「CEO!一体何があったんですか?!」
埃だらけのイズルと泥まみれのリカを見たら、青野翼の顔色が青ざめた。
「こ、この人は鬼畜のCEO兄ちゃん?!」
あんまり関係ないけど、花山ようこも血の気が引いた。
イズルをじっくり観察したら、爪先を噛んで頭を何回も横に振った。
「あ、ありえない!ありえない――!!」
ようこは青野翼を掴んで彼の体を強く揺らす。
「ねぇ、教えて!このカッコ悪い人はCEOなんかじゃないでしょ!そんなもんに溺愛されても意味がないの!!お願い、乙女の夢を壊させないで!!」
「はい、壊します!CEOです!彼は正真正銘のCEOです!」
青野翼はようこを剥がして、イズルを支えようと手を伸ばした。
「車だ」
イズルはそれだけを言って、青野翼の手を払った。
「一体何があったんですか……?」
イズルの機嫌が悪いから、青野翼はリカに聞いた。
「追手がある。ここを離れるのが先よ」
リカも多く言わず、ただ足を速めた。
車に乗ると、イズルは全ての力を抜いて、後の座席に背を預けた。
息を整えたら、前髪を掻きあげて隣のリカに問いかけた。
「さっきのはなんだ……?」
「法具というものよ。法術を媒体の中に封印して作られた道具。それを使えば異能力のない人も法術を発動できる。エンジェは攻撃の異能力を持っていない。高級宝石を媒体に法具をたくさん作ってもらった。媒体の質が高いほど、封印できる法術が強いと言われている……」
「あれじゃない、オレのほうだ」
イズルはリカの話を断ち切って、質問を直した。
「……防御系の異能力」
少し躊躇ったけど、リカは短く答えた。
二人もまだまだ元気だと分かって、青野翼も一安心。テンションを上げて二人の会話に割り込んだ。
「CEOの力はやっと覚醒しましたか。特訓の成果が出ましたね!」
「誤魔化すな。お前に説明してもらいたいことがある。オフィスで……」
イズルは青野翼を問詰ようとすると、激痛が頭の真ん中を走った。
「……っく!!」
戸外サバイバルで鍛えてきたイズルは忍耐強いほうだ。
けど、この痛みは今まで経験した肉体の痛みとまったく違う。直接に彼の意識に刺し込み、まるで魂からの痛みだ。
耐えたくても耐えられなくて、口から苦痛の声が漏れた。
「『
リカはイズルの知らない単語を呟いた。
「……」
苦しみで言葉が出なく、頭を強く抑えているズルの姿を見たら、青野翼は苦笑した。
「説明はいつでもできますが、今夜に限って、ちゃんと休んだほうがいいと思いますよ」
マンションに戻ったら、イズルとリカは各自の浴室に入った。
イズルはざっくりシャワーを浴びってから、寝室のベッドに倒れ込んだ。
痛みは先より鈍くなったが、心臓は異常な速さで鼓動している。
休めば元に戻ると思って、なるべくリラックスしようとしたが、どうしてもできない。
心臓から熱い血ではなく、冷たい何かが湧いてきて、意識の深いところに滲んでいく。
亡くなった母の青白い顔が頭に浮かんできた。
黒い渦巻きのなかで、血まみれの母は彼に助けを求めるように震える手を伸ばした。
イズルの全身は石のようになっていて、一歩も動けない。声一つも出られない。
一つ、一つ、重い心臓の鼓動はまるであの日の爆発音。
イズルの意識を家族が亡くなった日に引きずり戻す。
――
「みんなは先に戻ってて。軌跡たちと約束があるから、これから斜楼に行く」
「こんな時間、また遊び?徹夜するの?」
母はちょっと心配した。
「徹夜するけど、遊びじゃない。仕事だ」
「あら、どんな風吹きなの?イズルちゃんは徹夜で仕事?」
「もし成功したら、父さんや爺さんからご褒美をもらおうかなと思ったから、ちょっとはりきっている」
「できたら考える」
運転手席に座っている父は笑って頷いた。後ろの座席にいる祖父も微笑んだ。
あれは、イズルが両親と祖父との最後の会話だ。
彼が身を翻す瞬間、狂暴な熱気と爆発音は全てを吹き飛ばした。
