広間の空気は、まるで瞬間ごとに凍りついていくかのように重く、緊迫感に包まれていた。誰もが息を潜め、クラリスの動きに注目している。
だが、その静寂の中で唯一、王だけが楽しげに微笑みを浮かべていた。彼はまるで、これから始まる劇を心待ちにしている観客のように、クラリスを見つめている。
「クラリスといったな?」
王の低く威厳のある声が、大広間全体に響いた。
「はい」
クラリスは返事をするが、内心では心臓が早鐘のように打っていた。彼女は強く見せようとしていたが、王の目を見た瞬間、心の奥底に隠していた不安が一気に押し寄せてきた。冷たい汗が背中を伝い、息苦しささえ感じる。彼の視線には、まるで彼女の魂を見透かすような力があった。
「アルファンのことはどう思っている?」
王の問いかけは、まるで刃のように鋭く、クラリスに突き刺さる。彼女は一瞬、心の中で悪役令嬢らしい答えを考えようとした。しかし、その瞬間、王の目が一瞬きらりと光り、彼女の体は勝手に反応したかのように口を開いてしまった。
「殿下のことは以前から知っていました…」
その言葉が広間に響き渡ると、周囲は一気にざわめき立った。王の前では嘘をつけない――それはこの国に伝わる古い魔法の力で、王と目を合わせた者は、心の中の真実を話さずにはいられない。しかし、クラリスはそのことを知らずにいた。
「そして、殿下に災いが起こるということも知っていました…」
彼女の声が再び広間に響くと、側近たちが互いに驚きの表情を浮かべ、何かをささやき合った。アルファンも、クラリスの突然の告白に目を見張り、じっと彼女の姿を見つめている。
だが、一番驚いているのはクラリス自身だった。なぜ口が勝手に動くのか。なぜ、心の奥に秘めていた真実が今さら表に出てしまうのか。彼女の頭の中は混乱していたが、止まらない言葉がさらに口からこぼれ出ていく。
「私は強く強く願いました。彼を救いたいと…そう願ったら、気づいたらここにいました…」
クラリスの声は震えていたが、その言葉には深い真実が宿っていた。自分でも驚くほどの感情が、今この場で溢れ出していたのだ。
王の目が少し険しくなり、その瞳に興味が強まった。
「…なんと、そなたはアルファンのためにこの国にやってきたというのか?」
王の声には驚きと感嘆が混じっていた。クラリスはその問いに対し、まるで自分自身に言い聞かせるように、静かに答えた。
「…はい」
彼女の声は小さかったが、そこには揺るぎない決意がこもっていた。心臓は激しく鼓動していたが、その瞬間だけは、自分の中に強い確信を感じていた。
「私は本当は、こんな場所で堂々とできる人じゃないんです…」
クラリスの声が再び震え始めた。大勢の視線が彼女に向けられ、その重圧が彼女の肩にのしかかる。彼女は、自分が本来どういう人間なのかを理解していた。いつもは臆病で、誰かの陰に隠れていたい、そんな自分だった。
「いつもおどおどして、言いたいことも言えずに、人目を気にしていました…」
彼女の言葉が広間を包み、王は「ほお?」と短く反応した。彼の視線は、好奇心と鋭い洞察力が混じったものだった。
「本当の私は臆病で、弱虫で…」
クラリスの声は再び小さくなっていくが、その一言一言には深い感情が込められていた。広間の人々全員が、その言葉を真剣に聞いていた。
「今でも、大勢の前でこうして話すことが怖いんです。全身が震えています…」
彼女は自身の恐怖を感じていたが、それでも話し続けた。その言葉には、彼女自身の弱さを受け入れつつも、それを乗り越えようとする強さがあった。
「でも、アルファン殿下を救いたいという思いが、こんな私を変えてくれました。」
クラリスの声は次第に強くなり、涙が一筋、彼女の頬を伝って落ちた。それは、彼女が長い間抱えていた不安や恐れ、そして隠し続けていた愛が溢れ出た瞬間だった。
広間は静まり返り、誰もが彼女の涙に心を揺さぶられた。クラリスの涙は、単なる感情の発露ではなく、彼女がどれだけの勇気を持ってこの場に立っているのかを示すものだった。
アルファンは、彼女の涙を見つめ、胸の中で何かが強く動いた。それは、彼が今まで感じたことのない感情だった――深い感謝と、彼女に対する尊敬の念。
クラリスの視線が自然とアルファンに向かった。彼女は涙をぬぐい、震える声で最後の言葉を紡いだ。
「私は、アルファン殿下を救うためにここに来たんです。それだけが、私の願いです…」
鼻をすする音や嗚咽があちらこちらから聞こえた。全員が、クラリスという一人の女性が見せた、強さと純粋な愛に心を打たれていた。