ30超えてるけっどエッチしたことあるから魔法使いじゃないわよ。あれ、妖精さんになるんだっけ、どっちだっけ。」
「そんな伝説が魔法使い様の間では広がっているんですね、いやぁ物知りだなぁ」
「ちょっとダニアン、だっけ?話を最後まで聞きなさい。アタシは魔法使いなんかじゃないわ。
ただの超絶プリチーお話上手の夢みる乙女よって。」
「いや謙遜なさらずに、いやぁ死ぬ前に魔法使いを見るって夢が叶えられた…ありがたやありがたや」
ダニアンだと名乗った大男は本当に人の話を聞かない男だった。薫も人の話を聞かないことがあると自分で理解しているが彼はそれ以上に話を聞かなかった。しまいには先ほどまで『邪魔だ』と薫を投げ飛ばしてまで開けさせた土の道に正座をし土下座までする始末。
どうにかしてこの状況から脱出したいのか周りに助けを求めるように今まで自分をひそひそと軽蔑した眼差しで噂していた野次馬群衆に目を向けるも彼らの反応もダニアンと同じような反応。
『魔法使い様なら眠っておられても仕方がない』『うちの干草は魔法使い様が投げられて触れたものだからきっと高く売れる』『いいなぁ俺も魔法使いさんとお話してみたい』
目は口ほどに物を言うとはまさにこのことでそれぞれ色の違う幾つもの眼がそんなことを言っているのがよくわかった。正直そんな視線をいっぺんに浴びたら堪ったもんじゃない。自分自身も今の状況を理解しきったわけではないのに次から次へと捌かなければいけないことが増えたら冗談じゃなく内側からひっくり返って爆発してしまう。
自分の目の前で土下座をし続けるダニアンの二の腕をグイッと引っ張りながら『場所を変えましょ、アンタが色々教えてくれるなら世話ないわ』と立ち上がらせた。
「どこかいい場所ないかしら」
「ヘィ!行きつけの酒場なんかどうでしょう」
「いいわねこんな阿保みたいな時間からお酒を飲むのも全然あり。あなた天才ね」
「滅相もないでございます魔法使い様…」
「敬語へんよ。それと魔法使いじゃないって何回言えばわかるのよぉ…アタシのことはカオル子って呼んでね」
「カオル子様」
「違う。様いらない。カオル子。」
「カオル子様」
「リピートあふたぁみぃ〜 カオル子」
「カオル子様」
「もう…それでいいわよ…」
ダニアンに酒場と言われていたのでどんなにやかましくむさ苦しいところだろうと思っていたが連れられてきた酒場は小綺麗で手入れの行き届いた良いところだった。
夢の国ネズミ〜ランドの中にあるコンセプトレストランのようで思わずはしゃいでしまうのは仕方がない。
入店を知らせる入口のドアベルがからんとなれば厨房からこちらも健康そうに日焼けした男が大声と主に顔を覗かせた。
「ダニアン!テメェまぁた仕事はサボりか!」
「いやこれは必要なサボりだからカミさんには内緒にしてくんねえか」
「どうしようかなぁ?」
「樽ストックしてやるからさぁ」
世界関係なく店の中でのお願い事はやはり酒を入れることなのかと笑いが込み上げてしまう。自分もお願い事を聞いてやる時はよく酒をストックさせていた。なんだかここは普段の日常と変わらない雰囲気を感じ取って自然と顔は綻んだ。
「お前その隣の上素っ裸の男は誰だ?いやにヒョロっちいが」
「初対面でヒョロっちいなんて失礼じゃないのかしら?このスーパー美ボディを見てもそんな感想しか出てこないなんて可哀想ね」
「なんだ坊主テメェ」
「おいおいオーナー、あんまり乱暴な口聞いたらダメだぜ。このお方は魔法使いでいらっしゃるんだ」
「魔法使いだぁ?確かにそれなら日焼けしてねえのもヒョロっとしてんのも納得がいくなぁ」
「だろ?きっとすごいお方なんだと思うぜ」
「だから聞いてるダニアンちゃん、アタシここに来る間もナンベンも言ったけど魔法使いじゃないって。」
「ダニアン!!こいつもこう言ってるじゃあねえか!魔法だなんて俺ぁ信じねえぜ」
