「なんで私がこんなことを…」
イリスはため息をつきながら、重たい体を起こした。かつての栄光が、今や遠い昔の話となってしまった。彼女は貴族の誇りをすべて剥ぎ取られ、辺境の修道院に送られたのだ。
修道院での生活は、イリスにとって耐え難いものだった。かつては伯爵令嬢として華やかに暮らしていた彼女にとって、ここでの毎日は息苦しく、無味乾燥なものだった。自尊心を削られ、彼女の心は日々すり減っていった。
毎朝、鐘の音で目覚め、祈りの声に耳を傾ける。教典を読み、庭の手入れや洗濯に追われる日々。作業に没頭しても、彼女の心はどこかに置き忘れたまま、無感動に流れていく。
修道女たちはイリスに敬意を表しながらも、その背後には微妙な距離感が漂っていた。彼女がかつての伯爵令嬢であり、過去に何があったのかを知っている者たちもいた。しかし、誰も彼女に直接尋ねることはなく、その沈黙が彼女の孤独をより一層深めていた。
修道院は外の世界から隔絶された静かな場所だったが、イリスの心は常に波立っていた。彼女の心の中では、かつての華やかな日々が遠い夢のように感じられ、今はまるで別の自分がそこにいるかのようだった。
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ある夜、イリスはいつものように静かな修道院の一室で眠りについた。月の光がかすかに窓から差し込み、部屋を淡い青白い光で包んでいた。心地よい疲れが彼女を優しく包み込み、安らかな眠りに導いた。しかし、その夜、何かが違っていた。
夢の中、イリスは別の女性になっていた。鏡の前に立ち、目に映る自分の姿を見つめたが、それは「イリス」ではなかった。黒髪が艶やかに流れ、瞳の色も全く異なる。だが、その顔にはどこか懐かしさが漂っていた。
「誰…?」
心の中でそう問いかけた瞬間、一人の女性が現れた。彼女は優しく微笑み、イリスに手を差し出した。その手を取ると、彼女の指先の温もりがイリスの胸にじんわりと広がっていった。その感覚は、安らぎと懐かしさが融合した、何とも言えない心地よさをもたらした。
「ミク」と、その女性が囁いた。
――ミク?
その名が響くと同時に、イリスの心は凍りついた。自分は確かにイリスのはずだ。しかし、その瞬間にはっきりとした記憶が彼女を否定していた。
「あなたは…?」
夢の中で、イリスは必死にその女性に問いかけた。女性の口がわずかに動き、何かを言いかけた瞬間、視界が急激に現実に戻り、夢の中の景色が一瞬で消え去った。
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ベッドの上で縮こまり、心臓が激しく鼓動しているのを感じる。胸の奥で脈打つ鼓動は、まるで夢と現実の境界が崩れたかのような錯覚をもたらしていた。冷や汗が額にじわりと浮かび、寝具の冷たさが彼女の体に染み込んでいった。
目覚めたイリスは、胸の鼓動が重く響く中、床に座り込んだ。夢の中で呼ばれた「ミク」という名前が、呟くとまるで自分の名前のように馴染む感覚があった。だが同時に、それは違和感でもあった。彼女はイリス――そう、リオネルに忠誠を誓い、彼の側で支え続けてきたイリスなのだ。
その日から、イリスは日常の作業に集中できなくなった。夢の感覚があまりにも鮮明で、現実が歪んでいくような気がした。修道院での生活は以前と変わらぬはずなのに、心の中では次第に不安が膨らんでいく。
「私は誰なの…?」
答えのない問いは、イリスの心を日々蝕んでいった。
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