「ずっと考えてたんです。どうすればいいのか……私はどうしたいのかって」
識名は顔を俯かせたままだけれど、それでも力の籠った声が凛と響いた。
「私も、S級になります。まだB級で全然力不足ですけど、必ずなります。だからその……えーっと……」
指をぱたぱたと合わせて、識名は口ごもる。
識名が何を言いたいのか、その様子を見ればなんとなく分かる。
きっと、俺と一緒について行きたいのだろう。
でも自分はまだB級だから、足手まといになってしまうから、言うに言えないのだ。
――パーティ、か。
ダンジョンというのは危険な場所だ。常に死と隣り合わせだしソロだとおちおち休息もままならない。モンスターは群れをなすこともあるし、ソロだと数の優位もない。
俺がソロでも大丈夫だったのは敵と遭遇しないからだ。
ダンジョン攻略が目的なのではなく、ただ日銭を稼ぐことを目的としていたからだ。
だが、これからは違う。
ソロでダンジョン攻略をするのは、リスクが高すぎる。
だから仲間を募るのは、元々霧島さんから話を聞いた時点で考えていたことだ。
識名はソロでB級まで行った実力者。本人は俺との実力差を気にしてるようだけど、俺なんかより戦闘能力も経験も断然上だろう。
識名とパーティを組むことに、異論はない。むしろこちらからお願いしたいくらいだ。
でも――
(本当に、それでいいのか? それが正しいのか?)
ドラゴニュートを前にした識名の姿が脳裏によぎる。
この子はまだ高校生で、これからはあんな化物と幾度となく戦うことになる。
そんなことを、させていいのか?
あんな恐怖を、これから先も受け続けなければならないのに。
そんな危険なことを、させていいのか?
俺はただラッキーなだけで、ヒーローでもなんでもない。
ピンチの時に必ず助けられる訳じゃない。
だから――
「識名さん。言いたいことは分かるけど――」
拒絶の言葉を口にしようと識名の目を見た時、俺は息を呑んだ。
意志の籠ったその瞳。
気後れすることも臆することもなく、自分の意志を、信念を貫き通そうとするその瞳
さっきまで恥ずかしそうに、言い辛そうにしていたのに、今はただ真っ直ぐに俺のことを見つめていた。
識名が霧島さんに言ったことが、ふと思い浮かぶ。
『私も探索者です。自分の身に起きたことは自分で対処しなきゃいけないし、その責任があります』
本当に、強いんだな……。
「……丁度パーティメンバーが欲しいと思ってた所なんだ。だから、そうだな――」
俺は弱い。
本当はびびりだし、怖がりだし、痛いのは嫌いだし、ただの小市民だ。
軽口を叩いて格好つけて、そうでもしないと自分の中の恐怖を払拭できないような小っちゃい男だ。
その場限りのはずだった。
識名を助けた後は、そのままさようならで関わることもないと思ってた。
でも、そうじゃないなら。
このやけに俺のことを過大評価して、慕ってくれているこの子が一緒なら。
俺は仮面を被り続けよう。
この子の理想の人間であり続けよう。
ヒーローであり続けよう。
そうすることがきっと、良い人である俺にとっての使命なのだ。
それがきっと【幸運】に繋がるのだ。
「一緒に来るか?」
なんだか照れくさくて、まともに識名の顔も見れないけど、
「はいっ!!」
きっと識名は満開の花が咲いたみたいに、とびきりの笑顔をしているのだろうな。
「幸太郎さん……パーティメンバーになるなら一つお願いがありまして……」
「なんだ?」
その物言いが少し気になって識名の方を見ると、顔を真っ赤に染めてちらちらと俺の方を覗き見ていた。
言い出しにくいのか「あー」とか「うー」とか唸りながらもじもじしている。
「あ、あの……私のこと、名前で呼んでくれませんか……?」
「名前……?」
「はい、名前、です。仲間なので……早彩って……」
上目遣いで、消え入りそうな声で囁く識名に、俺の心臓が大きく跳ねる。
な、何をドキドキしてるんだ俺は。相手は高校生だぞ。
それはだめだ。それは犯罪だ。俺は良い人なのだ。未成年にドキドキなぞする訳がない。
俺は心の中で深呼吸をして、なんとか平静を装う。
「早彩ね。分かった。あぁ、それなら早彩も俺に対しては敬語じゃなくていいよ」
「え、で、でもそれは……」
「仲間、なんだろ?」
パーティメンバーからずっと敬語口調というのもちょっとむず痒い。
どうせ名前呼びするならそういう壁も取っ払ってしまった方がいいだろう。
「そうですね……じゃなかった、そうだね! うん、それじゃあよろしくね、幸太郎さん」