「違うんすよ、きっと魔法使い様は謙遜なさってるんだ。」
「けっ、なぁにが謙遜だ」
「オーナーがあってるわよ。アタシ何度も使えないって言ってるわよ?アタシも魔法使いなんて信じてないからオーナーとは気が合いそうね」
「そら見ろ、坊主本人がそう言ってんだ」
「ちょっと!さっきから気になってたけど坊主呼びなんて失礼じゃなあい??アタシ坊主なんて言われる歳じゃないわよ!ひどいわね。お姉さんって呼びなさいよ」
「いんヤァ俺には20そこらの坊主にしか見えないぜ?」
「ヤァだオーナーったらお世辞が上手なんだからぁ〜」
「お世辞じゃねえよ本心だよ。20の若造に出す酒なんてねえ。帰った帰った」
「そんなこと言わずにオーナー、飲まさせてくだせえよぉ」
「オメェ1人で飲めばいいだろうがよ。坊主は指咥えてみとけ」
「オーナー。アタシ30代よ」
「30代!!???」
ダニアンとオーナーの声が重なった歪な不協和音の爆弾が鼓膜を大きく振るわせた。キーンという残り音を残してしっかり静かになってしまったこの場所に、反射で閉じた瞳をそろそろと開く。
信じられないと言った様子で叫んだ時の表情のままポカーンと口を開きっぱなしにしている2人と目があってしまった。
「何よ。あまりの美貌に石にでもなっちゃった?」
「お前さんやっぱり魔法使いさんでねえの?」
「はぁ??オーナーも裏切り者になるの???」
「な、だろ?言ったろオーナー。このお方は魔法使いさんなんだよ」
「違うわよ。」
「若返りの魔法とか使ってるんだろ」
「使ってないわ」
「じゃあなんでそんな美貌を30代にもなって保ち続けられるんだよ」
「化粧水。と日々のケア」
「化粧水?どこの泉の水だ?聞いたことねえな」
「泉の水じゃないわよ。頭のいい美容のスペシャリストたちが手に塩をかけて作ってくれたお薬よ」
「さすが魔法使い様はしもべ達を侍らせて、それでいて独自のお薬まで作って日頃お使いなさるんですね…」
「しもべ????アンタなに言ってるの。なんで何言っても魔法使いになるのよ脳内どうなってんの。ここの人たち怖い」
「ささっ、カオル子様何を飲みます?俺が奢りますんで」
「魔法使いさんなら安くしとくよ!その分ダニアンにふっかけるから安心して飲んだ飲んだ!」
「オーナー、今月金欠なんすよ俺!?」
「じゃあなんで連れてきたんだよ!またツケる気かい?」
「いいわよアタシが出すから」
そういえば忘れていたがブワブワぐちゃぐちゃシュワーっとなってここに来る前に100万円を貰ったのだ。正しくは円ではなくここで流通している通貨なのだがそんなのは関係ない。敵対視されていないだけ感謝すべきか、それにここでのお金の使い方を今学んでおくのもいい機会だ。尻のポケットから綺麗な札束を取り出してとん、と机に置いた。
「オーナー、これで足りるかしら?」
突然見たこともないような札束を机に置かれて仕舞えばオーナーとダニアンは本日二度目の石化。
『魔法使いさんは金持ちなんだなぁ…』と言われたところでしまった、と思うも時すでにお寿司。にぎにぎ。いや遅し。
まあこの反応を見るに余裕のよっちゃんで足りることが判明した。
「とりあえずここの通の人はまず何を最初に頼むのかしらぁん?」
「やっぱり酒場に来たらビーリャがどの店でも普通ですぁ!」
「ビーリャ?どんなもんかしらそれは」
「何!?ビーリャを知らねえとは魔法使いさん、人生損してまっせ。すぐ用意しますんで!」
厨房に引っ込んでいったオーナーは大声で奥さんを呼んでいるようで妻の名前であろうものを連呼しながら樽のような材質がボコむとぶつかるような軽やかな音が何度か聞こえた。
