「宿題終わったの?」
母の声が、リビングに響き渡る。ソファでゴロゴロしながら、ネットフリックスでハリウッド最新作解説動画を見漁っていた兄・ユウタ(中2、自称映画評論家)は、反射的にリモコンの音量を下げ、画面を一時停止した。画面には、マーベル最新作の考察系YouTuberが映し出されている。メタバース空間での展開が今後の主流になるか、マルチバースの更なる深掘りが来るか、など、ユウタにとっては(本人の中では)大変重要な考察を真剣に視聴していたのだ。
「もうすぐ終わる…はず」と、小声で答えたのは妹・マイ(小6、自称ユーチューバー)。台所からはリズミカルな包丁の音と、母が鼻歌で歌う「瀬戸夜叉姫」が、絶妙な不協和音を奏でている。時代ものの歌謡曲なのに、何故かアップテンポなアレンジ。母の独特すぎるセンスに、マイはいつも苦笑いを浮かべていた。
マイは、算数の難問と格闘中だった。机の上にはプリントが散乱し、消しゴムのカスが舞っている。「分数の割り算…もう割り切れない!なんで割る数をひっくり返してかけるの?意味わかんない!」と呟き、鉛筆を投げ出す。すると、鉛筆はまるで運命に導かれるかのようにクルクル回転しながら、偶然にもシンク下の扉の隙間に挟まった。
「何やってるの?宿題は?」と、母が振り返る。マイは慌ててプリントを隠そうとしたが、時すでに遅し。その瞬間、不運な(もしくは幸運な?)ことに、重力に逆らって勝手に扉が開き、マイは吸い込まれるように、真っ暗闇の中へ!まるで、秘密基地への入り口を発見したような、不思議な高揚感を覚えながら…。
気がつくと、そこは眩い光に満ちた、異世界。空には七色の雲がプカプカ漂い、まるで綿菓子のように美味しそう。地面はマシュマロのようにフワフワしていて、歩くたびに足が沈み込む。周囲には、見たこともないカラフルな植物が生い茂り、蝶のような生き物がキラキラと舞い飛んでいる。
「ええっ?!ここは…天国?それとも、あの噂のメタバース空間?それとも、異世界転生?!」
マイは、自分が体験している状況を理解しようと、頭の中で様々な可能性を巡らせた。
その時、ファンファーレのような軽快な音楽と共に、目の前に現れたのは、全身金ピカの男。「ようこそ、『いい世界へ』!わしは、いい世界の案内人、ガイドマン・ゴールデンだ!キラキラ~ン☆」と、これでもかというほどに輝きながら自己紹介した。
ガイドマンは、マイにウインクすると、「ここではどんな願いも叶う!お金持ちになりたい?イケメンと結婚したい?それとも、宿題を全部終わらせたい?…まあ、そんな細かいことは後で考えるとして、まずは腹ごしらえといこう!いい世界のグルメは、まさに絶品ぞ!」と、胸を張り、自信満々にマイを誘導した。
連れて行かれたのは、巨大なキッチンのような場所。そこには、見たこともない料理がズラリと並んでいた。「虹色スパゲッティ」、「歌うハンバーグ」、「踊るサラダ」、「空飛ぶプリン」…。まるで、食のテーマパークに迷い込んだかのようだ。
「わあ、すごーい!」とマイが、思わず声を上げる。その瞬間、ガイドマンはポケットからキラキラ光るマイクをマイに差し出した。「さあ、実食!実食!いい世界の食レポ、頼んだぞ!君には、いい世界のグルメレポーター、グルメリポーター・マイになってもらう!」
マイは、夢グループの社長になった気分、いや、人気YouTuberになった気分で、マイクを握りしめ、カメラに向かって(カメラはないけど)語り始めた。
「はい、皆さんこんにちは!グルメリポーター・マイです!今日はですね、夢にまで見た異世界、ではなく『いい世界』にやってきました!まずは、こちらの虹色スパゲッティからいただきまーす!麺がプリップリで、ソースは甘くて、酸っぱくて、しょっぱくて…七つの味が口の中でハーモニーを奏でている!赤はトマト、オレンジはにんじん、黄色はレモン、緑はバジル、水色は…えーと、ブルーハワイ?青はぶどう、紫は…カシスかな?とにかく、それぞれの素材の味がしっかり生きているのに、ケンカしてない!まさに、レインボーな味わい!すごーい!」
