薄暗い城の一室、書類が山積みになった机の前で魔王は肩を落とし、弱々しく溜息をついていた。
「また夜中まで働いてるんですか?ちゃんと寝ないとダメですよ!」
リゼットは部屋に入るなり、眉をひそめて魔王を叱りつけた。
「い、いや、大丈夫だよ。私は魔王だから、寝なくても平気なんだ…た、多分……」
魔王はおどおどと視線をそらしながら答えるが、目の下のクマと疲れきった顔は彼の言葉を否定している。
「はい、これ、食べてください。」
リゼットは強引にトレイを机の隅に置き、魔王が書き続けていた書類をそっと取り上げた。
彼女の手には、湯気が立ち上る温かいスープと、美味しそうなサンドイッチが並んだトレイがしっかりと載せられている。
「あ、ちょっと、それは……」
「後ででいいですよ。今は休むのが先。」
彼女の毅然とした態度に、魔王はそれ以上逆らえず、しぶしぶスープに手を伸ばす。
そしてスプーンを一口運ぶと「……美味しい。」 ぽつりと漏らした。
その一言に、リゼットは満足げに微笑む。
魔王はふと彼女をじっと見つめた。柔らかなランプの光がリゼットの横顔を優しく照らし出す。その横顔には凛とした強さと、思わず見とれるような美しさがあった。
「……リゼットさん」
「はい?」
突然名前を呼ばれ、リゼットは顔を上げる。魔王は慌てたように視線をそらし、小さな声で言った。
「い、いや……ありがとう。いつも、その……助かってる。」
その言葉に、リゼットは一瞬息を呑んだ。
「お礼なんていいんです。私、ただ放っておけないだけですから。」
その言葉に、魔王の頬がふわりと赤く染まり、照れ隠しのように小さく「そうですか……」と呟いた。
その仕草が不器用で、思わずリゼットは優しく微笑みながら、くすっと笑ってしまう。
「全部食べてくれたんですね。」
「……はい、美味しいので」
短いながらも真っ直ぐな答えに、リゼットの胸が温かくなる。「じゃあ、お皿を下げますね」と軽く微笑み、トレイを持ち上げて部屋を出ようとしたそのときだった。
不意に腕をつかまれた。
「……え?」
驚いて振り返ると、魔王がまっすぐ自分を見上げていた。その瞳には、どこか不安げで、けれど真剣な光が宿っている。
「また……良かったら持ってきてくれないですか?」
「え……?」
「リゼットさんのご飯を食べると……力がみなぎるんです。」
その言葉を聞いた瞬間、リゼットの心が軽く揺れた。純粋で不器用なその頼み方に、思わず笑みがこぼれそうになる。
魔王の言葉は、まるで自分の存在を肯定してくれるようだった。いつもアレッタ令嬢に「いらない」と言われてきたリゼットにとって、それはどれほど特別な響きを持っていただろうか。
「……わかりました。また作ってきます。」
そう返事をする自分の声が、どこか弾んでいることに気づいて、リゼットは少し恥ずかしくなった。
腕を離されたとき、魔王がほんの少しだけ安心したように微笑んだ気がした。その微笑みを見た瞬間、リゼットの心がまた小さく揺れた。
リゼットは照れたように小さく頷き、トレイを持って部屋を後にする。背中に感じる視線に気づきながらも、振り返ることはなかった。