アルファンの顔がクラリスにゆっくりと近づき、彼女の視線は自然と彼の唇に引き寄せられた。心臓は早鐘のように打ち、緊張で体が硬直してしまう。彼の手がそっと彼女の頬に触れ、柔らかい吐息が肌をかすめた瞬間――
コンコンッ!
突然、ドアをノックする音が響き渡る。二人の間に張り詰めた空気が一気に凍りつき、クラリスは驚いて息を呑んだ。アルファンも、ほんの一瞬だけ顔をしかめたが、すぐに普段の冷静な表情に戻る。けれど、その目には明らかに苛立ちの色が滲んでいた。
「…なんだ?」アルファンは低い声でドアの向こうに問いかけた。
「殿下、至急お話ししたいことがございます。」
部下の真剣な声が返ってきた。アルファンはため息をつき、クラリスの頬に触れていた手をゆっくりと下ろす。
「仕方ないな…」彼は肩を落とし、残念そうに彼女を見つめた。「また後でだ、クラリス。」
彼の声には、どこか名残惜しさが滲んでいた。クラリスは少し頬を染め、うなずいたが、その場に残された寂しさが胸に広がっていく。
アルファンは最後に名残惜しそうに彼女の手を軽く握り、部屋を後にした。ドアが閉まる音が、まるで遠くで聞こえるように感じられ、静かな空気が残された。クラリスはその場に立ち尽くし、ぼうっとしていた。静かに揺れるカーテンの音と、自分の心臓の鼓動だけが部屋に響いていた。クラリスはそっと自分の胸に手を当て、心臓の高鳴りを感じながら、先ほどの出来事を思い返す。
「今…私、アルファン様と…」
アルファンの顔がこんなにも近く、もう少しで唇が触れそうだった瞬間――まるでその瞬間の熱がまだ肌に残っているかのように、彼の吐息がクラリスの頬をかすめた記憶が蘇る。
「あの瞬間、あと少しで…」
クラリスは無意識に自分の唇に指先をそっと触れた。その余韻に浸るように目を閉じかけた瞬間、突如として静寂を切り裂く声が響いた。
「うん、あと少しでキスしてたね。」
冷たく、しかし妙に落ち着いた声。驚いて顔を上げると、そこには――ジョーカーが立っていた。
「ど、どうして…ここに…?」
クラリスは、気配も何も感じず、突然目の前に現れたことに混乱し、思考が追いつかない。
ジョーカーは何も答えず、ただじっと彼女を見つめていた。普段の飄々とした態度とは違う、張り詰めた空気が漂う。
「その顔、まだ彼を思ってるってことか?」ジョーカーの声は一瞬だけ低く、わずかな苛立ちが滲んでいた。
「え?」彼の言葉の意味が分からず、戸惑いがクラリスの顔に浮かぶ。ジョーカーは一瞬の沈黙の後、感情を抑えるように静かに微笑んだ。
「まったく、タイミングが悪かったみたいだね。まるで俺が邪魔をしたみたいで、申し訳ないけど。」
彼はそう言いながらも、瞳の奥に冷たい光を宿している。ジョーカーは背を向け、肩をすくめて部屋の外へと歩き出した。
「ま、君が決めることだから。俺は、ただの通りすがりさ。」
「あ…」突然の出来ごとに言葉を失い、クラリスは彼の背中を見つめる。ジョーカーが去りゆくその姿に、クラリスの心が急速に締め付けられていった。
「あれ…?」
心臓がドクンと激しく跳ねる。胸の奥が締め付けられるように苦しくなる。その感覚は、どこかで感じたことがあるような気がした。意識が次第に遠のき、目の前のジョーカーの姿もぼんやりとしてきた。
(嫌…行かないで)
どこからか声が聞こえてくるような錯覚に囚われ、体が重くなり、足元がふらつく。心臓の鼓動が頭の中で大きく響き、視界がさらに暗くなっていく。
背後で「ドサッ」と大きな音が響き、ジョーカーはその音に反射的に振り返った。目に飛び込んできたのは、クラリスが無力に床に倒れている姿。彼の心臓が急激に高鳴り、冷や汗が背中を伝った。足がもつれながらも、彼は全力で駆け寄り、床に膝をつく。
「クラリス!」
ジョーカーの声は震え、緊張と心配が混じっていた。クラリスの顔は青白く、目を閉じたままうつむいている。その光景にジョーカーの心臓はさらに激しく打ち、全身が冷や汗で濡れる。
「クラリス、どうした!」
彼の必死の呼びかけに、クラリスはゆっくりと目を開け、かすかな意識が戻り始めた。
「よかった、クラリス」
彼は彼女の手を優しく取り、安堵の息をついた。クラリスはうつろな目で彼を見上げ、一言つぶやいた。
「また…置いていっちゃうの?」
彼女の目は、ジョーカーを見つめて潤んでいる。その眼差しに、ジョーカーの心は一瞬で締め付けられ、彼の顔には深い思慮が浮かんでいた。