目次
ブックマーク
応援する
1
コメント
シェア
通報
30 刻印反噬と子守歌

「CEO!一体何があったんですか?!」

埃だらけのイズルと泥まみれのリカを見たら、青野翼の顔色が青ざめた。

「こ、この人は鬼畜のCEO兄ちゃん?!」

あんまり関係ないけど、花山ようこも血の気が引いた。

イズルをじっくり観察したら、爪先を噛んで頭を何回も横に振った。

「あ、ありえない!ありえない――!!」

ようこは青野翼を掴んで彼の体を強く揺らす。

「ねぇ、教えて!このカッコ悪い人はCEOなんかじゃないでしょ!そんなもんに溺愛されても意味がないの!!お願い、乙女の夢を壊させないで!!」

「はい、壊します!CEOです!彼は正真正銘のCEOです!」

青野翼はようこを剥がして、イズルを支えようと手を伸ばした。

「車だ」

イズルはそれだけを言って、青野翼の手を払った。

「一体何があったんですか……?」

イズルの機嫌が悪いから、青野翼はリカに聞いた。

「追手がある。ここを離れるのが先よ」

リカも多く言わず、ただ足を速めた。


車に乗ると、イズルは全ての力を抜いて、後の座席に背を預けた。

息を整えたら、前髪を掻きあげて隣のリカに問いかけた。

「さっきのはなんだ……?」

「法具というものよ。法術を媒体の中に封印して作られた道具。それを使えば異能力のない人も法術を発動できる。エンジェは攻撃の異能力を持っていない。高級宝石を媒体に法具をたくさん作ってもらった。媒体の質が高いほど、封印できる法術が強いと言われている……」