続いて、「歌うハンバーグ」。ナイフを入れると、「ミートボール♪ミートボール♪おいしくなーれ♪」と陽気な歌声が。「肉汁がじゅわ~っと溢れ出て、ジューシーな肉汁が口いっぱいに広がる!まるで、お肉が歌っているみたい!しかも、この歌、なんか癖になる!すごーい!」
「踊るサラダ」は、フォークで刺すと、レタスやトマト、きゅうり、人参などが、まるで生きているかのように踊り出す。「シャキシャキした歯ごたえと、フレッシュな香りが最高!まるで、野菜のカーニバル!ドレッシングは、和風?イタリアン?フレンチ?いや、全部の味を感じる!すごーい!」
マイのグルメレポートは止まらない。しまいには、見ているだけのガイドマンまでもが、「すごーい!」と叫び始めた。
突然、背後から「もうええでしょ!」と、冷たい声がした。振り向くと、そこには兄・ユウタが腕を組んで立っていた。どうやら彼も、マイが落とした鉛筆を拾おうとして、異世界(いい世界)に迷い込んだらしい。
ユウタは呆れた顔で、「表面的なことばっかりで、本物のグルメレポートになってない!例えば、虹色スパゲッティなら、七色のソースそれぞれの素材や、色の組み合わせによる味の変化、食感の変化について詳しく説明すべきだろう。あと、野菜の産地とか、調理法とか、視聴者が知りたい情報をもっと盛り込むべきだ」と、生意気にも映画評論家、いや、食レポ評論家気取りで指摘してきた。
マイはムッとした。「うるさい!それより、これ見て!空飛ぶプリン!」
指さす先にあったのは、文字通り、空を飛ぶ巨大プリン。「うわあ、すごーい!」と叫ぶ二人。まるで、巨大な風船のようにプカプカと宙を舞い、カラメルソースの香りが辺り一面に広がっている。
その時、ガイドマンは真顔を見せた。「実はわしは…」と言いながら、金ピカのマスクをゆっくりと外す。その顔は…なんと、二人の母だった!
「お母さん?!」
母はニヤリと笑う。「そう、私が、いい世界の女王、クイーン・キッチン!宿題サボってネットフリックスやYouTubeばかり見ている子供たちを、異世界に連れ込んでこっそり教育するのが趣味なの!ざまーみろ!」
二人は顔を見合わせた。「宿題…?」
母は、優しい笑顔で言った。「いい世界はね、集中力と想像力で何でも作り出せる世界。無限の可能性を秘めているの。だから、宿題だってあっという間に終わっちゃうの。さあ、宿題やって、早く帰りましょう!夕食の準備が待ってるわ!」
こうして二人は、母の魔法の力(?)で、あっという間に宿題を終わらせた。まるで、異世界の魔法がかかったように、算数の難問もスラスラ解けていく。元の世界に戻ると、台所の時計は、わずか数分しか進んでいなかった。
ユウタは、ネットフリックスの解説動画を再開し、マイはユーチューブの撮影準備を始めた。母は、鼻歌で「瀬戸夜叉姫」を歌いながら、夕食の準備を進める。
「今日の夕飯は、空飛ぶプリン風、茶碗蒸しだよ」
母の声に、二人は同時に叫んだ。「すごーい!」
その後、マイが作った「異世界グルメレポート動画」は、ネット上で大バズり。ユウタは、動画の構成と編集を担当し、思わぬ形で映画評論家のスキルアップに繋がった。母は、「クイーン・キッチン」の異名で、夢グループの新商品開発アドバイザーに就任したとかしないとか…。
こうして、異世界からの贈り物、いや、「いい世界からの宿題」のおかげで、家族はさらに仲良くなり、それぞれの夢に向かって羽ばたいていくのであった。…めでたし、めでたし?いや、それとも…
もうええでしょ!