これ以上お仕事の邪魔をするのも悪いし、ミドリさんに連れて帰ってもらおうと思ったけれど、彼女には大学に戻って私の荷物を取ってきてもらい、先に帰したらしい。
別に邪魔じゃないし、終わるまで待っておけと言われて、おとなしくする。
「……格好いい」
テキパキと指示を出し、仕事をしている炯さんは、いつも私の前でデレデレしている彼と違い、キリッとしていて格好いい。
あまりに格好よくて、つい見蕩れていた。
「ん?」
あまりに見蕩れていたものだから不意に彼と目があい、慌ててソファーの背に隠れる。
「なんだ、凛音。
あまりに俺が格好よくて、見蕩れていたか?」
意地悪く、彼の右の口端が持ち上がる。
「そ、そんなこと、あるわけないじゃないですか……!」
否定して見せながらも頬が熱い。
それに、はい、そうですなんて素直に言えるわけがない。
「ふーん、そうか」
興味なさそうに言い、彼は手元の書類に視線を落とした。
「別にいいけどな。
それより今こそ、ゲームをするときじゃないのか?
イベントあるのに仕事で時間が足りないとか嘆いていたじゃないか」
「あー……」
ハマっているソシャゲでイベントをやっているのだが、今回もらえるキャラをゲットするには普段のプレイ時間ではかなり厳しく、つい愚痴ったのは先日の話だ。
ちなみに課金は私のお給料から、一万円までと決めている。
「それが、携帯を壊されてですね」
まるで新しい携帯を無心しているみたいで、笑って誤魔化す。
「わかった。
スミに頼んですぐに手配する。
それで、壊された携帯はどうした?」
もっとなにか言われるのかと思ったが、あっさり手配するとか言われて拍子抜けした。
「その。
ベーデガー教授のところにまだ転がっているかと……」
「それはミドリに回収するよう、手配しよう」
「すみません、よろしくお願いします」
ぺこんと炯さんに向かって頭を下げる。
「凛音が謝る必要ないだろ、悪いのは全部アイツだ」
それはそうだけれど、それでもまだ半年も使っていない携帯を買い替えだとか、心苦しいよ……。
「それで。
凛音は暇なんだな?」
「暇……ですね」
「わかった」
なぜか炯さんは置いてある電話の受話器を取り、誰かと話し始めた。
「今朝、送られてきた資料があっただろ?
あれと空いてるパソコン持ってきてくれ」
私になにかさせる気だというのはわかったが、なにをさせようと?
すぐに背の高い、銀縁眼鏡のインテリイケメンがノートパソコンとファイルを抱えてやってきた。
この人は知っている、炯さんの秘書さんだ。
「どうなさるおつもりですか?」
秘書さんは怪訝そうに炯さんへそれらを渡した。
「凛音に訳させる」
「……は?」
仲良く秘書さんと同時にひとこと発し、固まった。
「本気ですか?」
まじまじと秘書さんが炯さんを見る。
それは私も同じ気持ちだった。
「本気だが?」
しかし炯さんはドヤ顔で、秘書さんは軽く額に指先を当て、痛そうに頭を何度か振った。
「採用試験みたいなもんだ。
秘書室にもうひとりくらい、欲しいって言ってただろ?」
「確かに言いましたが……」
眼鏡の奥から秘書さんの視線がちらりと私に向く。
彼の気持ちはよくわかった、こんな世間知らずのお嬢様になにができるのかと言いたいのだろう。
私だってそう思う。
「ちょっと待ってください。
私はここで働きたいなんてひとことも」
「そうだな。
でも、今回の件でわかった。
凛音には俺の目の届くところか、最低でも俺の選んだ、信頼のできるところで働いてもらいたい」
じっと炯さんがレンズの向こうから私を見据える。
その目には私を断らせない、強い意志がこもっていた。
そうやって私の自由を制限されるのが嫌だ。
しかし。
「そうじゃないと俺が、安心できない……」
みるみる彼の目が、泣き出しそうに潤んでいく。
「今日、凛音になにかあったらどうしようと、その顔を見るまで気が気じゃなかったんだ。
どうして俺は、あんなヤツのいる場所へ凛音を行かせたんだと後悔した。
だから」
……ああ。
こんなにも不安な心を抱え、彼は私を待っていたんだ。
もし、また似たようなことがあれば、炯さんはそのときもこうやって自分を責めるのだろう。
だったら、これくらい飲み込める。
「わかりました。
でも、同じ職場はダメです。
……炯さんに見蕩れて、お仕事にならなくなっちゃいますから」
「そうだな。
俺も凛音を可愛がりたくて仕事にならないもんな」
ようやく彼が悪戯っぽく笑ってくれて、私も笑い返す。
――自由には危険がついてくる。
今回の件で学習した。
それでなくても今まで、何度か誘拐されかけたくらいだ。
これからはもう少し、身の回りに気をつけようと思う。
ミドリさんに護身術を習ってもいいかも。