むかし、むかし。とある森の近くに、大きな女の子とおかあさんが暮らしていた。
女の子は食べるのが大好きで、丸々と太っていた。
しかし、好きで太り続けていたのにも関わらず、自分の体形に不満ばかり漏らす。
いつもおばあさんに作らせた赤いずきんをかぶり、SNSには輪郭をごまかした加工感満載の自撮りをアップしていた。
ある程度の『いいね』はつくものの、多くの者を騙すにはさすがに無理がある。
いつしかデブ赤ずきんというあだ名で呼ばれるようになってしまった。
ある日、デブ赤ずきんを見兼ねたおかあさんが、少しでも運動させようと提案する。
「おばあさんにミートパイとチーズ、それにビールが入ったカゴを届けておくれ。断れば夕飯は抜きです。寄り道をしてはいけませんよ?」
体を動かすのが大嫌いなデブ赤ずきんだが、ご飯が食べれないとなってはしぶしぶ了承するしかない。
「……チッ、しゃあねぇな」
悪態をつきながら家を出る。
おばあさんの家は森のむこう。道は悪く、ゆるやかな上り坂が続く。
身長170センチ、体重180キロのデブ赤ずきんにとっては大冒険。
きしむ膝にムチを打ち、ゼェハァと息を吐きながら歩き続ける。
ようやくデブ赤ずきんが森の入口にたどり着いたとき、狼が現れた。
くすんだ灰色の毛皮。大きく裂けた口元からは鋭い牙が覗く。金色の瞳は獰猛に輝き、二足歩行というのも珍しい……はずなのだが、世間知らずなデブ赤ずきんからすれば、なんか変なのが来やがったという認識でしかない。
「デブ赤ずきんちゃん、おばあさんの所に行くんだろう? おっと、そのカゴの中身は食べ物か。それはいけないな。おばあさんはもうお腹いっぱいだと言っていたよ? そのおみやげ、全部食べてしまったら?」
ニシシと笑い、狼がデブ赤ずきんをそそのかす。
この狼は、普通の狼ではない。ワーウルフと呼ばれる、人間を食べてしまう悪いモンスターなのだ。
でもデブ赤ずきんは、そんな狼の恐ろしさを知らないし気づきもしない。
「言われなくても、最初からそのつもりだったよマヌケ」
この狼の野郎、いい情報を持っているじゃねえか……心の中ではそんなことを思いつつ、デブ赤ずきんは狼に不必要な悪口を浴びせる。
シッシと手を振りながら狼を遠ざけ、どっこいしょと切り株に腰かけ、にんまりと微笑みながらミートパイをかじり始めた。
「……この女、性格も終わってやがる」
狼は、デブ赤ずきんに聞こえない小さな声で呟きを残し、おばあさんの所にしめしめと向かっていく。
そんなことなど知りもせず、デブ赤ずきんは次から次へとカロリーを摂取してしまう。
寄り道などしていない。ただ道の途中で休憩しているだけだと、自己肯定も完璧。
ミートパイの余韻をビールで流し込み、チーズの香りをビールでさらに深めていく。
また、森の中というシチュエーションもいい。
開放感があり、おかあさんから「食べすぎだ」とか「また太るぞ」などと嫌味を言われることもない。
これが、世の女子が楽しむソロキャンプの醍醐味か……などと勘違いしながら、すべてペロリと平らげてしまった。
やがてデブ赤ずきんは、ゲフッとアルコール混じりのゲップを森の澄んだ空気に溶け込ませ、お腹をさすりながら立ち上がる。
そして、再び歩き始めた。
ときおり木に体重をあずけながら、足取りはフラフラとおぼつかない。
その頃、風のように木々の隙間を縫いながら、狼がおばあさんの家にたどり着く。
家の中に忍び込んで、寝ているおばあさんをぺろりと食べてしまう。
そのままベッドに潜り込んで思考する。
骨ばって食いごたえのないババアだったが、メインディッシュは脂がのったデブ赤ずきんだ。
見るからに頭が悪そうだったし、ちょっと騙してやれば簡単に油断してくれるだろう。
あれ美味そうだ。よくもあそこまでブクブクと太ってくれたものだ……と、舌なめずりをしながら。
どれくらい時間が経っただろう。
その時間はあまりにも長く、さすがの狼も眠ってしまっていた。
やがて、おばあさんの家の扉が勢いよく開く。
ようやくデブ赤ずきんが訪れたようだ。