ビーリャ…名前だけからしたら薫が元いた世界のビールというお馴染みのやつに似ていそうだとまだ見ぬ酒に心を躍らせる。異世界に飛ばされても知らないお酒を飲めることはここに来てよかったと思える数少ない利点のうち一つだ。というかここに来てからまだこのビーリャというものに出会う以外いいことは起こっていない。それによくよく考えればビーリャが美味しいものかも確証がないのだ。さてどんなものが出てくるのかと身構えているとご対面の時は意外と早く訪れた。
「へいビーリャお待ち!」
どん!と音を立てて肘をついていた木製のカウンター小さな樽を模したカップが置かれる。大きさは慣れ親しんだジョッキと瓜二つで小さな既視感に口の端がゆるりとつりあがった。
ホップの独特なこの香り、シュワシュワと声あげるこの男、そして黄金がかった液体とこぼれ落ちそうなほどのもちもちとした泡。間違いない。親の顔より見たお酒ビールだった。
「やだぁ!ビールじゃないお久しぶりね元気してた?アタシあなたに会えなくてとぉっっってもとってもとっても寂しかったんだからぁん!」
「魔法使いさんビーリャ知ってたんか」
「名前が違うから何事かと思ったけどアタシがいたところでもあったわよこれ。アタシこれを人様に売りつけて自分もご馳走になる仕事してたの」
「そりゃすげぇ!イリファの女みてぇじゃねえか!」
「オーナー、イリファなんぞに行ったことがあるんですかい?」
「いんや、あんな金が酸素より早く減っちまうとこなんて一生かかっても行けやしねえ。でもすげぇな魔法使いさん。まぁこんだけ別嬪さんなら当たり前か」
「イリファ?イリファってよくわからないけれど褒められてるのはわかったわ」
「魔法使いさんは知らねえことが多いんだな。イリファっつうのはリスタチア跨いで真っ直ぐ国を渡った別の国だ」
「待って待っって?リスタチアって何?」
「リスタチアも知らねえのかお前さん!」
ガキでも知っていると言う言葉もこの世界生まれでは無い彼女には特になんのダメージも与えない。本当に知らないからである。素直に知らないと言えば親切に奥から地図まで引っ張り出してきてオーナーとダニアンは教えてくれた。
「ほら、この地図にはここら辺の五大帝国が乗ってんだ。この地図に載ってる国は四つの国が円を描く様に存在していてなぁ?見てみぃ?」
言われるがまま覗き込んでみれば確かに。真ん中の綺麗な円をドーナツの穴とするように同じ大きさのパーツの国が円を作っている。小学校の地図資料集で見た東西南北がかっちり適合されそうだ。オーナーはその四等分されたドーナツのパーツを指差しながら丁寧に国名を読み上げた。
「北のサウスィア、東のイリファ、南のナフィア、んで西のウェスティアだ。」
「へぇ……ドーナツ分けっ子したみたいな形ね。」
「そうだぜぇ?ガキの頃寝る前に読んでもらった絵本にゃこの国は神様が食べ残したドーナツだって書いてあったなぁ懐かしい……んで空いたドーナツの穴の位置になってるこの国が中央国リスタチアだ」
「真ん中にあるってことは強いの?」
「いんやぁ
「
「さっすが魔法使いさん見る目があるね」
「やだぁ!褒めても何にも出ないわよぉ」
酒の場になればもう自分のターン。せっかく必要な地理学習のお勉強の空気だったのにあっという間に場を見知った環境とそっくりにしてしまう。異世界に飛ばされて記念すべき一杯だ。小難しい話の前に冷えた状態で美味しく頂きたい。『カオル子いっきまぁす!』なんて何処ぞの主人公がいいそうなセリフのあと滑らかな木製取手を手で掴みぐいぐいと喉の音を鳴らして胃へ送りきってしまった。
「おぉ〜!」
「いい飲みっぷりだなぁ!魔法使いさん」
アル中カラカラの体に染みる冷えたビーリャの感覚は心地よく、まだ昼間だと言うのに『っくぅ〜!』と声を上げてしまう。
「糖分補給ならぬアルコール補給しただけよ。さてお話の続きを聞きましょうか」
