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第5話 炎虎と猫好き

 声のした方に目を向けると、まず目に飛び込んできたのは……猫耳だ。

 真っ赤な髪の毛から真っ白でふわふわな耳が覗いていた。


 いや猫耳なんて言い方をするとこの男がめちゃくちゃ可愛げのある感じに聞こえてしまうが、断じてそんなことはない。


 目付きは鋭く、その様相は一目見ただけで戦士であると分かる。

 上半身は裸にベスト。無駄な肉が一切ない鍛えられた体。

 下はだぼついたボトムス。

 背中にはバカでかい大剣。

 そして細くしなやかな、真っ白な尻尾。


 男はポケットに両手を突っ込んで思い切りガンを飛ばしていた。


「わざわざ出向いてやったのに骨折り損のくたびれ儲けかよ。やってらんねぇぜ」


 ぴょこぴょことせわしなく動いていた猫耳がついっと外側を向く。

 イカ耳だ。猫ちゃんが不満や怒りを露わにした時になる耳の形が、正面から見たらイカに見えるからそう言われている。


「で、だ。俺の仕事を横から奪った野郎はてめぇか? あぁん?」


 つたつたと俺の前に来た男はその不満を隠そうともしないで顔を寄せる。

 が、俺の視線はそいつの顔ではなく、その真っ白な猫耳に吸い寄せられていた。



(さ、触りてぇー!)



 真っ白でもふもふな猫耳が目の前にある。

 俺は猫ちゃんには目がないのだ。

 例え見てくれはガラの悪そうな男でも、その頭に生えた耳はまごうごとなき猫ちゃんの耳。


(さ、触ってもいいかな? 流石に怒るか?)


 イカ耳だったそのお耳が、ついーっと元に戻るとぴこぴこと揺れた。


 おいおいやめてくれ。そんな姿を俺に見せるな。触りたくなっちまうだろうが。


「おい、てめぇ無視か? 目ん玉ついてんのか? なんとか言ったらどうだ、おいこら」


 ぴこぴこ。ぴこぴこ。

 揺れる揺れる。真っ白な猫耳が右に左に揺れている。


(もう無理! 我慢の限界!)


 俺は己の欲望に抗えなかった。


「失礼をばっ!」


「――ッ!!?」


 ふに。ふに。ふわ。ふわ。


 な、なんだこれ。なんて柔らかいんだ。

 羽毛のように柔らかいのにシルクのようなすべすべな肌触り。


 戦士然とした風貌なのに猫耳は全くそんなことない。干したてのお布団のようにふわふわだ。


 なんて堪能していたら、


「っこの! 離れろクソがぁ!!」


 男は顔を真っ赤にしながら右手を振りかぶ――


 その瞬間、ぞわぞわと背筋に悪寒が走った。

 え、これやばくね……?


「幸太郎さん、危ない!」


「うおっ!?」


 一歩も動けずにいた俺の体を、識名が引っ張る。

 寸でのところで男の腕は空を切った。


 直後、男の腕から炎が迸る。

 いや腕だけじゃない。真っ赤な髪も、その鍛え抜かれた体からも轟々と炎が立ち込めていた。


「っざけやがって。勝手に人の耳をべたべたべたべた触りやがって……。マジでぶっ殺してやる」


 襲いかかる熱気に、俺は腕で顔を覆い隠した。

 炎の勢いが凄まじい。薄暗かった辺りも今はまるで昼間のように明るくなっていた。


 思わず一歩後退すると、隣にいた識名がハッとした表情を浮かべる。


「この炎……もしかして【炎虎えんこ】!?」


「【炎虎】って……S級探索者の!?」


 主に東北や北海道など、北の地域で活動しているS級探索者【炎虎】。

 メディア露出を嫌い表舞台にはあまり出てこないが、S級の中でも指折りの実力者と言われている。


 よく考えれば8階層に救助に向かうような人物だ。そんな任務はS級探索者でないと務まらない。


「こ、幸太郎さん。早くごめんなさいした方がいいですよ! いきなり耳触られたら誰だって怒りますもん! 気持ちは分かりますけど」


「え、あ、そ、そうだな。確かにその通りだ」


 元はと言えば俺が勝手にもふったのが原因だ。

 高校生に指摘されるなんていい大人が恥ずかしいことこの上ないが、今はそんなこと考えてる場合じゃない。


「勝手に耳触ってごめんなさい!」


 俺は直角90度、誠心誠意、心を込めて謝罪したが――


「ごめんで済んだら警察はいらねぇンだよ。それじゃあ俺の怒りが収まらねぇ」


 炎虎は背中の大剣を手に取ると、大きく足を開いて構えた。


「ちょ、ちょっと待て! 探索者同士の戦闘は法律で禁止されてるだろ!?」


「なぁに別に殺しはしねぇ。ちょっとしたお遊びだ。てめぇも8階層までそのガキを助けに行ったんならそれなりにやれるんだろ? なら死にゃあしねぇ。精々腕の一本や二本貰うだけだ。安いもんだろ」


「全然安くないんだけど!?」


 やばい。こいつ俺のことを過大評価してやがる。

 D級探索者がS級探索者に勝てるわけないだろ! 2秒で殺されるわ!


