逃げ出してからというもの、クラリスは厳重に監禁されることとなった。窓には重たい鉄格子がはめられ、外の景色を眺めることもままならない。部屋は広く、家具も整っているが、まるで自由など初めから存在しなかったかのように、彼女は閉じ込められていた。
それでも、ひとつだけ変わったことがあった。
アルファンが、朝と晩、必ず彼女を訪ねてくるようになったのだ。
朝、薄明かりが部屋に差し込む頃、扉の向こうから足音が聞こえると、クラリスの胸は自然と高鳴った。慌てて冷静を装い、平静を保とうとするが、扉が開き、彼の姿が現れるたび、心臓が跳ねるのを止められない。
「食事にするか。」
アルファンは無表情だが、彼女に朝食を共にするよう促す仕草にはどこか優しさがあった。最初のうちは、自由を奪われたことに苛立ちを感じていた彼女だったが、最近は彼の視線が気になり始めていた。
食事の時間、アルファンは無言で彼女を見つめる。その眼差しには何か特別なものが隠されているような気がして、クラリスの心は不思議とざわめく。まるで、自分を見透かされているような感覚に陥り、視線を合わせるたびに彼女の頬は熱を帯びていった。
何も話さない時間が続くと、クラリスはつい声を上げた。
「殿下、そんなに頻繁に部屋に来なくても大丈夫ですわ…」
彼女の言葉に、アルファンは一瞬だけ動きを止めた。驚きと戸惑いが混じる表情が、ほんの一瞬彼の顔に浮かぶ。その後、冷静さを取り戻した彼は、ふと顔をしかめながら答えた。
「またお前に逃げられたら困るからな」
その冷たい言葉とは裏腹に、彼の声にはどこか不安が滲んでいた。クラリスは彼の眉間に刻まれたしわを見つめ、その真剣な表情に違和感を覚えながらも、胸の中が妙に温かくなるのを感じていた。
彼が自分のためにここまで時間を割いてくれる――その事実が、次第に彼女の心の奥底に微妙な感情を呼び起こしていた。
「妻に逃げられたとなったら、王宮でどんな噂が立つか分からないから、監禁するのも無理はないですけど…こんなに長時間、一緒にいる必要はありますか?」と、クラリスは半ば冗談交じりに言ってみた。
口元に挑発的な笑みを浮かべる彼女を見て、アルファンは少しだけ困ったように目を細めた。
「そういえば、仕事もこの部屋でできるようにしようかと考えている」
その発言にクラリスは目を見張った。驚きに口が開いたままになり、すぐに言葉が出てこない。
「え、そんなこと、本気で…?」
「まあ、周りからは反対されているから、実現には少し時間がかかるかもしれないがな」
アルファンは何事もなかったかのように続けるが、その口調にはどこか小さな自信が込められている。彼の視線は真っ直ぐで、その表情にわずかな照れが滲んでいるのが、クラリスの胸をさらにざわつかせた。
「さすがに…それは困ります…本当に」と彼女は、心の中で嘆きながらも、どこかほんの少し期待してしまっている自分に気づいてしまった。
「ところで…夫婦なのに寝室が別というのは、少し不自然じゃないか?」
彼の突然の言葉に、クラリスは驚きのあまり瞬きを忘れた。今さらそんなことを言われるとは思っていなかった。
「今さらですか?この一年、別々に過ごしてきたんですし、いいじゃないですか」
そう軽く笑うと、アルファンの顔に不満げなしわが寄った。無表情を貫いているつもりでも、彼が不機嫌なときはいつも眉間にしわが刻まれる。彼のそんな表情が、以前なら怖かったはずなのに、今は少し可笑しく思えてしまった。
不思議な感覚に包まれながら、クラリスはそのまま時間が過ぎていくのを感じた。彼と過ごす静かな一日が、思ったよりも心地よくなってきたのだ。