ジョッキ一杯…いや小樽いっぱい分のビーリャを摂取すればにっちもさっちも行かずにくたくただった体と脳みそもしゃっきりと起き上がる。自分で飲み屋のテンションにしておいて一応この世界では常識そうだから知っておこうとまたお勉強の雰囲気を要求した。
「コロコロ変わって大変そうだね魔法使いさん、まぁいいや…どこまで話したかな」
「一応五つの国が対等だってところまでよ。ちょっとまって話し始める前にビーリャおかわり。それと適当なおつまみも頼んで」
「俺まだ一口も飲んでねえのに魔法使いさんはもう2杯目かいな」
「もうアタシがこの際魔法使いでも童貞でもそうじゃなくてもどうでもいいからその呼び方やめてちょうだい、カオル子って呼んでよ。言いづらいでしょ」
「確かに言いずらいでっせ…すんません、カオル子さんって呼ばせてもらいますわ」
「はいはいもうそれでいいわよ。アタシもちゃんと妥協するわ」
呼び方をやっと魔法使いから矯正できたがまだ求めることは多そうだ。だが妥協して彼も自分自身を希望の名前で呼んでくれたんだからこちらもさんがつくのは許してやらなければならない。
ダニアンがオーナーに注文をしている間に復習復習、と地図を指でなぞった。
「ねぇダニアンちゃん本題に入る前に一つ質問いいかしら」
「あい!なんでもおっしゃってくだせえ」
「アタシが今いるここはどこの国なのかしら?」
「そんなことも知らずに一体どうやってここまで来たんです?さっきからあまりにもここのことを知らなすぎる」
「それがねぇ、アタシも一体何がどうなってこうなってるのかわけわかめ」
「と、言いますと?」
特段隠しているわけでもなく、それに誰かに話さないと一人分の脳みその容量を遥かに超える。喋ったからと言って殺されるなどは一言も言われなかのでまた新しく運ばれてきたビーリャをちびちび啜りながらここに至るまでの経緯を彼女は簡単に説明し始めた。
自分はこの世界の生まれではないこと。
元いた世界で死んで気がついたら真っ白な空間にいたこと。
めちゃくちゃ綺麗な子供とお話ししたこと。
願い事を言ったら百万円を貰えて目が覚めたらあの土の道に寝ていたこと。
そして今自分を投げた張本人と側からみたら仲睦まじく酒を飲んでいること。
自分で言葉にしてみるとやはり自分でもあり得ないことだと思う。目の前のダニアンも真剣に聞いている様だが目の輝きが物語を読みきかせしてもらっている子供のそれだからあまり信じてはいないんだろう。
信じてくれるとは思っていなかったため傷付くことはなくやはり自分以外でも信じられないのだと言う安心感を抱いた。
「へぇ………そんなことがあったんですねぇ」
「そ。信じても信じなくてもどっちでもいいけど取り敢えずお酒は程々にしなさいってことだと思うわ」
「教訓ですね…じゃあ俺も今日はビーリャ一杯で我慢しようかな。」
「ぜっったいできないと思うわよそれ。」
「ですよねぇ」
「あら?もしかしてあり得ないくらい話の論点動いたかしら?」
「言われてみれば。一応対等の理由話からビーリャは程々にって話に変わったじゃねえか」
「アタシったら言葉のキャッチボール下手くそなのね…………」
「カオル子さんと話すの楽しいんで無問題!じゃあ順番に今どこにいるのか話してきますわ」
そんなことないとフォローしてくれたダニアンは再び地図に視線を落とす。そしてとある国の一点を指差した。
「今カオル子さんがいるのはここだぜウェスティア。まあ正確な場所を言うとウェスティアの中の1つの土地、マディルトさ。因みに俺は生まれも育ちもこのマディルト。都市から若干離れてちゃあいるが田舎すぎずのどかで平和な所が好きだぁ。此処からもっと奥に行っちまえば崖ばっかりの住みにくい所だから、こうやって普通の生活をするのは此処が限界さ。」
「じゃあ人が住んでる場所も此処を越えちゃったら終わりなのねぇ」
「いやぁそれがなぁ…………」
