改めてメニューを見て、唐揚げと焼きそば、串焼きの盛り合わせとせめてもの良心で豆腐のサラダを頼んだ。
「ほんとは見合い、する気がなかったんだ、俺」
「え?」
ビールを飲みながら炯さんがなにを言っているのかわからなくて、まじまじとその顔を見ていた。
「ならなんで、私とお見合いして、結婚まで決めたんですか?」
「んー、あの日の凛音に興味を持ったから、かな」
困ったように笑い、彼はサラダを口に運んだ。
「仕事が忙しいからな、妻を娶ってもかまう暇がない。
そんなの言い訳だ、結婚さえすればなんとかなるって父さんに言われたけどな。
まあ、父さんの顔を立てるために会うくらいいいかと見合いに行った」
忙しくて家にはほとんどいないと、今日聞いた。
その理由を覆すほどのなにかが、私にあったんだろうか。
「時間があったんで庭を散歩してて、凛音を見つけたんだ。
いかにも池に飛び込みそうな顔をしてるのは心配になったし、いや、でも、この池に飛び込んで死のうなんてバカはいないだろってふたつの考えで、どう声かけるべきかは悩んだけどな」
思い出しているのか、炯さんが小さくくすりと笑う。
「その節はご心配をおかけいたしました」
あのときはとにかく、このまま自由を知らないまま新しい籠へと移る自分が、哀れでしょうがなかったのだ。
それがこんなに、彼を悩ませるなんて思わない。
「いや、いい。
あそこで会えてよかったと、今は思っているからな」
そう……なんだろうか。
まだ私には彼が言いたいことがわからなくて、続く話を待った。
「それにもし、あのとき凛音が見合いが嫌だと答えていたら、速攻で見合いもせずに断って、帰っていたと思うしな」
「え……」
ますますなにが言いたいのかわからない。
そんな私を炯さんはおかしそうに笑っている。
「断るつもりだった俺がいうのはなんだが、俺たちの結婚にはたくさんの人間の将来がかかっている。
なのに親の選んだ人間と結婚するのは嫌、とか自分勝手な阿呆なら、願い下げだ」
苦々しげに彼が吐き捨てる。
もしかして、今までそういう人間がいたんだろうか。
「それはわかっています。
だってそのために今まで贅沢をさせてもらってきたわけですし」
「凛音はほんとにいい子だな」
炯さんの手が伸びてきて、私の頭の上にのる。
眼鏡の下で目尻を下げ、くしゃくしゃと柔らかく彼は私の頭を撫でた。
その幸せそうな顔に、一気に酔いが回ったかのように顔が熱くなった。
「凛音の、悪いことがしたかった、ほんの少しでいい、外の世界を楽しんでみたかったって願いが、いじらしくて叶えてやりたくなったんだ」
ゆっくりと炯さんの手が離れていく。
その手はジョッキを握ったが、空だと気づいたらしくすぐに置き、端末を操作して新しいのを頼んでいた。
「目をキラキラさせてなんでも楽しそうにやっている凛音を見て、今までこんな自由すらなかったのかと可哀想になった。
俺が見合いを断り、別の男と結婚すれば、こんなささやかな自由すらまた奪われるんだろうかと考えたら、いたたまれなかった。
ならせめて、俺が少しでも凛音を自由にしてやりたいと思ったんだ」
新しいビールが届き、喉を潤すように彼はごくりとひとくちそれを飲んだ。
炯さんが私との結婚を決めたのは、同情からだ。
でも、それでもかまわない。
「ありがとうございます、私に自由を与えてくれて」
今、私はこれから始まる新しい生活に期待で胸がいっぱいだ。
それに、最初から愛しあっている人と結婚できるなんて思っていない。
少なくとも私は、炯さんを好きになっていく道を二、三歩はもう進んでいると思う。
彼も同情から愛情へ、少しずつ道を変えていってくれたらいい。
「もしかして迷惑だったんじゃないかと思っていたんだ、そういってくれると嬉しい」
ふわりと笑う炯さんが、とても綺麗だと思った。
その笑顔に耐えられなくて、まだジョッキに半分くらい残っていたお酒を一気に呷る。
「きゅぅぅぅぅっ」
飲み干した途端、世界が反転した。
「えっ、おい!」
炯さんの声が酷く遠い。
そこで私の記憶は途絶えている。
……身体が、揺れる。
それが心地よくて、温かいなにかに抱きついていた。
なんだか凄く安心するんだけれど、なんでだろう?
「ったく。
目が覚めたら、もう外ではひとりで飲まないように厳重注意だな」
苦笑交じりの声が聞こえてくる。
迷惑をかけているのはわかった。
謝りたいけれど、うまく頭が回らない。
「……すっごく、幸せですー」
結局、今の素直なこの気持ちが出た。
「そうか。
凛音が幸せだと俺も幸せだ。
俺は凛音を――」
そのあとは完全に寝落ちてしまって、よく聞こえなかった。