目を開けたら、炯さんの顔が見えた。
なにが楽しいのか、眼鏡をかけて肘枕で、私の顔を見下ろしている。
「おはよう、凛音」
私が目覚めたと気づき、眼鏡越しに目のあった彼はふふっと小さく笑って口付けを落としてきた。
「身体、つらくないか?」
「えっ、あっ、はい。
……大丈夫、です」
なんだか彼の顔を見られなくて、もそもそと布団を顔の上まで引き上げる。
もう二度目なんだし、恥ずかしがる必要はないのはわかっている。
それでも、どんな顔をしていいのかわからなかった。
炯さんのもとへと移って一日目は、酔い潰れて寝落ちるという不甲斐ない結果に終わった。
『俺と一緒のとき以外は、外で酒を飲まないこと。
わかったな』
起きたあと、きつーく彼から約束させられたが、仕方ない。
私も悪かったし。
遅い朝食……というよりもブランチを摂り、本宅へと戻ってきたのがお昼過ぎ。
それからシアタールームで一緒に映画を観て、シェフの作り置き料理で夕食を食べた。
それで、夜は……。
「凛音」
ベッドの上、横たわる私を炯さんが見下ろしている。
「スケジュールにも入れていたが、明日から一週間、出張なんだ」
もう知っていたけれど、昨日今日と楽しかっただけに淋しくなった。
「そんな顔をするな。
行きたくなくなるだろ」
ふふっと困ったように小さく笑い、彼が私の髪を撫でてくる。
「……ごめんなさい」
自分でもいけないってわかっている。
それに、今までは両親が不在でひとりでも、淋しいなどと思ったことはなかった。
でも、炯さんがいないと聞くと、淋しくなっちゃうのはなんでなんだろう。
「いや、いい。
それだけ凛音が、俺がいないのを淋しく思ってくれているのは嬉しいからな」
証明するかのように、軽く口付けが落とされた。
「それに俺も、しばらく凛音に触れられないのは淋しい。
だから」
彼の長い指が、私の胸をとん、と突く。
「この身体に忘れないように俺を刻み込むし、俺も凛音のぬくもりを刻みつける。
いいか?」
レンズの向こうから蠱惑的に光る瞳が私を見ている。
「……はい」
まるでその瞳に操られるかのようにこくんとひとつ、頷いた。
――その後。
「手を握られてイく癖でもついたのか?」
おかしそうにくすくすと笑いながら、まだ荒い息をしている私の髪を撫でてくれる。
「だって」
彼に手を握られると、全部を任せていいんだって気になれて、安心して達せた。
癖といわれれば、そうなのかも。
「じゃあ、徹底的に俺がいないとイケないように、覚え込ませてしまおうか」
炯さんの目が怪しく光る。
そして……。
あのあと、散々求められ続け、最後は完全に意識を失っていた。
というか、私はついこのあいだ初体験を終えたばかりで、さらに昨晩はまだ二回目。
なのに気絶するまでするなんてどうなの?
「りーおん」
布団を剥ぎ、炯さんが私の顔をのぞき込んでくる。
「なんか、怒ってる?」
うるうると目を潤ませて聞かれたら、もーダメ。
「お、怒ってなんかないですよ」
「よかった」
にぱっと実に嬉しそうに笑い、彼は口付けの雨を降らしてきた。
「なー、出張行く前にもう一回、凛音を抱いていいか?」
「は?」
それはさすがになにを言っているのかわからなくて、真顔になる。
「えーっと。
飛行機のお時間とかいいんですか?」
「プライベートジェットだからな、融通は利く」
だったらいい……わけがない。
「あの。
でも、朝ですし……」
「関係ないな」
もうすっかりその気なのか、私の下半身には堅くなったそれが押し当てられている。
「でも、その、あの。
……ああっ」
炯さんの指が下着の中へと侵入してきた。
それだけで昨晩、すっかり躾けられた私の身体は甘く疼きだす。
「そんな甘い声出して、凛音もその気だろ?」
「んんっ」
唇が重なり、すぐに彼の口腔へと引きずり込まれる。
私に口付けしながら、炯さんは私の身体の中へと指を侵入させた。
早朝の清らかな朝日が降り注ぐ室内に、淫靡な水音が響く。
「はぁっ、はぁっ」
「すっかり物欲しそうな顔をして。
手早く終わらせるな」
その言葉とは裏腹に、ゆったりと彼は私の身体へと入ってきて――。
私の前でパンを食べている炯さんを無言で睨む。
「わるかった。
そう怒るなって」
彼は謝ってみせたがニヤニヤ笑っていて、あれは絶対悪いなんて思っていない。
「お土産になんでも凛音の好きなもの、買ってきてやるからさ」
そんなので私の機嫌が直るなんて思っているんだろうか。
だいたい、手早く終わらせるとか言っておいて、三回もスる人間がどこにいる?
