ケーキも食べ終わり、教授から解放される。
「凛音様、お疲れですか?」
車に乗った途端、ミドリさんが聞いてきた。
「えっ、あっ、……そう見えます?」
「はい」
そっかー、やっぱり教授との話でげんなりしているのが顔に出ているのか。
「帰ったらゆっくり休んでください」
「ありがとうございます」
疲れた顔をしていたら、炯さんが心配しちゃうもんね。
帰ってくるまでに復活しなくちゃ。
「おかえりなさいませ、凛音様」
今日も帰ったら、スミさんが迎えてくれる。
「さあさ、お茶の準備ができておりますので、ごゆっくりされてください」
「あー……」
急かすようにリビングへと誘われながら、長く発して止まった。
「今日はケーキはなしでお願いできますか?」
曖昧な笑顔を浮かべ、スミさんの顔を見る。
「あらあら、どこかお加減が悪いんですか?」
途端に彼女は眉を寄せ、私を心配し始めた。
「その。
今日は……職場で帰りにケーキをいただいて。
これ以上食べると夕飯入らなくなっちゃうかなー、って」
まったくの嘘ではないが、なんとなく後ろめたくて視線が泳ぐ。
「そうでございますか。
わかりました」
ほっとした顔をし、スミさんは私にお茶を淹れてくれた。
ダージリンのいい香りが鼻腔をくすぐる。
それを胸いっぱいに吸い込み、荒んだ心が和らいだ気がした。
炯さんからドレスの候補ブランドを挙げておいてくれと言われていたので、ソファーでだらだらしながら携帯でサイトを巡る。
「あ……」
たまたま見たそのサイトは、和装が専門のようだった。
……炯さんは白無垢姿が見たいとか言っていたけれど、私は色打ち掛けが気になるんだよね。
ドレスの候補と言われていたのに、つらつらと和装の画像を漁っていく。
その中で、目についたものがあった。
「黒引き振り袖か……」
クラシカルな雰囲気は私の好みにマッチしていた。
しかも、その意味が。
「あなた以外の誰にも染まりません、か」
白の、「あなたの色に染まります」より、こっちのほうが好きかも。
私を染めていいのは炯さんだけだ。
どっちにしても彼に相談だけれど。
でも、白はドレスで着るし、和装は色でもいいかもしれない。
私が和装ならば基本、炯さんは紋付き袴になるわけで。
「炯さんの着物姿……」
想像するだけで顔がにやけてきちゃいそう。
背が高いし、体つきがいいから似合いそうだ。
あ、でも、袴姿もいいけれど、着流しスタイルも見てみたいなー。
でも、普段で着物を着る機会なんてないし……。
「無理、かな……」
「はーい、今行きまーす!」
ため息をついたところでシェフに呼ばれたのか、スミさんが駆けていく。
それでも諦めきれずに、今度は婚礼衣装からすらも離れ、男性の着物を検索した。
そのうち、スミさんがなにやら手に戻ってくる。
「スミさん、それ、なんですか?」
別に興味があったわけではないが、なんとなく聞いてみた。
「近くの神社でお祭りがあるので、それに協賛したお礼でございますよ」
「お祭り……?」
そんなの、聞いたことがない。
そもそも、神社があるのすら知らなかった。
「はい。
小規模なお祭りですが、屋台も出ますし花火も少しですが上がるんですよ」
「屋台……花火……」
気になるワードが出てきて耳がピクピク反応する。
花火大会はホテルの部屋からだったり、クルーズ船からだったりで経験はある。
しかし、屋台は未経験なのだ。
これは是非、行きたい。
それに夏祭りデートなら、炯さんの浴衣姿が拝めるのでは?
「お祭りっていつですか!?」
「一ヶ月半後くらいでございますね」
私が喰い気味でスミさんは笑っているが、気にならない。
携帯を操作して炯さんのスケジュールを確認した。
今のところは、出張は入っていない。
しかしまだ先の話なので、変更になるかもしれないが。
「うーん」
少し悩んで、スミさんから聞いたお祭りの日に【お祭り、デート】と書き込んでおいた。
さりげないお誘いだけれど、炯さん気づいてくれるかな?
あとは浴衣を準備して炯さんを驚かせたい。
実家から持ってきたのはあるが、できれば新調したいな。
それよりも、炯さんの浴衣だ。
「スミさん。
炯さんは浴衣を持ってますか?」
「坊ちゃんですか?
お付き合いで作ったのがいくつかあったような……?」
だったら炯さんの浴衣は解決かな?
私の浴衣はどうしよう……。
「そうですわ」
なにかを思いついたかのように、スミさんがぽんと手を打つ。
「お祭りに行かれるのでしたら、凛音様と坊ちゃんの浴衣を新調しましょう!」
もう決まりだとばかりに、スミさんはそわそわとしている。
しかしそれには、問題があるのだ。
「ど、どれくらいかかるんでしょう……?」
たぶん、なじみの呉服店に頼むんだと思う。
そうなると、私の稼ぎで足りるのか心配だ。
……そう。
〝悪いこと〟をして遊ぶお金は、稼いだお給料でまかなうと決めている。
それはスミさんも知っていた。
「まあまあ。
そんなの、気になさらないでいいんですよ」
「でも……」
これは私の悪い遊びなのだ。
なのに、浴衣を買ってもらうとかできない。
「どのみち、協賛のご挨拶に行かないといけませんからね、奥様としてのお努めのようなものです。
だから、気になさらないでください」
「奥様としての務め……」
そうか、籍はまだ入れていないとはいえ、もう私はほぼ炯さんの奥さんなんだ。
気づくと同時にみるみる顔が熱くなっていき、いたたまれなくなってクッションで顔を隠した。
「わかり、ました」
それだとゆっくり屋台を見て回ったりできなさそうな気もするが、奥様としての務めなら仕方ない。
うん、仕方ないとも。
明日、私が仕事から帰ってくる頃になじみの呉服店に来てもらうように、スミさんが手配してくれた。
楽しみだな。
「凛音、祭りデート、OKだ!」
帰ってきた途端、炯さんに抱きつかれて熱烈にキスされた。
「えっ、あの、ご無理はなさらないでいいので……」
「凛音からの誘いでデートするなら、無理するに決まってるだろ」
炯さんはかなり本気っぽいが、本当に無理はしないでいただきたい。
「スミ。
すぐに浴衣の手配だ」
「もう手配済みでございます」
得意げにスミさんが笑う。
そうか、どのみちお祭りデートなら、炯さんが浴衣を買おうとするのか……。
夕食のあとも、炯さんはご機嫌だった。
「もう、この日は絶対に出張を入れるなと命じてあるし、トラブルを起こしたヤツはクビだと言ってあるからな」
炯さんは真剣で、どこまでが冗談なのかわからない。
とりあえずクビになる人が出ないように祈ろう。
それでも、そこまで楽しみにしてくれているのは嬉しかった。
「凛音と祭りデートか、楽しみだな。
楽しみすぎて今から眠れなさそうだ」
「私も同じです」
楽しい、私たちのデートの約束。
きっといい想い出になると思っていたんだけれど……。