依頼そのものに別におかしな点は無い。
『この指輪に呪文を書き付けて欲しい。金は惜しまない。貴方が持つ技術全てを尽くしてくれ』と。
一人で戸を叩いてきた男にそう言われた。
そう意気込まれた割には、付呪の内容はなんてことは無い。ただの耐毒の付呪。
冒険者が毒を持つ魔物にあらかじめ対抗する為に付けておいたり、貴族だの王族だの立場のある者が毒殺されるのを防ぐ為に使われる、アレ。
ウチの人気商品の一つで、そうした依頼は何度も何度もこなしてきたし、何ら珍しいことは無い。
おかしいのは依頼者だ。
まず、冒険者には見えなかった。
体格は良かったがそれは鍛えているからではなく、単にこれまでの人生で良い物を食べてきた所為で恰幅が良いだけだとゆったりした服の上からも推察できた。
ならば王族の関係者なのだろうかと思ったが、それもピンと来ない。
確かに身なりも金払いも良いが、毒を盛られることに怯える男の振る舞いじゃなかった。
そもそもそんな立場で暗殺の危険に晒されている人物が護衛も付けずにノコノコと一人で出歩いたりしないだろうし。
一番奇妙だったのは……その男の眼が、輝いていたこと。
“これで望みが叶う”とその光を灯した目が語っていたこと。
沸き立つ心のまま、手付かずの財宝が眠る迷宮に踏み込もうとする勇気ある冒険者の眼だった。
……気になる。あの男を突き動かすのは何なのか。
“依頼者の事情は詮索しない”
自分の身を守る為、円滑な仕事の為に自分の心の中で秘めていた唯一の決まり事。
今まで破ったことは無い。客を差別も区別もしてこなかった。そもそも興味さえなかった。ただただ依頼の品に自分の技術を注ぎ込むことに注力してきた。
だから……これが初めてになる。
好奇心が自分を守る決め事を破り、危険に誘う時がやってきてしまった。
そして納品の日。
再び私の工房へその男はやってきた。
「……金貨の山に見合うだけの力は尽くしたわ。この指輪を嵌めている限り、たとえヒュドラの毒でさえ貴方の身体を蝕むことを許さないでしょう」
実際にヒュドラを目にしたことは無い。けれどそう断言できる程に会心の出来。
「素晴らしい。これで、ずっと心にあった悲願が叶う。感謝するよ」
……聞くなら、今だ。
「依頼者に……こんなことを聞くのは、初めてだし、失礼だというのは承知の上でなんだけど……それでも良ければ聞かせて」
「貴方は一体どうしてそれを私に作らせたの?」
男は何てこともなさそうにさらりと答えた。
「ああ、フグの肝を生で食べてみたかったんだよ」