携帯の通知音で目が覚めた。
「ん……」
まだ眠たい眼を開け、携帯を手に取る。
そこには炯さんから空港に着いたとメッセージが入っていた。
「起きなきゃ……」
起き上がったものの、そのままぽすっと前向きに倒れ込む。
いやいや、そんな場合じゃないんだって。
「うーっ」
根性で今度こそ起き上がった。
炯さんをお出迎えするために、通知をONにして寝たのだ。
起きなきゃ、意味がない。
「顔洗おう……」
ふらふらと洗面所へ向かい、顔を洗う。
それでようやく、頭がすっきりした。
ついでに、浴槽にお湯を張る。
帰ってきたらゆっくり、手足を伸ばしてお風呂に浸かりたいかもしれないし。
着替えまではしないが、簡単に身支度を調える。
まさか、寝起きのままでお出迎えなんてできない。
コーヒーを淹れてゆっくりと飲む。
飲み終わって簡単に片付けを済ませた頃、ドアの開く音がした。
「おかえりなさい」
「びっくりした。
まさか、寝ないで待っていたのか」
私を抱き締め、軽く炯さんがキスしてくる。
「ちょっと早めに寝て、起きました」
もうすぐ四時半になろうかという頃。
少しの早起きだと思えば、さほどつらくない。
「もしかして起こしたか?」
眼鏡の下で彼の眉間に皺が寄る。
たぶん、メッセージを送って起こしたんじゃないかと気にしている。
でも、いつもは夜間、通知を切っているのに、ONにして寝たのは私だ。
ううんと首を振り、彼を促して一緒にリビングへと行く。
「できれば起きて、炯さんをお出迎えしたかったから……」
「凛音は可愛いな!」
ソファーに座り、炯さんはまた私に抱きついて口付けを落としてきた。
それが、くすぐったくて心地いい。
「でも、そういう無理はしないでいい」
そっと、私の頬に触れる彼は真剣だ。
「私も早く、炯さんに会いたかっただけですので」
手を伸ばし、彼に抱きついてその胸に顔をうずめる。
ひさしぶりに感じる、炯さんの体温。
ひさしぶりに嗅ぐ、彼の匂い。
それらが、私を満たしていく。
……そうか。
炯さんの言う〝凛音切れ〟ってこれなんだ。
私も、炯さん切れを起こしていたんだな。
「そういう可愛いことを言われると、今すぐ抱きたくなるんだけど」
私のつむじに口付けを落としながら、彼はシャツの裾から手を侵入させてきた。
「あの、お疲れなのでは?」
「いや?
飛行機の中で寝てたしな。
それより、直に繋がって充電しないとヤバいんだ」
「……ん」
彼の指が胸に触れ、甘い吐息が私の鼻から抜けていく。
「な、いいだろ?」
「あっ……」
返事など待たず、炯さんが私をソファーに押し倒す。
そのまま……。
目が覚めたが、室内はまだ暗い。
「何時……」
手探りで携帯を探し、時間を確認する。
とっくにお昼を越えていた。
そうか、遮光カーテンだから暗いんだ。
「ふふっ」
私の隣で、炯さんはぐっすり眠っている。
疲れていないなんて言っていたけれど、やっぱりお疲れだったらしい。
それにあれだけ、私を貪れば……ね。
「ん……。
凛音、起きたのか……?」
私が目覚めたのに気づいたのか、まだ眠そうに彼が瞼を開ける。
「まだ寝ていていいですよ。
私ももう少し、寝たいです」
「じゃあ、そうする……」
とろとろと炯さんの声が溶けていき、すぐに気持ちよさそうな寝息に変わっていた。
それが嬉しくて、私も身体を寄せて目を閉じる。
一緒に暮らし始めてすぐに、スミさんから言われたのだ。
『坊ちゃんが朝まで一緒に過ごす女性は初めてです』
って。
炯さんはひとりでないと、眠れないのらしい。
だから女性を連れ込んでも、コトが終われば追い返していた。
もっとも、女性を連れ込むの自体が稀だったそうだが。
そんな彼が、私の隣でぐっすり眠っている。
これはそれだけ、私に気を許してくれているってうぬぼれてもいいよね?
「だーい好き、炯さん……」
無意識、なのか彼の腕が私を抱き寄せる。
炯さんの体温が心地よくて、私もまた眠りへと沈んでいった。
次に目が覚めたとき、炯さんは私の隣で携帯を見ていた。
「身体、つらくないか」
「はい」
少しだけ眉を寄せた彼に、笑って答える。
無理をさせたという自覚はあるらしい。
「起きたんなら、なんか食べに行くか」
「そうですね、お腹ペコペコです」
差し出された手に自分の手をのせ、ベッドを出た。
身支度をしてマンションを出る。
炯さんはホテルのアフタヌーンティに連れてきてくれた。
「こんな時間にこんなに食べたら、夕食が入らなくなっちゃいそうです……」
「そうだな、凛音は小さいから食べる量が少ないからな」
物憂げにため息をついた私を、炯さんがおかしそうに笑う。
「明日も休みだし、夕食は少し遅めに摂ればいいだろ?
それでも入りそうになければ、軽めにすればいいだけだ」
「そうですね!」
心配が晴れたので、美味しいスイーツを堪能する。
そんな私をやっぱり、炯さんはおかしそうに笑って見ていた。
「仕事はどうだ?」
「楽しいですよ。
そうだ!
初めてお給料をもらったんです。
私でもお金が稼げるんだって感動しました」
「そうか」
眼鏡の向こうで眩しそうに目を細め、炯さんは紅茶のカップを傾けている。
「それでお買い物に行ったんですが、私のお給料で買えるものってけっこう限られていて、今までいかに自分が贅沢をさせてもらっていたのか実感しました」
「うん」
「それで、これからはもっと、お金を大事にしたいなー、って」
「そうか」
夢中で話していたが、一段落すると炯さんにはこんな話は退屈だったんじゃないかと気になった。
「えっと。
……こんな話は面白くないですよね」
「いや?
俺はそういう凛音が好きだからな。
それに」
ゆっくりと伸びてきた手が、私の口端に触れる。
「夢中になって話している凛音はキラキラしていて、いつまででも見ていられる」
離した指先を、炯さんはまるで見せつけるかのようにペロリと舐めた。
「クリーム、ついてたぞ」
「えっ、あっ、……はい」
目尻を下げ、彼がにっこりと微笑みかける。
おかげでみるみる顔が熱を持っていった。
……炯さん、狡い。
こんなに格好いいの、どきどきするなっていうほうが無理じゃない。
そのあともいないあいだにあった出来事を話しながら、紅茶を飲みつつスイーツを摘まむ。
「そろそろドレスの打ち合わせをしないといけないが、どうする?」
「そうですね……」
そうか、私、炯さんと結婚式を挙げるんだ。
彼との生活は幸せで、そんなことすら忘れていた。
「ドレスはもちろんだが、俺は凛音の白無垢姿も見てみたいんだよなー。
見合いのときの振り袖、よく似合ってたし」
想像しているのか、炯さんがうっとりとした顔になる。
「式はドレスで、白無垢は写真にするか。
いや、いっそドレスと白無垢で二回、式を挙げるか……」
真剣に彼は悩んでいて、ちょっとおかしい。
「二回も挙げるんですか?」
「いいだろ?」
幸せな、私たちの未来の計画。
これがずっと続くと思っていたのだけれど――。