突然怪しげな表情で語り出す彼にピタ、とアルコールを摂取する手が止まってしまう。
「実は此処を超えた場所の土地の名前はセロプアっつうんだがな妙な噂があるんだ」
「噂?」
「そうだぁ。実は魔術を使い人を食っちまうコワァイコワァイ吸血鬼が住んでるっつ〜噂だ」
「ギャァああああああああっっ!!!!!!……ってなにそれ、アタシの話よりそっちの方がありえないじゃない。」
「それがそったらあり得ない話じゃねえんだ。何百年も前からそう噂されててそこの吸血鬼が飼ってるメイドがたまぁに此処に買い物に来るんだ。そのメイドの姿を見たやつは何人もいる。本当に何年も何十年も見た目が変わらねえガキなんだとよ」
「へぇ、不思議な話ね。まあ魔術を使うって所も吸血鬼だって所も信じられないけど。でもその吸血鬼もアタシと一緒で勘違いされて可哀想に」
「魔法使いさんそりゃいけねえ。」
「なにがよ」
突然厨房に引っ込んだはずのオーナーが怖い顔を覗かせた。
「今魔法使いさんと吸血鬼のバケモンが同じで可哀想にっつったろ」
「ええ、まあ言ったけど。」
「魔法と魔術は全くの別もんだ」
「えぇ?そうなの?」
「嗚呼、この国じゃあな魔法と魔術は違ったもので魔術使いだなんてことが知れ渡ったら
「えぇ!?嘘でしょ重すぎない???!!!」
「しーっ!!そんなこと言ってるのが聞かれて密告されちまったら命の危険がありまっせカオル子さん!」
「ちょっと前にそんなこと言ってたやつがこの間連れてかれたんだ。あんまりそう言うことぁ言っちゃいかんねぇ」
「アタシずーーーっと、それこそちっちゃい時から魔法も魔術もおんなじもんだと思ってたんだけど」
「此処の国では違うんだよそいつぁ。」
オーナーはなぜそこまで魔法使いと魔術使いが差別されるのかという話を詳しくしてくれた。
「まず第一の常識としてこの世界では当たり前に『魔法』つーものが存在するんだ。この魔法っつぅのはそれを使う人間が体と精神を鍛えて神様に祈り、神に許されたものだけが使えんだ。俺の甥っ子もこの間儀式を受けて魔法が使える様になったんだぁ」
「そりゃあおめでたいわね。」
「嗚呼、んで魔法を使うったってなにもなきゃぁ使えねえ。杖を媒介にしたり
「あぁ!魔法の杖ってやつね!小さい時は憧れたなぁ…自分の身長と同じくらいの杖に綺麗な宝石がはまってて…憧れちゃう」
「でも此処で魔法を使うときは杖か魔法石のどちらか一つでいいんでさぁ」
「へぇ!ならアタシのピアスについてる誕生石でいけるかしら?」
「おぉっとっと!注意しねえといけねえのがこの時に使う魔法石は普通の宝石と違うっちゅーことだな」
「普通の宝石と違う?どう言うこと?」
「俺もそりゃあわからねえんだが…」
「わからないのに全部知ってるみたいに話始めたのアナタ!?」
「オーナーは話に持ってくのはうまいのに…」
しっかりしなさいよとオーナーの方をバシバシ叩きつつ談笑に花がさく。もう店に来てから余裕で一時間以上はたっているのだろう。薫が話に熱中していて気が付かなかったがこの店の中には1つ人影が増えていた。
オーナーが気がつくために取り付けられたドアベルも音を出したのか怪しい。それほどまでに静かに自然にその影の主は店内に存在し、そして彼女たちの会話に耳を傾けていた。
「残念、面白い話だと思ったのになぁ」
「悪いな魔法使いさん、今度までに話のオチ考えとくんで…」
「考えちゃダメでしょ正しい情報を伝えなさいよ」
「じゃあ貴方は魔法石と普通の宝石、なにが違うと思う?」
「え?うーんなんだろう………ん?」
突然飛んできた視線に3人は正直に考えてしまうが違和感に思考を停止し目を合わせる。今までずっと3人で会話をしていたため別の所から質問が飛んでくるなんて霊体験以外では絶対にありえない。声の主を探して後ろを振り返ると溢れんばかりの柔らかな肉体をほぼ下着のような硬い甲冑に収め込み、顔にかかった赤い髪の毛を耳にかけ直す女がたっていた。
