私、
誰も助けになんか来ない、新宿御苑ダンジョンの8階層で。
死が目前に迫ったあの状況で。
一人の男の人が、私の前に現れたのだ。
ふわりと抱きかかえられた私は、その男の人の顔をぼんやりと見つめる。
歳は私より少し上だろうか。
どことなく柔和で優しそうな顔付きをしている。
彼は優しい眼差しで私を見つめると、
「もう大丈夫。助けにきた」
そう言って微笑んだ。
「え……助け……? 私、助かるの……?」
その言葉を、上手く吞み込むことができない。
助かる……?
もう無理だって思ってたのに、私、助かるの……?
生きて、帰れるの……?
「もちろんだ。怪我はないか? 自力で歩けるか?」
「あ、はい……大丈夫です」
混乱する頭で、でもゆっくりと現実感を持ってきた頭で、考える。
もしかして、私、本当に助かったの……?
それはまさしく希望の光だ。
絶望に染まる闇を照らす、一筋の光。
「あ、あの、ありがとうございます。なんてお礼を言えばいいか……」
とにかくお礼を言わなくちゃって、そうやって口に出した言葉を彼は優しく遮る。
「話は後。他にも仲間がいるだろうし、さっさとここから離れ――」
そして絶望が、再び私に襲いかかった。
「ヂヂヂヂロロロロゥゥゥゥゥ!!」
「なっ……まじかよ……!」
ドラゴニュートの怒りに満ちた咆哮。
それを聞いただけで、さっきまで私が考えていたことが全部、全部ただの幻想だったのだと思い知らされる。
「あ、あぁ……そんな……」
力が抜けて体が動かない。
――やっぱり無理なんだ。
――諦めないで。立って。動いて。
相反する二つの感情が、私の中で混ざり合う。
そうだ、立たなきゃ。立って逃げなきゃ。
でないと、この人の迷惑になる。
自力で歩けるかって聞かれて、大丈夫ですって、私言ったじゃん。
動いて、動いてよ……!
それでも私の体は言うことを聞かない。
ドラゴニュートから目を離すこともできず、ただただ体は震えるばかり。
怖い。
死にたくない。
助けて欲しい。
生きたい。
帰りたい。
――情けない。
「大丈夫だ」
声が、聞こえた。
「え……?」
思わず彼を見ると、なんにも心配はいらないと私に伝えるように、
「良い人は人助けをするものだからな。俺は君を見捨てない。絶対に助ける。だから心配すんな」
そう言って、にこりと微笑んだ。
「こいよトカゲ野郎。俺が相手してやる」
彼はリュックから取り出した剣を構える。
堂々と、一切の怯えもないように、勝てる相手だと示すように。
その姿に私は、見惚れてしまった。
直後、轟音が響き渡る。
ドラゴニュートの姿はかき消え、気付けば彼の目の前まで肉薄していた。
その膂力を活かした、圧倒的なパワーとスピード。私の目でも辛うじてその影しか捉えることのできない爆発的な加速。
ドラゴニュートが彼に向けてその凶悪な爪を振りかぶるのが見えた。
危ない!
しかし彼は、動かない。
ただ剣を直立させ、微動だにしない。
何か考えがある……?
いやでも、このままだと彼は死んでしまう。
私のことを助けてくれたのに、私のせいで死んじゃうなんて、そんなのだめ。だめだよ。
でも、もう間に合わない。
動き出した私よりも、ドラゴニュートが爪を振るう方が遥かに早い。
爪が、彼の手にしていた剣と衝突する。
剣はあっけなく砕かれ、そして――
ドラゴニュートの爪もまた、中ほどからぽっきりと折れた。
折れた爪は、その衝撃で猛スピードで飛んでいく。
ドラゴニュートの頭へ向かって。
「ヂッ!?」
気付けば、私達の命を容易く奪えるはずの爪がドラゴニュートの頭に深々と突き刺さっていた。
「ヂ、ヂ、ヂロロロ……ロ……」
ドラゴニュートは頭から青い血を流して、ぐしゃりと崩れ落ちた。
「え……? 倒……した……?」
私が掠れた声で呟くと、彼は刀身のなくなった剣を握り締めたまま、
「だから言っただろ? 大丈夫だって」
そう言って、今度は不敵な笑みを浮かべた。
***
(あっぶねぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇ!!!!)