「あれじゃない、オレのほうだ」

イズルはリカの話を断ち切って、質問を直した。

「……防御系の異能力」

少し躊躇ったけど、リカは短く答えた。


二人もまだまだ元気だと分かって、青野翼も一安心。テンションを上げて二人の会話に割り込んだ。

「CEOの力はやっと覚醒しましたか。特訓の成果が出ましたね!」

「誤魔化すな。お前に説明してもらいたいことがある。オフィスで……」

イズルは青野翼を問詰ようとすると、激痛が頭の真ん中を走った。

「……っく!!」

戸外サバイバルで鍛えてきたイズルは忍耐強いほうだ。

けど、この痛みは今まで経験した肉体の痛みとまったく違う。直接に彼の意識に刺し込み、まるで魂からの痛みだ。

耐えたくても耐えられなくて、口から苦痛の声が漏れた。

「『刻印反噬こくいんはんぜい』?!まさか、エンジェの……」

リカはイズルの知らない単語を呟いた。

「……」

苦しみで言葉が出なく、頭を強く抑えているズルの姿を見たら、青野翼は苦笑した。

「説明はいつでもできますが、今夜に限って、ちゃんと休んだほうがいいと思いますよ」


マンションに戻ったら、イズルとリカは各自の浴室に入った。

イズルはざっくりシャワーを浴びってから、寝室のベッドに倒れ込んだ。

痛みは先より鈍くなったが、心臓は異常な速さで鼓動している。

休めば元に戻ると思って、なるべくリラックスしようとしたが、どうしてもできない。

心臓から熱い血ではなく、冷たい何かが湧いてきて、意識の深いところに滲んでいく。

亡くなった母の青白い顔が頭に浮かんできた。

黒い渦巻きのなかで、血まみれの母は彼に助けを求めるように震える手を伸ばした。

イズルの全身は石のようになっていて、一歩も動けない。声一つも出られない。

一つ、一つ、重い心臓の鼓動はまるであの日の爆発音。

イズルの意識を家族が亡くなった日に引きずり戻す。


――

「みんなは先に戻ってて。軌跡たちと約束があるから、これから斜楼に行く」

「こんな時間、また遊び?徹夜するの?」

母はちょっと心配した。

「徹夜するけど、遊びじゃない。仕事だ」

「あら、どんな風吹きなの?イズルちゃんは徹夜で仕事?」

「もし成功したら、父さんや爺さんからご褒美をもらおうかなと思ったから、ちょっとはりきっている」

「できたら考える」

運転手席に座っている父は笑って頷いた。後ろの座席にいる祖父も微笑んだ。


あれは、イズルが両親と祖父との最後の会話だ。

彼が身を翻す瞬間、狂暴な熱気と爆発音は全てを吹き飛ばした。


——

「神農グループの『仕事』を気に入らないのが分かる。強要しない。自分の道を作れ。遊びは20歳までだ」

自分の反逆を容認して、ほかの道を示してくれた父。

——

「学校に抵抗感がある以上、無理矢理に通わせても真面目に勉強しないでしょう。うちの子は学歴より、生存能力のほうが大事です」

自分を甘やかして、わがままな退学を認めてくれた母。

——

「この子の名前はイズルだ。日の出のように、輝かしい人生を送るがいい」

名前をくれて、大きな期待をくれた祖父。

——

山ほどのつまらないお見合いを断ってくれた叔母……

結婚一年未満の叔父夫婦、そしてまだ生まれていない従妹……

——

家族の声も、笑顔も、爆音の中で粉々になってしまった。

イズルだけが残されて、一人で暗闇の中で佇んでいる。

家族の像が化した灰は冷たい氷屑と雨となって、イズルに降りかかる。

皮と肉を貫き、骨の髄まで刺していく……


不意に、額は暖かい何かに覆われた。

その温度と柔らかい触覚はイズルを現実に連れ戻した。

「!!」

目を開けると、見えたのは暗い部屋の天井、そして、自分の頭に手を置いたリカだ。

今のイズルは全身に悪寒が走っている。暖かさがほしい。

だが、警戒心は先に働いて、思い切りリカの手を払った。

震えそうな体を支えてベッドから身を起こし、リカを睨みつける。

「何しに来た……」

部屋が暗く、目がぼんやりしてる。リカの表情が見えない。

敵か味方か判断できない。

エンジェという女は、リカこそイズル一家を殺させた張本人と言った。でも、その女は明らかにリカに敵意を持っている。嘘の可能性が大きい。

もう一方、リカはやはり万代家の人だ。直接な責任がなくても、関係ないと断言できない。

彼女は万代家が送ってきた「監視者」。彼女もその口で、自分のこと「任務対象」だと言った。

もしずっと隙を狙っているのなら、今は行動するチャンスだ。


イズルの警戒に察したのか、リカは一歩後ずさって、平穏な声で説明し始める。

「それは『刻印反噬』。異能力を使う時の副作用みたいなもの。特に、自然に生まれた異能力ではない能力を使う時に、よく発生する。道具や法術があれば、代わりに他人に反噬を負わせてもらうこともできる。あなたの能力の反噬ではないなら、エンジェは反噬を転移させる方法を使ったのでしょう……」