「お客さんいつからいたんだい!」
「貴方達が地図を見てドーナツだなんだの言っていた時から話は聞かせてもらってましたよ。」
「いやあうっかり話し込んじまってドアベルが鳴ったのにすら気が付かなかった悪いな悪りぃな。んで嬢ちゃんはなにを飲むんだい?」
「そうですね、私も冷えたビーリャを一杯いただきましょうか」
あまりに違和感なく入ってくる女からカオル子はすっかり目が離せなくなっていた。一目惚れとかそう言うのではない。純粋に『肌出過ぎじゃね???それ甲冑の意味あるの????女の子なのにお腹冷えちゃわない????』と言う心配の眼差しだった。ただ受け取り手の女がどう解釈したのかはその女のみぞ知る所だ。
鼻の下を伸ばしながらすっかり地図から目を離すダニアンの頭を思いっきり引っ叩きながらダニアンを自分の左隣の席に座らせると薫は自身の右隣の席の椅子を引き初対面の彼女の席を用意した。
「ありがとうございます。」
「いいのよレディーに優しくするのは万国共通なんだから。あ、もちろんアタシもレディーだから優しくしてね」
「貴方…いえ、なんでもありません」
座った彼女の目の前に冷えたビーリャが提供される頃には適当に頼んだおつまみなるものがカオル子の元にも届く。カリッと揚げられたじゃがいものような立方体からはいい香りのする湯気がモワモワと立ち上がり、程良く食欲を倍増させて行く。よくよく考えてみればまだ生きていた時も固形物はまともに食べていなかった。『いただきま〜す』と手を合わせるとまだ熱々のそれを口の中に放り込んだ。
咀嚼すればじゅわっと染み込んだ油と塩味とハーブのようないい香りが一緒くたに口の中で広がり、自然と手はまたビーリャに伸びる。一つ口に放り込んだじゃがいもに対して小樽半分ほどのビーリャを一気に飲み進めると本日二度目の鳴き声が出た。
「うんまぁ!!アンタ天才よオーナー!」
「それを作ったんは俺のカミさんだぁ」
「お嫁さ〜ん!とぉっても美味しくてカオル子ちゃんの胃袋鷲掴みにされちゃったぁん!」
『そりゃよかったよ〜!』とキッチンからオーナーに負けず劣らずの大声が聞こえればお似合いの夫婦だななんてにっこりと微笑んでしまう。
そのままじゃがいものホットスナックおつまみとビーリャをシャトルランしていると右隣に座った甲冑の女から声がかけられた。
「さっきの答えは出ましたか?」
「さっきの答え?アタシ何か質問されたっけ?」
「確かぁ魔法石と普通の宝石の違いだったきがする」
「確かに、ダニアンアンタ意外と記憶力いいのね」
「以外って失礼だなカオル子さんは」
「アタシがそう言う人間ってこと、もうわかってるでしょ」
「まだ出会って数時間だけだけんども」
「確かに〜!そうじゃない!アナタとのお話が進みすぎてもうずーっと一緒に飲んでんのかと思っちゃったわ〜ん!でもアタシをぶん投げたこと許さないわよ」
「えぇ、謝るんで許してほしいっす」
女の咳払いでダニアンとのイチャコラはピッタリとまった。蛇に睨まれた蛙、母親に叱られた小学四年生。彼に抱きついていた手を離してカウンターに肘をつき考えることにした。
「うぅ〜ん、見た目はおんなじなのよね?」
「なにがですか?」
「魔法石と宝石」
「プロの人でないと見極められないと思いますよ」
「へぇ、じゃあどちらもぱっと見同じってことなのねぇ…なら同じでもいいと思うんだけども」
「さて、時間の猶予締め切りますが違いは出せました?」
「ギブアップよ〜…ダニアンちゃんは?」
「俺もわかんねえな。強いて言うなら値段」
「ダニアンさんのはある意味正解ですね。魔法石は宝石のおおよそ二倍の値段がするんですよ」
「二倍!!????ぼったくりじゃない!!」