 こうなったら一度ダンジョンの中に逃げ込んでやり過ごすしかない。

 こいつの目、本気だ。マジで斬りかかってくるに違いない。命も腕も惜しいぞ、俺は。


「識名さん! 一旦逃げ――」


 識名の手を取って逃げ出そうとしたその時、俺は思わずフリーズしてしまった。 


 だって識名が、めちゃくちゃ目をきらきら輝かせて俺のことを見ていたから。


「幸太郎さんと【炎虎】の決闘……そ、そんな夢のドリームマッチが実現するなんて……」


 この子も対外俺への評価高いな!?


 一点の曇りもないその眼は、俺の実力を欠片も疑っていない様子だ。

 くそっ……俺はちょっとラッキーなだけの一般人だぞ。そんな純粋な目で俺を見るな。


 かと言って格好つけて助け出した手前、今更訂正する気にもなれない。

 つまり八方塞がり。逃げ場はない。


「覚悟はいいか。なぁに一瞬だ。一瞬で楽にしてやるから安心しろ」


 おい、こいつマジで俺のこと殺す気じゃねぇか!

 何がちょっとしたお遊びだよ、ちくしょう!


 炎虎は身をぐっと縮ませると、大剣を水平に構える。

 その大剣に炎虎が身に纏っていた炎がぐるぐると巻き付いて刀身が真っ赤に染まる。


 最早逃げることは不可能。

 かと言って立ち向かうなんて俺には無理。


 つまり、今俺にできることはたった一つしかない。


(ああああああ!! 神様仏様ラッキー様どうか俺をお助けくださいいいいい!!)


 神頼み……いや運頼みだ。


「それじゃあ……さっさと死ね!」


(ああああああ!! 唸れ俺の幸運んんんんん!!!!)


 炎虎が地面を蹴り出そうとした、その時――



 ――にゃんにゃんにゃにゃーん。にゃんにゃんにゃにゃーん。



 可愛らしい歌が、辺りに響いた。


「へ……?」


 間の抜けた声を上げる俺。

 対して炎虎は、身じろぎ一つせずに固まっていた。


 なんだこの歌。着信音……?

 その音はどうにも目の前にいる炎虎から鳴っているような気がする。


「…………チッ」


 炎虎は舌打ちすると、炎を収めてポケットからスマホを取り出した。

 スマホの画面を操作すると、炎虎はそれを耳元に当てる。


「……なんスか。今いいとこだったんスけど」


 おいおい、マジで着信音だったのかよ。あんな可愛い歌が。

 お前流石にそれは属性盛り過ぎだろ。


 なんて軽口がこの場で叩ける訳もなく、俺は棒立ちで成り行きを見守る。


「いや別に本気でやろうって訳じゃ……ただちょっとカッとなって。……ウス……すんません」


 さっきまでとまるで態度が違う様子に、俺と識名は顔を見合わせた。

 まるで借りてきた猫のようにしおらしい。


「はい……はい。……え、今からっスか? いえなんでもないっス文句ないっス。じゃあ連れてきます……はい、はい……失礼しやーっす……」


 話は済んだのか、炎虎はスマホを乱暴にしまうと、


「おい、てめぇらついてこい」


 投げやりにそう言い放った。


「ついてこいって、どこに?」


「協会だよ。姐さ――協会本部のお偉いさんがてめぇらに話があるってよ」


 協会が俺達に……?

 単に救助者の安否確認って訳でもなさそうだよな。一体なんの話だろうか。


 もしかして、D級なのに8階層まで行ってたこと怒られたりする……?

 それとも勝手にゴミを持ちだしたのが実はいけなかったとか。ゴミだと思って俺が拾ったものが実は誰かの大事なもので訴えられそうになってるとか。


 心当たりが多すぎることに顔を顰めていると、炎虎が突然びしっと指を差してきた。


 ドローンに向かって。


「あと、配信はいい加減終わらせとけ。全部筒抜けだぞ」


「あ……そうですよね。ごめんなさ――!!」


 識名は慌てた様子でスマホを操作する。


「うわ、うわぁ……そうじゃん、私がご飯誘ったのも全部筒抜けじゃん……うぅぅ……」


 小声で何かを呟いている識名。

 その顔がなんだかほんのり赤く染まってて、俺は首を傾げたのだった。

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