リゼットがドラゴンによって攫われた瞬間、豪華なパーティー会場は時が止まったかのような静寂に包まれた。だが、それはほんの一瞬のこと。次の瞬間には、激しい混乱が場を埋め尽くした。
「ドラゴンだ! 魔界のドラゴンが現れたぞ!」
「奴らは結界の外に出られないはずだろう!? なぜこんなところに!」
貴族たちのざわめきは波紋のように広がり、やがて恐怖と動揺の叫びへと変わっていく。豪華なシャンデリアの光に照らされながらも、その場に漂う空気は冷たく沈んでいた。
その中心に、赤髪の騎士エイデンの怒声が響き渡った。
「アレッタ嬢が攫われたなんて……! 私が間に入っていれば、こんなことには!」
彼の拳が重厚な大理石のテーブルに叩きつけられると、テーブル上の食器が跳ね、鈍い音を立てた。彼の瞳には怒りと後悔が渦巻き、その全身からは、どうしようもない無力感が滲み出ていた。
「皆、静まれ!」
その時、王の声が場を引き裂いた。厳然としたその響きは、混乱の嵐を一瞬で鎮めた。
「恐怖に飲まれるな! 感情に任せて喚いても、何も解決はしない。状況を整理し、次に取るべき行動を決めるのだ」
その毅然とした言葉に、貴族たちは次第に口をつぐみ、騎士たちも背筋を伸ばした。エイデンも荒い息を吐きながら渋々席についたが、その握り締められた拳にはまだ力がこもっていた。
---
一方、会場から自室へ戻ったクラリスは、ドレスの裾を引きずるようにしてベッドへ倒れ込んだ。彼女の肩は小刻みに震え、枕に顔を埋めたその姿からは、かすかなすすり泣きが漏れ出ていた。
「私のせいよ……」
彼女の声は弱々しく、まるで自らを責める呪詛のようだった。
「私のせいで……アレッタ嬢が代わりに……。どうして……どうして止められなかったの……!」
涙が彼女の頬を伝い、ベッドの白いシーツに染みを残す。その肩越しに立つアルファンは、しばらく何も言わず彼女の背中を見つめていた。
やがて、彼は低く落ち着いた声で口を開いた。
「クラリス、自分を責めるのはやめろ。 」
「でも……私を守るために、アレッタ嬢は……!」
クラリスは顔を上げ、涙に濡れた瞳でアルファンを見た。その表情には計り知れない罪悪感が刻まれていた。
「今必要なのは、彼女を信じて待つことだ」
アルファンの瞳は冷静でありながら、どこか温かさを含んでいた。
クラリスの震える肩がわずかに落ち着いた。彼女は涙を拭い、アルファンに向かって小さく頷いた。
「……ありがとう、アルファン。」
彼は微笑みながら、そっと彼女の肩を叩いた。
だが、アルファンが窓の外へ視線を向けた次の瞬間、わずかな気配が闇の中に漂った。
「……誰だ?」
彼の低い声が空気を切り裂いた。
窓枠の影に潜む人影が、月明かりに一瞬浮かび上がる。その男は、アルファンが目を細めた瞬間、無言のまま暗闇の中へと消えていった。
アルファンは窓を閉め、独り言のように呟いた。
「……やはり、この騒ぎの裏には何かがある」
その声は冷たく、まるで決意を込めた刃のようだった。 彼の背後では、クラリスが穏やかな寝息を立て始めていた。