「純度の高い魔法石にもなると10倍を余裕で超えるものもあります。まあ私はまだ見たことがないんですけど」
「すごぉい…じゃあ魔法使いさんはとんでもないお金持ちさんなのね…」
「そうですね、皆さん貴族の子供だったり国王のご子息だったりですよ。」
「ぇえ…アタシは一生かかっても持てなそうね…。」
「はい。話は逸れましたが普通の宝石はただ髪飾りや結婚の時に指輪にしたりする物で自分の力を外に向けて解放する役割は担ってくれません。ただの石です。」
「言い方悪いわねアンタ」
「その点魔法石は外に向けて自分のうちに秘めた力を何倍もに倍増させて放出させる力を持った特殊なものなんです」
「へぇ〜見た目はおんなじでも力を持ってるのが魔法石で全くなにもないのが宝石、と。
絶対に使わないであろう知識でまーた一つ賢くなってしまったわアタシ」
この場所にきてから普段自分が生活していた世界では全く使わない、それだけではないむしろこんなことを知っていたら世界のお荷物になるそうな知識ばかり身につく。
懐かしい。あれはまだ自分が中学生だった頃突然目覚めた天翔ける竜の左目…。
「ええ?魔法使いさんなのに使わないんですか、?」
「あのねお嬢ちゃん、このむさ苦しいおっさん達が言っているのは八割がた嘘だから。アタシは魔法なんて使えないわよ。」
「そう…なんですね。」
甲冑の女の目の輝きが一段だけ落ちた気がする。それはほんの些細な変化で日頃から相手の顔を見て生活し、小さな変化に気がつかざる負えなくなった人間にしかわからないであろうな小さな変化。稀に水面に泳ぐ微生物のミジンコを肉眼でも見つけることができる人がいるように普段からその水面、ミジンコという生き物に関わっている人と同じようなものである。
カオル子はそちら側の人間だった。その人が欲しいものを皆持って酒を飲みにくる娯楽の空間で相手が見つけて欲しい変化に気がつく道のプロ。『何か今日私変えてきたんだけど気がつく?』と聞かれる前に『前髪5mm切ったでしょ、似合ってるわ』と答えるのが常識になっている。
ただ見つけた変化にも声を大にして見つけたことを宣言しない方があるものと同じく、今の目の前の彼女の変化には気が付かなかったふりをした方が良いと自分の経験が警笛を鳴らす。そっとビーリャに目線を戻して浮かぶ貴方一つ一つに写る自分の一瞬だけ全てを察し表情が消え去った顔を眺めるとそんな自分の表情ごとまたビーリャを胃袋へ流し込んだ。
さて、この後どうやって会話を再開しようかと悩んでいるとタイミング良く左隣のダニアンが口を開いた。
「ずぅっと思ってたけどカオル子さんはいつまで上裸で過ごすんだぁ?」
「それ私も気になってました。入店してそうそうそんなに酔っ払った様子でもない人がなんで上半身裸なんだろうって」
「あらごめんなさいね、れでぃーに無自覚とは言えこんな体見せちゃって」
「いえいえ、見慣れていますので。それに私の周りにいる男の人たちと違ってとても白くて綺麗な体をなさっていますので」
「あなたそんなに可愛いのにむっさい男が周りにいっぱいいるの!?可哀想に…」
「みんないい人達ですよ。普段から切磋琢磨し合っている仲間なので全く気にしたことないですし」
「セッ磋琢磨……きっと甲冑着るほどのお仕事だから女の子が少ないのね。」
「そうですねその通りで私のお仕事が兵隊さんだというととても驚かれます」
「アナタ兵隊さんだったの!?」
「オメェ兵隊さんだったんか!?」
驚いた表情のダニアンと言葉がシンクロした。恐ろしい。自分よりも遥かに背が低くて可憐でこんなに至る所の強調が激しくてアホほど肌が露出しているこの少女が兵隊だったとは。さまざまな苦労を見てきたわけではないがきっと辛い思いをしたこともあっただろうとまだ出会って一時間も経っていない女兵士に同情してしまう。