——
「神農グループの『仕事』を気に入らないのが分かる。強要しない。自分の道を作れ。遊びは20歳までだ」
自分の反逆を容認して、ほかの道を示してくれた父。
——
「学校に抵抗感がある以上、無理矢理に通わせても真面目に勉強しないでしょう。うちの子は学歴より、生存能力のほうが大事です」
自分を甘やかして、わがままな退学を認めてくれた母。
——
「この子の名前はイズルだ。日の出のように、輝かしい人生を送るがいい」
名前をくれて、大きな期待をくれた祖父。
——
山ほどのつまらないお見合いを断ってくれた叔母……
結婚一年未満の叔父夫婦、そしてまだ生まれていない従妹……
——
家族の声も、笑顔も、爆音の中で粉々になってしまった。
イズルだけが残されて、一人で暗闇の中で佇んでいる。
家族の像が化した灰は冷たい氷屑と雨となって、イズルに降りかかる。
皮と肉を貫き、骨の髄まで刺していく……
不意に、額は暖かい何かに覆われた。
その温度と柔らかい触覚はイズルを現実に連れ戻した。
「!!」
目を開けると、見えたのは暗い部屋の天井、そして、自分の頭に手を置いたリカだ。
今のイズルは全身に悪寒が走っている。暖かさがほしい。
だが、警戒心は先に働いて、思い切りリカの手を払った。
震えそうな体を支えてベッドから身を起こし、リカを睨みつける。
「何しに来た……」
部屋が暗く、目がぼんやりしてる。リカの表情が見えない。
敵か味方か判断できない。
エンジェという女は、リカこそイズル一家を殺させた張本人と言った。でも、その女は明らかにリカに敵意を持っている。嘘の可能性が大きい。
もう一方、リカはやはり万代家の人だ。直接な責任がなくても、関係ないと断言できない。
彼女は万代家が送ってきた「監視者」。彼女もその口で、自分のこと「任務対象」だと言った。
もしずっと隙を狙っているのなら、今は行動するチャンスだ。
イズルの警戒に察したのか、リカは一歩後ずさって、平穏な声で説明し始める。
「それは『刻印反噬』。異能力を使う時の副作用みたいなもの。特に、自然に生まれた異能力ではない能力を使う時に、よく発生する。道具や法術があれば、代わりに他人に反噬を負わせてもらうこともできる。あなたの能力の反噬ではないなら、エンジェは反噬を転移させる方法を使ったのでしょう……」
「そんなことどうでもいい。オレは寝る」
イズルは乱暴な態度でリカの話を断ち切った。
もうリカの目的を分析する力も、キャラを演じる力もない。
今の情けない姿を誰にも見せたくない。
「エンジェの異能力の反噬だったら、幻像を見るはずよ。何かを見たの……?」
リカはイズルを真っすぐ見つめていて問い続ける。
体勢を維持するのはもう限界だ。イズルは苦痛を歪んだ笑顔に変えて、わざとリカに見せた。
「まだ行かない……?じゃ、一緒に寝る?」
「……」
「ああ、怖い夢を見ちゃった。とっても怖い、眠れないの。お願い、傍にいて、一人にしないで」
イズルは分かる。
こういうわざとらしい甘えん坊な口調で話したら、リカは絶対減点モードに入る。そして、振り向かずにこの場を去る。
やはり、思った通り、リカは静かに部屋を出た。
やっと人の目に触れなくなった。
イズルはやせ我慢を諦めて、体を丸く縮こませてベッドに倒れ込んだ。
前にも「傍にいて」とリカに言ったことがあるが、その時は100%の嘘だった。
でも今回は――死んでも認めたくないけど――80%は本当だ。
悪夢は次々と襲ってくる。
「助けて!イズルちゃん――!」
「イズル――!」
「イズル……」
悲痛な叫びが聞こえる。
家族の姿は血だらけの鬼と化して彼を掴もうとしている。
呪怨のような声は頭の中で繰り返されている。
「なぜ助けなかった?!」
「なぜ一人で逃げたんだ?!」
イズルは体を強く抱きしめる。
だが、その冷たい手は何も温められない。
