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第7話

――なんて感傷に浸っていた一週間後。

なぜか私はコマキさんと再会していた。

しかも、私のお見合い相手として、ホテルのレストランの個室で。


「はじめまして。灰谷はいたにけいです」


彼はことさら〝はじめまして〟と強調して爽やかに笑ってみせたが、どこからどう見ても胡散臭い。

そもそもなんで、正体を隠して私を知らないフリをして、コマキなんて名乗っていたんだろう。

もしかしてお見合いの前に、私と一緒で相手の情報を一切入れなかったとか?

「は、はじめまして。城坂しろさか凛音りおん、……です」


彼に引き攣った笑顔で応える。

あの日のあれやこれやが思い出され、今すぐこのテーブルの下に潜り込んで隠れたい気分だ。


「私の妻になる女性がこんなに可憐な方なんて、光栄です」


「うっ」


さらににっこりと微笑みかけられ、息が詰まった。

もう彼は私が、諦めの悪いお転婆娘だと知っているのだ。


……そんなわざとらしく言わなくたって。


無言で彼へ抗議の目を向ける。

そのまま、続いていく話に適当な相槌を打って聞いていた。


あの日、おそるおそる家に帰ったものの、父からは想像したほど怒られなかった。

きっと、大事な見合いを勝手に抜け出して、激しく叱責されると思っていたし、覚悟もしていた。

もうそれは、自分が悪いってわかっている。

しかし、なにも言わずに、しかも携帯まで置いていなくなったことについて、心配するから二度としないようにと注意されるだけに終わった。

朝帰りのお咎めもなしだ。

こんなの、反対に気味が悪い。

けれどなにか言って思い出したかのように怒鳴られるのも嫌なので、黙っておいた。


さらに先方も急に都合が悪くなったらしく、土壇場で延期になったと教えられた。

もしかしたらそれで、あまり叱られずに済んだのかもしれない。


こうして一週間後、改めてお見合いとなったわけだが、なぜか私の前には灰谷炯という名のコマキさんが座っている。


……もしかして、よく似た他人とかないよね?

はじめましてって言っていたし。


よくよく自分の前に座る人物の顔を見る。

上部が太いメタルハーフリム眼鏡も長めのスポーツカットも同じだが、それだけで判断してはいけない。

けれど何度見てもその顔はあの日、私を連れ出してくれた彼そのものだ。

いや、一卵性の双子という可能性も捨てきれないが。

しかし本当にコマキさんだとすれば、急に都合が悪くなってお見合いが延期になったのも頷ける。


「それでは、うちの娘をよろしくお願いいたします」


「こちらこそ、よろしくお願いいたします」


笑顔を貼り付けて聞かれたことにだけ答えているうちに、お見合いは成立していた。

まあもっとも、私に拒否権なんてないんだけれど。


「すみません、少々凛音さんをお借りしても?

これからの相談をしたいものですから」


「ああ、そうですね。

いいよな、凛音?」


「はい」


父から聞かれて、承知した。

私だって炯さんとふたりきりになって、聞きたいことがある。


「じゃあ、行きましょうか」


「はい」


促されて一緒に部屋を出る。


「ラウンジのカフェでいいか」


「はい」


反対する理由もないので、頷いて一緒にエレベーターに乗る。

回数表示を見つめながら炯さんは無言だ。

私も黙って立っていた。


ラウンジではすぐに席へ案内された。

彼はコーヒーを、私はグレープフルーツジュースを注文する。


「えっと……。

コマキさん、ですよね?」


スタッフが下がり、ふたりきりになって切り出す。

けれど彼はじっと私を見つめるだけでなにも言わない。

もしかして本当に、他人の空似?

