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第64話



「リゼット様にと、旦那様からお預かりしました。」


「え……?」

リゼットは、思わず息を呑んだ。


侍女が恭しく手渡してきたのは、絹の柔らかな手触りと、夜空に星屑を散りばめたような繊細なレースが施された美しいドレスだった。

見ただけでわかる。これを仕立てるには、どれほどの職人と時間を要したのだろう――。


それはあまりにも豪華で、自分には似つかわしくないと思わせるほどだった。


---


翌日。


リゼットはそのドレスを返す決心をし、緊張しながら魔王の執務室を訪ねた。小さく扉をノックすると、しばらくの間があり、どこか頼りない声が返ってきた。


「……入ってください。」


部屋に入ると、魔王はいつものように机に向かっていた。しかし、リゼットの姿を認めると、急に落ち着かない様子で立ち上がった。


「えっと……その……どうかしましたか?」


いつも顔を合わせているはずなのに、今日もまた、どこかぎこちなさが拭えない。


「あの、昨日いただいたお洋服のことなんですが……」


「……気に入らなかった……ですか?」


魔王の赤い瞳が一瞬揺れた。その不安げな表情に、リゼットは慌てて首を横に振った。


「いえ! とても素敵なんです。でも、あまりにも高価そうで……私にはもったいないと思ってしまって……」


「もったいない……?」


魔王はその言葉を繰り返し、小さく首を傾げた。その仕草が妙に愛らしく、リゼットは言葉を詰まらせた。彼がこんなに純朴な顔を見せるなんて思いもしなかったのだ。


「それに、魔王様……最近、プレゼントが頻繁すぎるんです。それもどれも高価すぎて……正直、困っています。」


勇気を振り絞って言ったつもりだったが、返答がない。見ると、魔王は微妙に顔をそらし、机の端を指先で弄り始めていた。まるで叱られた子どものような仕草だ。


「……あのスープ、美味しかったから。」


「え?」


リゼットが聞き返すと、魔王はさらに視線を逸らしながら、ぼそぼそと続けた。


「君が作ってくれたあのスープだ。あんなに美味しいもの、食べたのは初めてだった。だから……お礼がしたかった。それだけだ。」


「……食事のお礼、ですか?」


リゼットは驚いた。あのスープが、魔王にとってそこまで印象に残っていたとは。


「でも……私なんかが、こんな素敵なドレスをいただいていいんでしょうか?」


リゼットが恐る恐る問いかけると、魔王は一瞬黙り込んだ。そして意を決したように、深く息を吸い込み、彼女の方を見つめた。


「……君に似合うと思ったから贈ったんだ。」


その言葉には珍しく力がこもっていた。だが、言い終わると同時に、彼は視線をそらし、耳まで赤く染めながら再びそわそわと机を弄り始めた。そのぎこちなさに、リゼットは思わず笑ってしまいそうになる。


「……ありがとうございます。」


彼の不器用な優しさに触れ、リゼットは心の奥が温かくなるのを感じた。そして、彼の気持ちを無下にするのはあまりにも失礼だと思い直し、そっとドレスを抱きしめた。


その姿に気づいた魔王は、一瞬だけリゼットを見つめると、照れ隠しのようにまた視線を机へ落とした。


「似合わなかったら言ってくれ。その……また別のものを用意するから。」


「そんな……とんでもないです。本当にありがとうございます。」


彼女の柔らかな声に、魔王はほんの少しだけ顔を上げて微笑んだ。その笑顔は、誰よりも不器用で、だけどどこか愛おしいものだった。


リゼットはその日、魔王の執務室を後にすると、そわそわと落ち着かない気持ちを抱えたまま自室へ戻った。


部屋の扉を閉めると、彼女はふうっと小さく息を吐き、改めてそのドレスを見つめた。淡い光を浴びてきらめく繊細なレースの美しさに、胸が高鳴る。


「似合うなんて、そんな……」


そう呟きながらも、どうしても着てみたいという気持ちが抑えられなかった。恐る恐るドレスを広げると、その柔らかな感触が指先に伝わり、ますます心が揺れる。


リゼットは周囲に誰もいないことを確認してから、そっとドレスに袖を通した。背中のリボンをきゅっと結び鏡の前に立つと、そこには見慣れない自分の姿が映し出されていた。


「……これが私……?」


驚きと戸惑いの入り混じった声が自然と漏れる。ドレスはまるで星空を纏ったように輝き、普段の彼女とは違う、華やかで凛とした雰囲気をまとわせていた。


けれど、それ以上に心に響いたのは、彼の言葉だった。


「君に似合うと思ったから、贈ったんだ。」


その一言が頭の中で何度も繰り返されるたび、胸の奥がくすぐられるように温かくなる。 


「……こんな私でも、似合うのかな……」


リゼットはふわりとスカートを揺らしてみた。その瞬間、ドレスの裾がやさしく舞い、まるで自分が童話の中の主人公になったかのような気持ちになる。


リゼットはそっと微笑んだ。そして、もう少しだけこの夢のような時間に浸ろうと、鏡の中の自分に向き直ったのだった。


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