まもなく、暖かい空気が近寄ってくるのを感じた。
目を少しだけ開けると、目の前に、パジャマ姿のリカがいた。
リカの手に何かを抱えている。
「……」
イズルの質問を待たずに、リカはベッドから一つの枕を取って、代わりに自分が持ってきた枕を置いた。
「他人の枕に慣れない」
リカはいつもの不愛想な口調で言いながら、イズルの隣で横になった。
「!お前……」
何を企んでいるとイズルは問い詰めようとしたが、その前に、リカの動きに気を引かれた。
リカは羊のぬいぐるみを二人の枕の間に置いた。
「……これは、何だ?」
この行動があんまりにも意味不明で、イズルは慎重に小さい声で確かめた。
「法具ではない。ただの催眠羊。クリスマス限定版」
「……」
ただの、催眠、羊、クリスマス限定版。
なんだか、ツッコミことろがいっぱい。
「……っ」
破裂しそうに跳んでいるイズルの心臓が、妙な痒みした。その痒みは張り切っている神経に一瞬のゆるみを与えた。
イズルは思わず、かっこ悪そうな表情で笑い声を漏らした。
「ぬいぐるみで催眠……?オレを何歳だと思う?」
リカの部屋でこの羊を見たことがある。
細工と材質はとてもよい。デザインもかわいい。
こんな近い距離に置かれたら、触ってみる衝動もある。
「!」
イズルは手を上げると、またびっくりした。
手が震えている。指から腕までの感覚がまるでない。
今まで全く気付かなかった。
「……」
冷たい空気は再び胸を襲ってくる。
イズル画恐怖を感じたその時、リカは彼に両手を伸ばした――片手で彼の震える手を掴んで、片手で彼の頭を自分の方に優しく押し寄せた。
微妙な距離で、イズルはリカの心臓の穏やかな音を聞いた。
リカの動きは凍えつく子猫を慰めるようにやさしい。
だけど、口調に揺るぎはない。
「反噬を解ける瞑想を誘導する。私の声に集中して。まず、一回深呼吸――」
「……」
イズルは黙ってリカの指示に従った。
「逃げないで。どんなものを見ていても、まっすぐ見るがいい。よく観察すれば分かる。すべては幻像だ」
「……」
イズルは目を閉じると、家族が悲惨に死んだ画面がまた現れた。
彼は拳を必死に握りしめて、震えそうな声でリカの話を否定する。
「違う……全部、本当だ……本当にあったことだ……」
「悲劇が本当にあったとしても、今見たものと違う。今見たのは、現実の歪みだ。あなたの恐怖、悲しみ、負の感情を利用して、作られた幻像に過ぎない。真実を隠して、あなたを過去に取り込もうとしている幻よ」
「その幻像はあなたが怖がっている。あなたは前を進めば、それの存在が消えてしまうから、やつは一生懸命あなたを止めようとしている。やりたいことがあるでしょ。だったら負けないで。あなた自身は最大な武器だ。知っている真実をぶつけよう、幻像は必ず消える」
リカの声に意識を掴められて、導かれたように、イズルはもう一度襲い掛かってくる幻像を見つめる。
暖かい温度のおかげか、呼吸がさっきより楽になり、落ち着いて残酷な場面を見れるようになった。
家族の笑顔はやさしかった。
その血だからけの姿は、自分の恐怖。
家族の声は暖かった。
呪怨のような咎め声は、自分の軟弱。
気持ち悪い。
復讐を誓った時から、恐怖も軟弱も悔しさも全部捨てたはずだ。
反噬か何だかしらないけど、今更そんなものを見せてどうする?
それだけのことで、自分の復讐を止められると思う?
逆効果だ。
冷たく骨に刺さる氷の針は、血を冷ませるのではなく、復讐がまだ果たしていないということを教えてくれた。
それらを全部復讐の力に変える。
復讐のために、もっと、力がほしい。力になれるすべてのものがほしい!
だけど、今は、今だけは……
ほんの少し、休ませてくれ、目が覚めたら、きっと、もっと強い自分になれる。
イズルは無意識に手を伸ばして、リカに温度を求めた。
ラベンダーの香りに包まれて、久しぶりの安らぎな眠りに入った。