「そんなことどうでもいい。オレは寝る」

イズルは乱暴な態度でリカの話を断ち切った。

もうリカの目的を分析する力も、キャラを演じる力もない。

今の情けない姿を誰にも見せたくない。

「エンジェの異能力の反噬だったら、幻像を見るはずよ。何かを見たの……?」

リカはイズルを真っすぐ見つめていて問い続ける。

体勢を維持するのはもう限界だ。イズルは苦痛を歪んだ笑顔に変えて、わざとリカに見せた。

「まだ行かない……?じゃ、一緒に寝る?」

「……」

「ああ、怖い夢を見ちゃった。とっても怖い、眠れないの。お願い、傍にいて、一人にしないで」

イズルは分かる。

こういうわざとらしい甘えん坊な口調で話したら、リカは絶対減点モードに入る。そして、振り向かずにこの場を去る。

やはり、思った通り、リカは静かに部屋を出た。


やっと人の目に触れなくなった。

イズルはやせ我慢を諦めて、体を丸く縮こませてベッドに倒れ込んだ。

前にも「傍にいて」とリカに言ったことがあるが、その時は100%の嘘だった。

でも今回は――死んでも認めたくないけど――80%は本当だ。


悪夢は次々と襲ってくる。

「助けて!イズルちゃん――!」

「イズル――!」

「イズル……」

悲痛な叫びが聞こえる。

家族の姿は血だらけの鬼と化して彼を掴もうとしている。

呪怨のような声は頭の中で繰り返されている。

「なぜ助けなかった?!」

「なぜ一人で逃げたんだ?!」

イズルは体を強く抱きしめる。

だが、その冷たい手は何も温められない。


まもなく、暖かい空気が近寄ってくるのを感じた。

目を少しだけ開けると、目の前に、パジャマ姿のリカがいた。

リカの手に何かを抱えている。

「……」

イズルの質問を待たずに、リカはベッドから一つの枕を取って、代わりに自分が持ってきた枕を置いた。

「他人の枕に慣れない」

リカはいつもの不愛想な口調で言いながら、イズルの隣で横になった。

「!お前……」

何を企んでいるとイズルは問い詰めようとしたが、その前に、リカの動きに気を引かれた。

リカは羊のぬいぐるみを二人の枕の間に置いた。

「……これは、何だ?」

この行動があんまりにも意味不明で、イズルは慎重に小さい声で確かめた。

「法具ではない。ただの催眠羊。クリスマス限定版」

「……」

ただの、催眠、羊、クリスマス限定版。

なんだか、ツッコミことろがいっぱい。

「……っ」

破裂しそうに跳んでいるイズルの心臓が、妙な痒みした。その痒みは張り切っている神経に一瞬のゆるみを与えた。

イズルは思わず、かっこ悪そうな表情で笑い声を漏らした。

「ぬいぐるみで催眠……?オレを何歳だと思う?」

リカの部屋でこの羊を見たことがある。

細工と材質はとてもよい。デザインもかわいい。

こんな近い距離に置かれたら、触ってみる衝動もある。

「!」

イズルは手を上げると、またびっくりした。

手が震えている。指から腕までの感覚がまるでない。

今まで全く気付かなかった。

「……」

冷たい空気は再び胸を襲ってくる。

イズル画恐怖を感じたその時、リカは彼に両手を伸ばした――片手で彼の震える手を掴んで、片手で彼の頭を自分の方に優しく押し寄せた。

微妙な距離で、イズルはリカの心臓の穏やかな音を聞いた。

リカの動きは凍えつく子猫を慰めるようにやさしい。

だけど、口調に揺るぎはない。

「反噬を解ける瞑想を誘導する。私の声に集中して。まず、一回深呼吸――」

「……」

イズルは黙ってリカの指示に従った。

「逃げないで。どんなものを見ていても、まっすぐ見るがいい。よく観察すれば分かる。すべては幻像だ」

「……」

イズルは目を閉じると、家族が悲惨に死んだ画面がまた現れた。

彼は拳を必死に握りしめて、震えそうな声でリカの話を否定する。

「違う……全部、本当だ……本当にあったことだ……」

「悲劇が本当にあったとしても、今見たものと違う。今見たのは、現実の歪みだ。あなたの恐怖、悲しみ、負の感情を利用して、作られた幻像に過ぎない。真実を隠して、あなたを過去に取り込もうとしている幻よ」

「その幻像はあなたが怖がっている。あなたは前を進めば、それの存在が消えてしまうから、やつは一生懸命あなたを止めようとしている。やりたいことがあるでしょ。だったら負けないで。あなた自身は最大な武器だ。知っている真実をぶつけよう、幻像は必ず消える」

リカの声に意識を掴められて、導かれたように、イズルはもう一度襲い掛かってくる幻像を見つめる。

暖かい温度のおかげか、呼吸がさっきより楽になり、落ち着いて残酷な場面を見れるようになった。


家族の笑顔はやさしかった。

その血だからけの姿は、自分の恐怖。

家族の声は暖かった。

呪怨のような咎め声は、自分の軟弱。

気持ち悪い。

復讐を誓った時から、恐怖も軟弱も悔しさも全部捨てたはずだ。

反噬か何だかしらないけど、今更そんなものを見せてどうする?

それだけのことで、自分の復讐を止められると思う?

逆効果だ。

冷たく骨に刺さる氷の針は、血を冷ませるのではなく、復讐がまだ果たしていないということを教えてくれた。

それらを全部復讐の力に変える。

復讐のために、もっと、力がほしい。力になれるすべてのものがほしい!


だけど、今は、今だけは……

ほんの少し、休ませてくれ、目が覚めたら、きっと、もっと強い自分になれる。


イズルは無意識に手を伸ばして、リカに温度を求めた。

ラベンダーの香りに包まれて、久しぶりの安らぎな眠りに入った。


コメント(0)
この作品に、最初のコメントを書いてみませんか?