「あぁ、よろしくな。俺戦うの苦手だからさ、早彩見て学ばせてもらうわ」
それを軽口だと受け取ったのか、早彩はにやりと口角を上げた。
「私の戦いについて来られるかな?」
「D級の若輩者ですが、食らいついて見せましょう」
仰々しく一礼すると、早彩がぷふっと笑った。
俺も釣られて声を上げて笑う。
くつくつ。ころころ。
くつくつ。ころころ。
目まぐるしく回る新宿駅に、俺達の笑い声が響き渡った。
***
早彩と連絡先を交換し、別れた俺は自宅へ向けて歩いていた。
俺の家は新宿駅から徒歩15分ほどの場所にある。
夜の新宿駅の周りは相変わらず騒がしくて、人が多くて、びかびか光る看板や雑居ビルがやたらと眩しく感じられる。
夜風に当たりながら歩いていると、道端にポイ捨てされた吸殻を見つけた。
俺は何も考えずにそれをリュックから出したトングで拾って、そのままトングと一緒にリュックにしまう。
(ダンジョンの外じゃゴミ拾っても意味ないんだけどな……もう職業病だな)
自分自身の手際の良さに苦笑していると、今度は道端で蹲っている若いお兄さんが目に入った。
まぁ飲み過ぎたんだろう。こういう繁華街の近くじゃよくあることだ。
俺はまたもや特に何も考えずに近づいて、肩を叩いた。
「大丈夫ですか?」
「だめ……気持ち悪っ……うぇっ」
「あぁだめですよ路上で吐いちゃ。ほらこのビニール袋使ってください。あとお水も」
「わ、わりぃな兄ちゃん……たすかっ……うげげげげげげ」
「あーあー、一回全部出したら楽になりますよ」
お兄さんを介抱した後、俺はまた夜の新宿を歩き出す。
酔っ払いを介抱し、喧嘩を仲裁し、見つけたゴミを拾い、迷子の観光客に道を教える。
これが俺の日常で、俺の抱える呪いだ。
良い人であること。それは俺のスキル【幸運】に課せられた使命なのだ。
善行を積み、悪行を断つ。
それを徹底しないと俺の幸運値は、下がる。
助けられるのに助けない、見て見ぬフリをする、そういう行いを繰り返すと俺の幸運値はどんどんと下がっていく。
かといって、善行を積んだところで幸運値は上がらない。
良い人であることは、幸運値を維持するためにしなければならない呪いだ。
元から俺は少しお節介な気があった。困ってる人は放って置けないし、迷子の子供がいたらすぐに話しかけに行っちゃうし、落し物は必ず届けるし、そういう人間だ。
だからこの良い人である行為自体は苦痛じゃない。
苦痛じゃないけど……目に映る全てに対して良い人であり続けないといけないのは、正直辛い。
まぁ、そんな泣き言を言っても仕方ない。
自分から好き好んで首をつっこもうが、スキルに強制されようが、やらなければ俺の幸運値は下がって探索者として活動できなくなる。
これが俺の、日常なんだ。
程なくして、自宅に着いた。
築40年のボロアパート。1Kの部屋にはベッドや冷蔵庫など、最低限の家具しかない。
上層階のモンスターの素材を売ればここから引っ越すこともできるけど、なんだかんだで俺が都心に来てからずっと住んでる部屋だ。愛着もあって結局ずるずるとここに住んでいる。
「あー……今日は色々あったなぁ」
ぼふっとベッドにダイブし、枕に顔を埋める。
俺がS級。にわかには信じがたい話だ。
傍らに置いたリュックから、ドラゴニュートの爪を取り出す。
ごつごつとした質感に、鋭利な爪先。
あれが現実だったのだと、いやでも実感させられる。
ずっと戦闘を避けてきた。ただ幸運になるだけのスキルに力なんかないのだと。
今日、早彩を助けることになって
怖かった。死ぬかと思った。
でも今になって分かる。俺は高揚していた。
もしかしたら俺の力でも、強くなれるんじゃないか。
S級のモンスターでもものともしないくらい、強くなれるんじゃないかって。
そしたら俺は、百魔夜行を止めるだけじゃない。
俺の故郷を、八王子を、モンスターの手から取り戻せるかもしれない。
そんな淡い期待を、俺は抱いてしまったんだ。
「全く、夢見がちなヒーローかよ」
体を横に向けると、ベランダに続く窓から大きな塔が見えた。
新宿御苑ダンジョン。天を貫くその頂きは、一体どこに向かっているのだろう。
俺も、いけるのだろうか。小市民で小心者の俺でも。
分からない。分からないけど、ここまで来た以上やるしかない。
ふと、早彩の顔が浮かんだ。 当面はあの子を危険に晒さないくらいの【幸運】を身につけないとな。
ぼんやりと塔を眺めていると、だんだん眠気がやってくる。
淡く光る塔が、いつまでも瞼の裏に映っていた。