肩で扉に体重を乗せ、押し込むように入ってきたらしく、家全体が揺れてギシギシと軋む。
その音に、狼がびくりと驚きながら目を覚ます。
これではどちらがモンスターなのか分からない。
「はぁ、はぁ、ばあさん……水をくれ!」
デブ赤ずきんの顔は溶けたように汗まみれ。
荒い呼吸で部屋の空気に酒気が混じっていく。
空っぽになったカゴをテーブルの上に置いて、どさりとソファーに座り込む。
さらに、太い足で床を叩きながらデブ赤ずきんが叫ぶ。
「早くしろ! 孫が死ぬぞ!」
狂暴なワーウルフでさえ目を疑うほどの横柄な態度だ。これでは腹の中のおばあさんも報われないなと、可哀そうに思えるほどに。
普段のおばあさんの扱いが目に浮かぶ。
しかし、動くわけにはいかない。
どちらが先に諦めるか、狼とデブ赤ずきんの我慢比べが始まった。
「……さすがにビール五本はやりすぎたか。あぁ、気持ち悪い。ばあさんが動かねえから、吐くしかねえな。おーい、孫が家の中でゲロ吐くぞー!」
嗅覚に優れた狼にとって、ゲロを吐かれては最悪だ。
恐ろしい手札を切ってきやがったと、ワーウルフが顔を歪ませる。
これから最高の食事をしようと企んでいるのに、悪臭が漂っていては台無しだ。
なにかしら手を打つしかない。
「吐くなら外にしてくれんかねぇ?」
なるべく声を高くして、なおかつしわがれた老人を真似る狼。
「この状態から立てと? 無理だね。吐くね」
一歩も譲らないデブ赤ずきん。
……勝てない。
そう悟った狼は、毛布で全身を覆いながら立ち上がる。
姿がバレなければ問題ない。
台所でコップに水を汲み、デブ赤ずきんが待つテーブルの上に置く。
「ばあさん、氷は?」
このデブ赤ずきんの一言に、狼がキレた。
こいつ、自分のおばあさんにいつもなんて態度を取ってやがるんだ……と。
狼のほうが常識があったのだ。
「てめえ、もう許さねえ! 食ってやる!」
毛布を投げ捨て、ワーウルフがその姿を現す。
そして、デブ赤ずきんの両腕をその鋭い爪で掴み、大きく裂けた口をあんぐりと開く。
尖った牙は、まるで一本一本が研ぎ澄まされたナイフのよう。
上顎から糸を引く唾液が恐ろしさを増す。
「ガルルル!」
唸り声を上げ、込み上げた怒りが鼻筋にしわを刻む。獰猛な表情を浮かべる狼。
しかし、デブ赤ずきんはぴくりとも動かない。
……いや、動けないのかもしれない。
それは恐怖からなのか、単に体が重すぎるからなのか。
所詮は人間。こうなってしまえば、ただの肉の塊と同じ。
狼の牙が、いただきますといわんばかりにデブ赤ずきんの肩口を襲う。
「……ほへ?」
……が、しかし、その牙を到達させるには口の開きが足りなかった。
デブ赤ずきんの脂肪が厚すぎたのだ。
どれだけ力づくで顔を押し込もうにも、これ以上前に進まない。
それどころか、肉の弾力で押し返されてしまう。
「おい毛むくじゃら、森でさっき会ったな。まさか、あたいを食べようとしたのか? いや、勘違いならそれでいいんだ。勘違いなら……なぁ?」
デブ赤ずきんが、狼の筋肉質な両腕を太い指で掴み返す。
小娘のものとは思えないすさまじい力だ。ワーウルフといえど身動き一つ取れない。
「……ひっ!」
狼の顔が恐怖に歪む。
理由は簡単。デブ赤ずきんの顔があまりに恐ろしかったからだ。
微笑む顔は皮脂でベトベト。しかし、SNSにアップしているようなにこやかな笑みではない。
背筋が凍るほどの邪悪さ。これではまるで魔王だ。
「一つだけ質問だ。あたいのばあさんをどうした?」
圧倒的強者からの必答の問い。
狼に拒否権はない。
「た、食べました。多分もう、消化しちゃったかと……」
狼が、冷や汗を垂らしながら答える。
デブ赤ずきんの両手に、ガクブルと怯える狼の震えが伝わる。
「……そうか。じゃあ、ばあさんを食べたお前をあたいが食ってやろう!」
この女は狂っている。
目がまともじゃない。
手を出すべきじゃなかった。
恐ろしい。
怖い、怖い、怖い……。
「ぎゃああああああああっ!」
こうして、静かな森に狼の叫び声が響き渡りましたとさ。
めでたし、めでたし。