三回だよ、三回!
おかげで、私はまだヘロヘロだ。
「なー、凛音って」
返事はせずに黙って食事を続ける。
反省するまで絶対に、許さないんだから。
こういうのは最初が肝心だ。
今後もこれだと困るし。
「帰ってきたら焼き肉に連れていってやろうと思ってたんだけどなー」
眼鏡の奥からちらっと、彼の視線がこちらに向かう。
しかし、悪いが焼き肉が特別な食事の一般庶民とは違うのだ。
何度も父が連れていってくれたし、それくらいで釣られたりはしない。
「七輪で焼く、とっておきの店なんだけどなー」
それにぴくっと、耳が反応した。
私が行く焼き肉屋とは無煙ローターのお上品なお店で、七輪などでは焼かない。
「そうか、いい子でお嬢様の凛音は、行きたくないか」
「行きたいに決まってるじゃないですか!」
はぁっと物憂げにため息をつかれた瞬間、勢いよく食いついていた。
そんな私を見て、炯さんが意地悪く右の口端を持ち上げる。
それが視界に入り、いいように彼に弄ばれていたんだと気づいたがもう遅い。
「こ、今回はそれで手を打ってあげますが、次からはこんなことのないようにですね」
火がついたかのように熱い顔で、しどろもどろになりながらなんとか取り繕う。
「はいはい。
次からは一回で終わるように努力します」
炯さんは軽い調子で本当にわかっているのか疑わしい。
しかも、〝努力します〟だし。
努力ってことは、確約じゃないんだよね?
これからもこんな生活が続くのか……。
朝食が終わり、やはり時間はないらしく慌ただしく炯さんは出かける準備をした。
「じゃ、いってくる。
なにかあったらスミに相談するか、俺に連絡してくれ」
「はい」
私の頬に触れ、ちゅっ。
「なるべく頑張って、早く帰ってくる」
「無理はしないでくださいね」
「そんな優しいこと言われたら、ますます張り切ってしまいそうだ」
また唇がちゅっと触れる。
「それに早く帰ってこないと、凛音切れを起こして死ぬからな。
速攻で片付ける」
〝凛音切れ〟とはなんだろう……?
なんて悩んでいるうちに、再び唇が触れた。
「最後にもう一回、充電していい?」
「……は?」
まさか、スミさんもミドリさんも見ているここでコトにおよぶのかと警戒しているあいだに、炯さんが眼鏡を外す。
なんとなく一歩下がりかけたが、彼がぐいっと私を抱き寄せた。
ゆっくりと傾きながら彼の顔が近づいてくる。
キスならいいかと気を許した私が甘かった。
彼は唇を割って私の口内へと侵入し、がっつり貪ってくる。
やめさせようと胸を押すが、びくともしない。
彼に翻弄されているうちにとうとう、私の瞼も――落ちた。
「もう、物欲しそうな顔してる」
唇が離れ、自身が濡らした私の唇を炯さんは拭った。
「えっ、あっ、そんな顔、してませんし」
否定してみせながらも、自分が蕩けた顔をしている自覚がある。
「……続きは帰ってから、な」
耳もとに口を寄せ、熱いバリトンで囁いて彼が離れる。
おかげでがくんと、身体から力が抜けた。
「おっと」
膝から崩れそうになった私を、炯さんが慌てて支えてくれる。
「だ、大丈夫、なので」
「そうか?」
彼の身体を支えにし、おそるおそる自分の足で立った。
「じゃ、いってくる」
再び軽く口付けし、彼はようやく家を出ていった。
「……はぁっ」
なんであの人は、いちいち私にキスをしたがるのだろう。
ため息をつき、家の中に戻ろうと振り返る。
そこで、背後に控えていたスミさんと目があった。
「ラブラブでスミは目のやり場に困ってしまいます」
「うっ」
わざとらしく声を上げて笑われ、みるみる顔が熱くなっていく。
その隣に立っているミドリさんもうんうんと頷いているとなるとさらに。
「まあ、私どものことは壁とでも思っていただければ大丈夫ですが」
スミさんに同意するようにミドリさんがうんと頷く。
「えっ、あっ、はははははっ」
なんとなく笑って誤魔化した。
もう、そうするしかできなかった。
炯さんにはせめて、スミさんとミドリさんがいる前ではキスを控えるように言おう。
しかし、今朝のあの様子では聞いてくれそうにないが。