「何か仲間内で乱暴されることがあったらすぐ言いなさい!カオル子ちゃんが飛んでいって全員漏れなく成敗してあげるんだから!」
「……その前に貴方が成敗されてしまいますよ」
小声でボソリと何か女兵士が言っているのがダニアンと肩を組み『絶対守るぞ』と盛り上がっていたせいで雑音に紛れてしまい耳に意味としては入ってこなかった。
大事なことを聞き逃した気もするが大事だったらもう一度言われるだろう。
「なに?何か言った?」
「いいえ、とっても頼りにしています」
「任せなさい!股間をがって掴んでめってやってボキャってやってあげるわよ!」
「ヒェ、魔法使いさんやめてくだせえ。想像してヒュンってなっちまった」
「なぁに想像するほどやましいことでもしてたの?」
「勘弁してくだせえよぉ〜」
情けないダニアンの声が笑いに包まれた。自分の股間を押さえ一回り縮こまってしまった様は笑わない方が難しい。柔らかな雰囲気の中女兵士は懐を弄り白い巾着を取り出すと中から一円玉にも似た軽そうな硬貨を数枚取り出しチャリンと音を立ててカウンターの上に置いた。もちろんご馳走様でしたとキッチンに声をかけるのも忘れずに。
「お二人共ありがとうございました、おかげで有意義な時間を過ごすことができましたよ」
「あら、もう行っちゃうの?」
「はい、これからお仕事なので」
「お勤めご苦労さんです……」
「健全な民を守るのは兵士の務めですので!頑張って参ります。あ。そうだ」
席を立ち出口に向かって歩き始めた彼女は動きをピタリと止め振り返る。
「魔法使いさん、お名前をお聞きしてもよろしいですか?」
「突然なぁに?でもアタシはいい女だから教えてあげる。
「カオル子さん、ですか。きっと二度と忘れないと思います。」
「あらやだプロポーズ?覚えてくれてありがとうね」
ペコリと会釈をし、彼女はドアベルを軽やかに鳴らしてお店の外へ出ていった。
「寒そうな子だったわね…あんなんじゃきっと甲冑の意味なんてないわよ」
「俺もそう思うなぁ。でもカオル子さんも服着てないじゃないですかぁ」
「あ〜らららそうだったわ。ダニアン、なんかいい服買えるとこない?」
「それでしたらこの店を出てチョロチョロっと歩いたとこにありまっせ!」
「チョロチョロってなによ。まぁいいわ、そこでアタシに似合うスーパービューテフォーなお洋服買っちゃいましょ!」
「なんの呪文ですか今のは」
「今のはいいお洋服が見つかりますようにって願掛けだから気にしないで」
店主に声をかけてお代を支払う。ダニアンの分と自分は飲んだ分と合わせて1300ペカ程だった。支払い方法がわからず札束を渡すと束の中から一枚だけ抜かれ、柄の違うお札が7枚と甲冑の女が支払ったような硬貨が3枚手渡された。まじまじ見てみると普段使っている日本のお金よりも軽く薄いのに、びっしりと絵や文字が書いてある。どこで大量生産しているのだろうか。また同じように尻ポケットに捩じ込むと途中まで道案内をすると言ってくれたダニアンと共に店を後にした。
去り際に店主が大声で『また来てくだせぇな!魔法使いの旦那〜!』と大声で叫び挨拶をもらった。結局最後まで彼には魔法使いではないことは伝わっていなかったらしい。だがもう訂正するのも面倒で『奥さんによろしくね〜!!!』とだけ負けない声量で返し、店と店主に背を向けて歩き出した。
「行きましたか……」
カオル子が店を出てからすぐ、店の裏に隠れていたある人物がそっと立ち上がる。
立ち上がった時に甲冑の音がバレてしまわぬように彼が店から少し遠ざかるまで待っていたようだ。
「魔術使いだとすぐに隊長に報告しなくては……。」
そう呟くと彼女はカオル子と逆の道へ駆け出した。
彼女の名前はアトラス・レデュルク。このウェスティアの治安を守るがべく国により設置された勇義隊、魔術駆逐隊隊長補佐である。
カオル子の残金あと 99万8700ペカ。
第一話 (終)