その日はようやく、ドレス選びに来ていた。
炯さんが選んだのは一日一組限定のサロンで、ゆっくり見られる。
それにネイルからヘアメイクまでトータルコーディネートしてくれて、当日もお任せなのらしい。
「凛音が気になると言っていたドレスは準備してもらっているから、とりあえず着てきたらいい」
「わかりました」
担当の方に誘われてフィッティングルームへ入る。
当日のメイクなどもするとあって、簡単にだが髪も結ってくれた。
「……どう、ですか……?」
着替えて、おそるおそる炯さんの前に出る。
オフショルダーのシンプルなところが気に入ったんだけれど、どうだろう?
「……綺麗だ」
瞬間移動でもしたんじゃないかという速さで炯さんが私の前に立つ。
彼の手が私の顎にかかり、レンズ越しに無理矢理、視線をあわせさせる。
「美しすぎて何度でも求婚したくなる……」
艶やかに光るオニキスが私を見ている。
徐々に傾きながら顔が近づいてきて目を閉じた……ものの。
「お外でキスは禁止です」
ここは家ではないのだと思い出し、彼の顔を手で押さえた。
「誰も見てなければいいんだろ?」
右の口端を持ち上げ、にやりと意地悪く炯さんが笑う。
そろりと見渡したあたりには彼が人払いしたのか、スタッフはひとりもいなかった。
なら、いいのか?
いやいや……。
しかし私が逡巡しているうちに炯さんは唇を重ねてきた。
……軽いキスくらいなら、まあ。
なんて考えた私が甘かった。
「んん……っ」
強引に唇を割って彼がぬるりと入ってくる。
さすがに離れようとしたが、ぐいっと腰を抱き寄せられる。
ダメだとわかっているのに熱を移され、彼を求めていた。
それでも太ももを撫でられて我に返る。
「……それは、ダメです」
「残念」
私に手を掴まれ、彼が離れる。
「じゃあこれは、帰ってからたっぷりと、……な」
彼の手がそっと私の頬に触れる。
じっとレンズ越しに私の目を見つめたまま、自身が濡らした唇を炯さんが親指で拭う。
含みを持たせて言い、彼は薄く笑みを唇にのせた。
その妖艶な顔を見た途端、頭がボン!と爆発した……気がした。
「おっと!」
くったりと崩れ落ちそうになった私を、炯さんが慌てて支えてくれる。
顔が燃えるように熱い。
あれは絶対、反則だ。
「それともこのまま帰るか?」
にやりと彼が意地悪く笑う。
それにはさすがに、カチンときた。
「けっこうです!」
半ば炯さんを突き飛ばし、自分の足で立つ。
「そうか、残念」
私は怒っているというのに、炯さんはニヤニヤ笑っていて全然効いていない。
やっぱり彼から見て私は、お子様なんだろうか……。
その後もドレスを何着か試着した。
「どれも綺麗だから決められないよな……」
悩んでいる炯さんの隣で、ぐったりと疲れてストローを咥える。
なんだか暑くて飲み物はアイスティにしてもらった。
それもそうだよね、とっかえひっかえ、いったい何着のドレスを試着したんだろう?
「でも着るのは、ウェディングドレスとお色直しのカラードレスの二着ですし」
「それだけどな」
グラスをテーブルの上に戻し、炯さんが座り直して私のほうへ身体を向ける。
「式と披露宴を別のドレスにして、さらに前撮りも別にすれば、三着は着られる」
「……は?」
彼は真剣だが、思わず変な声が出た。
そういえば、式を二回挙げようとかも言っていたような……。
どうも私よりも炯さんのほうが、ドレス選びを楽しんでいる気がする。
「本当は全部のドレスを着せたいけどな」
「はぁ……」
そんなの、私の身体がいくつあっても足りないよ……。
ドレスは候補を絞ったところでいったん保留にして、和装の衣装を選ぶ。
お色直しは二回で、最後は和装だ。
「白無垢は絶対だが、色打ち掛けもいいよな」
真剣に炯さんは選んでいるけれど。
「えっと……。
お式は披露宴会場近くの教会ですよね?
だったらドレスなので白無垢は着られないと思うんですけど」
お式の場所は先日、両親の勧めもあって下見に行って決めた。
もう変更はないはずだ。
「前撮りで着ればいいだろ?
凛音が気にしていた黒引き振り袖もそれで着ればいい」
そう言ってくれるのは嬉しいが、前撮りが一日で終わりそうにない気がするのはなんでだろう?
……結局。
「古典的な赤もいいけど、モダンなグリーンや水色も悩むよな……。
白に金刺繍のやつも凛音の顔を引き立ててよかったけど、白は白無垢とかぶるしな……。
黒もよかったが、あれは振り袖で着るから除外するか?
でもなー」
炯さんの悩みは尽きなくて、笑ってしまう。
もし、全部着て写真を撮ろうと言われても、今度は諦めて受け入れようと思う。
だって私にいろいろ着せてみたいって、炯さんは楽しそうなんだもの。
最終的にドレスも和装も候補だけ絞って決定はせずに店を出た。
あとで見たらまた違う印象になるかもしれないし、母や炯さんの妹さんも来たがっていたしね。
でも、着る予定の枚数を聞いたら引かれるかもしれないが。
「あー、もー、悩むー。
レンタルもいいが、オーダーって手もあるんだよな……」
車を運転しながら、炯さんはまだブツブツ言っている。
「オーダー、オーダー、な……。
それなら凛音に好みのドレスを着せられるんだよな。
今度、オーダーのサロンの予約を取るか」
あまりにも彼が真剣に悩んでいて、ついくすくすと笑ってしまう。
「そんなに私の花嫁姿が楽しみですか?」
「当たり前だろ。
俺の可愛い凛音が、一生で一番輝く日なんだぞ?
最高に綺麗にしてやりたいに決まってるじゃないか」
さも普通なように言われ、頬がほのかに熱を持っていく。
「……ありがとうございます」
「俺はお礼を言われるようなことなんて、なにも」
照れくさそうに彼が、人差し指で頬を掻く。
こんな最高な旦那様にもらわれる私は、最高の花嫁になれるって確信していた。