明日からまた炯さんが長期出張に出るその日、夕食後は彼のお膝の上で甘えていた。
「凛音、
眉間に少し皺を寄せて炯さんが聞いてくる。
「え、桜子さんがですか?」
桜子さんとは昔、通っていたお茶の教室で一緒だった。
「そうだ。
昨日、友人のところへ行ってくると家を出たっきり、帰ってきていないそうだ」
「そうですか……。
私は心当たりがありませんが、心配ですね」
桜子さんもかなり裕福な家庭のお嬢様で、出かけるときにひとりで公共の交通機関をつかって、なんてことはないはずだ。
なのに帰ってきていないとは心配になる。
まさか、誘拐とかないよね……?
「そうだな。
家出とかならいいんだが……」
炯さんもかなり、心配そうだ。
よくある……とは言ってはいけないが、反抗期のようなもので家出などというのは珍しくない。
私だってあの日、炯さんの誘いがあったからとはいえ父の追跡を振り切り、街に遊びに出た。
だいたい気が済めば家に帰るし、もしくは連れ戻されるのでそれはさほど心配する必要はない。
「事件に巻き込まれてないといいんですけど」
何度も言うが、私が誘拐されそうになったのは一度や二度ではない。
桜子さんだって同じく、そういう危険があるというわけだ。
「だよな。
凛音も気をつけろよ?
腕時計は常に着けておくこと」
確認するように彼が、私の左手首を取る。
そこには炯さんの元に来た日、もらった腕時計が嵌まっていた。
私の危険を察知し、居場所を教える時計。
今のところお世話になるような目には遭っていないが、これからもそうでありたい。
「はい」
炯さんの唇が私の額に触れる。
私が誘拐されたりすれば、彼はこれ以上ないほど心配するだろう。
そうならないように、気をつけなきゃ。
翌日、炯さんは出張に出ていった。
またしばらく、ひとりなのは淋しいな。
ううん、彼は仕事でいないんだから、私がしっかり家を守らなきゃ。
それに。
仕事の帰り、ミドリさんに近くの神社へ連れていってもらう。
「立派な神社……」
境内は綺麗に掃き清められ、お守り授与所も開いている。
〝小規模な祭り〟とスミさんは言っていたが、これならそこそこの規模のお祭りなのでは……?
「えっと……」
お賽銭箱の前に立って、悩む。
お賽銭っていくら入れたらいいんだろう?
そもそも、お参りの作法って?
今まで神社に来たことはあるが、いつも祈祷で拝殿にあがっていたので、どうしていいのかわからない。
「お気持ちでよろしいんですよ」
戸惑っていたら、傍に控えていたミドリさんが声をかけてくれた。
「ちなみに〝ご縁がありますように〟と五円玉を入れる習慣もございますね」
「五円玉……」
慌てて財布を開けて五円玉を探す。
バーコード決済が主で小銭のほとんどない財布だが、偶然五円玉が一枚、入っていた。
「あった」
それを掴み、少し考える。
いくら気持ちでよくても、たった五円でお願い叶えてもらおうだなんて失礼じゃないかな?
さらに悩み、断腸の思いで一万円札を財布から引き抜いた。
灰谷の若奥様としては一万円なんてたいしたことのない金額だが、悪い子の凛音ちゃんからすれば大金だ。
「よし!」
思い切って一〇〇〇五円をお賽銭箱に投げ込む。
その向こうに書いてあった作法にならい、お辞儀をして柏手を打った。
……炯さんが何事もなく、無事に帰ってきますように!
私の願いなんてただそれひとつだけだ。
そのためなら一万円なんて、安い。
しかし、近所にこんな神社があるなんて知らなかったのは損していたな。
これからはちょくちょく、散歩がてら炯さんの安全をお願いにこよう。
炯さんがいない日を、いつもどおり過ごす。
きっぱりと気持ちには応えられないと伝えたのに、相変わらずちょっかい出してくるベーデガー教授には苦笑いしかできない。
あと、最近は仕事帰りにときどき、カラオケやゲームセンターに寄るようになった。
ミドリさんはゲームの達人で、やっているのを見ているだけでも楽しい。
おかげでこの頃、大きなぬいぐるみが増えているんだけれど……大丈夫だよね?
「うそっ、嬉しい」
その日も仕事から帰り、まったりお茶を飲みながら携帯のチェックをしていたら、炯さんからメッセジーが入っていた。
明日、出張から帰ってくる予定だが、お昼頃には着くしそのあとは休みにしたから、待ち合わせてデートしようとのことだった。
「待ち合わせてデート」
それだけで嬉しくて、むにむに唇が動いてしまう。
なに着ようかな。
でも、私は仕事だし、出勤着になってしまうけれど。
それでもできるだけお洒落したいな。