格好つけて臭いセリフをかました俺だったが、その内心では心臓バクバクだった。
軽口の一つでも叩いてないとマジで膝から崩れ落ちそうな勢いだ。
本当に、本当に今のはやばかった。完全に死んだと思った。
正直、なんで生きているのか一ミリも分からない。
気付けばドラゴニュートは消えて、気付けば剣は砕かれて、気付けばドラゴニュートの爪が頭に突き刺さってた。以上。何も分からん。
俺の目じゃ何が起きたのか全く認識できなかった。
でも多分、剣が砕けた衝撃で
しかし、そんなラッキー起こり得るか……?
自分のスキルだけど、流石に出来過ぎな気もする。
でもまぁ、いっか。倒せたし。
俺は柄だけになったロングソードの成れの果てをリュックにしまう。
ありがとよロングソード。お前のお陰で命拾いしたみたいだ。
「あ、あの……!」
「ん?」
その時、今の今まで呆けていた女の子が声を上げた。
心なしか目をきらきらと輝かせた彼女は、興奮冷めやらぬという感じで身を寄せてくる。
「もしかして今の、狙ったんですか!?」
「へ?」
狙った……? 何を……?
「剣を上手く爪に当てて折ったんですよね!? 爪の軌道が正確に見えていたからあえて動かなかった……ううん、それどころか剣に当たるのが最初から分かっていたみたいだった……。そっか、爪のウィークポイントを瞬時に見抜いて最小限の動きで武器破壊を実現したんだ……」
「え、ちょ……え?」
ぶつぶつと独り言のように俺の動きを勝手に分析している。
違います、ただ動けなかっただけです、そんな大層なもんじゃないです、たまたまです。
「いや、あれはたまたま――」
「やっぱり8階層に来るような人は違うなぁ……凄いなぁ……」
尊敬の眼差しでこちらを見つめる女の子に、俺はついーっと目を逸らした。
そんな純粋な目で俺を見ないでくれ! 俺はただのD級探索者なんです!
このまま持ち上げられ続けたらちょっと居たたまれない。俺が。
なので「ごほん」とわざとらしく咳払いを挟んで話を強引に逸らす。
「あー……えーっと、とりあえず怪我はない?」
「あ、はい! 大丈夫です。助けて頂き、本当にありがとうございました。もうだめかと思いました」
「間に合ったみたいでよかったよ」
その時、彼女の周りに浮かぶ目玉みたいな機械が目に入った。
「……これは?」
「あ、これは配信用のドローンで――」
「配信!? え、君配信者なの!?」
俺が驚愕の声を上げると、彼女は「えっへん」と胸を張った。
「ダンジョン配信者の識名早彩と言います! これでも結構有名なんですよ?」
「うわぁ……知ってる名前だ……」
識名早彩。若干16歳という若さでB級探索者になった期待の新人だ。
現役高校生でありながら探索者だけでなく配信活動も行い、そのフォロワーは50万人を超える有名インフルエンサー。
ちゃんと配信を見たことなかったから顔はうろ覚えだったけど、言われてみたら確かに識名早彩本人だ。
え、てか待てよ。てことはもしかして……。
「もしかしてこれ……配信されてる?」
「あ、そういえば音声は切ったけど配信はつけっぱなしだった! 皆に無事だよってちゃんと言わないと……」
そう言って識名はドローンを手に取って背面のスイッチを入れた。
その瞬間――
『なんだよあれ!!』
『全然見えなかった……あんな化物が8階層にはいんのか』
『それを瞬殺する謎の男』
『まじで何者だよこいつ』
『S級探索者じゃね? さすがに』
『S級にこんな奴いたか?』
『早彩ちゃんを助けてくれてありがとう!!』
『ここから始まる恋の予感』
『俺達の早彩ちゃんが……』
女性の声を模した機会音声が、怒涛の勢いで流れてきた。