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第63話



エイデンは荒野のただ中に立ち尽くしていた。冬の夜風は無慈悲にその頬を叩き、吐き出す息は白く凍りついて消える。重く垂れ込める空には月が浮かんでいたが、その光すら冷たく感じられた。彼の足は、それでも止まらない。ここ数日、眠りも食事も忘れてひたすら歩き続けた。目指すはただ一つ——リゼットを救い出すため。


「団長、もう限界です。少しは休んでください!」

部下の声が、どこか遠くから聞こえる。だが、エイデンは振り返らない。


「いや、今この瞬間もリゼットが危険に晒されているかもしれない」

声は低く、鋼のような決意を帯びていた。その目は赤く充血し、疲労と焦燥がその奥底に渦巻いている。それでも、その光が曇ることはなかった。


「ですが、団長——」

部下はなおも諦めずに続けようとしたが、その言葉は静寂に溶けた。彼は分かっていた。エイデンに何を言っても、無駄なのだと。


汚れ果てた外套、泥にまみれた靴、乱れた髪。すべてがエイデンの疲労を物語っている。だが、その姿は燃え尽きる寸前の炎のようでもあった。限界に近づけば近づくほど、その光は激しく燃え上がる。


「休む暇があるなら、彼女に一歩でも近づきたいんだ」


その言葉に、部下は言葉を失った。エイデンの決意は、捨て身の覚悟を超えて狂気に近い。


だがそのとき——。


「それ以上、無理をするな」

静寂を裂く声が夜闇に響いた。その瞬間、エイデンの足が止まる。聞き覚えのある低い声。肩越しに振り返った先で、月光を背に佇む影を見つけた。


「……アレッタ様」

かつての敬称が自然と口をついて出る。しかし、それはもう相応しくない。闇夜の中、月光を背に佇むその人物は、かつての令嬢の面影を微塵も残していなかった。


黒髪は滑らかな光沢を帯び、風に流れるたびに夜そのものを彷彿とさせる。その眼差しは鋭く、そして冷ややかにエイデンを射抜いていた。


「その名を口にするな」

声には圧倒的な威厳があった。「今の私は、ただのカイエンだ。それ以上でも、それ以下でもない」


そう、今は「アレッタ令嬢」という身分を隠し、騎士団の一員としてリゼットの捜索隊に紛れ込んでいた。


エイデンの胸に苦い感情が広がる。だが、彼は黙って頭を垂れた。「では……カイエン、と呼ばせていただきます」


カイエン——それが本来の名前だ。「アレッタ」は彼の双子の姉の名であり、命を賭けて彼を守り抜いた存在。その姉の名を背負い、彼は生き続けている。姉の死が彼に与えたのは悲しみだけではない。耐えがたいほど重い使命をも刻み込んだ。


「相変わらず無茶をするな、エイデン」

カイエンは静かに歩み寄ると、冷たい瞳で彼を見下ろした。


「お前のその無謀さは昔から変わらない。何かを守りたいと思えば、他のすべてを犠牲にしてでも突き進む。その愚かさが時に人を救い、時に人を傷つけることをお前は知っているはずだ」


その言葉は鋭い刃のようにエイデンの胸を貫いた。彼は反論しようと口を開きかけたが、何も言えなかった。


「リゼットのためなら命を惜しまない」

エイデンは拳を握りしめ、震える声で言った。「彼女がいなければ、私は……!」


「そして、お前がいなくなれば、彼女は誰が救う?」

カイエンの言葉は冷たく鋭く、だがどこかに切実な思いが込められていた。「お前の命を削ることで救える命など、どこにもない。それを忘れるな」


エイデンは目を伏せた。心の奥底で理解していた言葉。それでも、彼を突き動かす焦りがその理屈を跳ね返す。


だが、カイエンはその肩に手を置いた。その手は思いのほか温かく、優しさを宿していた。「力を蓄えるのも戦いだ、エイデン。ただ突っ走るだけでは見えないものもある。時に立ち止まり、振り返ることでしか見えない道もある」


その言葉に、エイデンの心の奥に張り詰めていた糸が緩むのを感じた。彼は深く息を吐き出し、静かに頷いた。


「……分かりました」

その声は、まるで闇夜に差し込む微かな光のようだった。カイエンは満足そうに微笑むと手を離し、背を向けた。


「では、一緒に考えよう。無鉄砲なお前でも納得できる策をな」

その軽口に、エイデンはわずかに笑みを漏らした。冷たい夜風の中、彼らの足跡だけが雪を踏みしめていく。その背には、夜の月が静かに光を落としていた。


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