なんて不安になり始めていた頃。


「……ぷっ」


噴き出す音がして、俯きかけていた顔を上げる。


「はははっ、ははっ、なんだよ、その顔!」


凄い勢いで笑い出した彼を、唖然としてみていた。

というか、あまりに大きな声だから周囲の人たちに注目されていて恥ずかしい。


「あのー……」


「あー、もー、俺の思惑どおりって顔してて、見合いの最中、笑わないように我慢するの、大変だったんだぞ?」


「はぁ……」


彼は笑いすぎて出た涙を、眼鏡を浮かせて拭っているが、私には笑える要素なんてひとつもない。


「改めて。

コマキこと灰谷炯だ。

これからよろしくな」


差し出された右手を少しのあいだ見つめたあと、その手を握り返した。


「東城茜こと城坂凛音、です。

こちらこそよろしくお願いします」


そのタイミングで頼んでいたものが運ばれてきて、慌てて手を引っ込めた。


「というか、知ってて黙ってたんだとしたら、意地悪です」


上目でじろっと、抗議を込めて彼を睨む。


「だから『また会える』って言っただろ?」


「それは、そうですけど……」


炯さんは涼しい顔でコーヒーを飲んでいる。

アレでわかれと言われても、無理がある。


「凛音、俺が見合い相手だと全然気づいてないみたいだったからな。

だから、正体を隠してた。

すまん」


散々私をからかって気が済んだのか、彼は真摯に私へ頭を下げた。


「いえ……。

なにも知らなかった私も悪かったと思いますし」


せめて相手の顔写真くらい見ておけばよかったのだ。

そうすればこんな事態にならなかった。

しかし、もし彼がお見合いの相手だと知っていたら、悪いことがしてみたいなんて私の望みを話さなかった自信もある。

なら知らなくてよかったのかといえば、複雑な心境だ。


「許してくれるのか」


「はい」


「よかった」


顔を上げた彼が、眼鏡の下で目尻を下げて人なつっこくにぱっと笑う。

……その顔に。

胸がとくんと甘く、鼓動した。



そのあとはこれからについて相談した。


「入籍と式はまだ先だが、とりあえず俺の家に移ってきたらいい」


「えっと……。

結婚が決まっているとはいえ、嫁入り前の娘が男性と同棲だなんて、許されるんでしょうか」


なぜか炯さんは、カップを持ち上げたまま固まっている。


「……それ、本気で言ってるのか?」


「え?」


僅かな間のあと、眼鏡の奥で何度か瞬きして彼はカップをソーサーに戻した。

私としては至極当たり前の意見だったが、なにか変だったんだろうか。


「……はぁーっ」


まるで気が抜けたかのように炯さんは大きなため息をついた。


「あんな大胆な行動ができるかと思えば、これだもんな。

まったく」


ちらりと彼の視線がこちらを向く。

それは呆れているようでも喜んでいるようでもあった。


「あのさ」


「はい」


次になにを言われるのかわからなくて、どきどきしながら続く言葉を待つ。


「もう俺ら、寝た仲だろ?

いまさらじゃないか」


少しのあいだ言われた意味を吟味し、私は嫁入り前なのに結婚相手とは違う人間――だとあのときは思っていた――とそういう行為におよんでしまったのだと思い至った。


「ソ、ソウデスネ」


あの夜を思い出し、声はぎこちなくなる。

震える手でグラスを掴み、ストローを咥えた。


「まあいいから、俺の家に移ってこい?

それで俺がいっぱい、悪いこと教えてやるからさ」


「……え?」


つい、炯さんの顔をまじまじと見ていた。

悪いことを教えるとはどういう意味なんだろう?

「まさか、楽しい悪いことがあれだけだと思ってるのか?

世の中には一生かかっても遊び尽くせないくらい、楽しい悪いことがあるの。

俺が可能な限り、教えてやる」


私の気持ちがわかっているのか、炯さんが力強く頷く。

結婚すれば今度は良家の奥様という役割を押しつけられ、そのように振る舞うように強制されるものだと思っていた。

なのに彼は、私に自由をくれるというのだろうか。


「時間を無駄にしたくないからな。

だから早く俺の家に移ってきて、一緒に悪いことやろうぜ」


右頬を歪め、実に人の悪い顔で彼が笑う。

でもそれが私には、酷く眩しく見えた。


「は、はい……!」


嬉しくて胸がいっぱいになる。

浮かんできた涙は気づかれないように、さりげなく拭った。

結婚を待たずにすぐにでも越してこいなんてきっと、少しでも早く私をあの窮屈な生活から解放してやろうという彼の心遣いだ。

結婚相手になんの期待もしていなかった。

ただ、暴力を振るう人じゃなかったらいいな、くらいにしか思っていなかった。

でも、私は本当にいい人と結婚するんだな。

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