静寂に包まれた廊下に、ボロボロの服と傷だらけの体で立つ自分の足音だけが響く。まるで幽霊になって歩いているような気分だ。優雅さとは程遠いこの姿、あの輝かしいアルファン様の妻としてはどう考えても場違いだろう。
とはいえ、今更気にしても仕方がない。疲れ切った身体を引きずるようにして、彼(アルファン)の部屋の前までたどり着いた。
「アルファン様の部屋にたどり着いたはいいものの、どうしたものか…」心の中で呟きながら、クラリスは扉の前で立ち尽くしていた。しかし、その瞬間、耳に飛び込んできた声が心臓を凍らせた。
「すべて私の責任だ。この命をもって償う」
その声の意味を理解するのに、一瞬しかかからなかった。
反射的に扉を押し開けると、中には疲れ切ったアルファン様と、驚愕の表情を浮かべる側近たち。こちらを一斉に見つめていた。
「うわっ!?」
「クラリス様!? なぜここに…!?」
投獄されていたはずの私がここに現れるなんて、誰も予想していなかったのだろう。
だが、決して彼らに動揺を見せてはいけない。
「なんてお馬鹿な殿下。あんな尻軽に騙されるなんて」と、冷たく言い放つ。ふふん、完璧な悪役令嬢だわ。こうして彼の考えを変えられるといいのだけれど…。
しかし、外見は冷静を装っていても、「アルファン様が死ぬかもしれない」という絶望が心を引き裂いていた。
「君、なんでここにいるんだ?」
彼の声が静まり返った部屋に冷たく響く。あまりの圧に、思わず一歩後退りたくなった。しかし、ここで引き下がるわけにはいかない。
「あなたの落ちぶれた姿をどうしても見たくてね」と、何とか冷静を装って言い返す。
ほんとはこれっぽっちも思ってないけど。彼に嫌われるために言ってるだけ。そう、これは作戦…。
「…最後までいけすかないやつだな。」
その言葉。いつもなら少し傷つくけれど、今日は違う。むしろ嬉しいくらいだ。ほら、ちゃんと嫌われてる感じがする。これでうまくいくはず!
でも彼は、ふと遠くを見るような目をして、ぽつりとつぶやいた。
「だが、悪かったな…。きっと君もイリスにはめられたのだろう」
「…は?」ドクン、と心臓が跳ね上がる。いやいや、ちょっと待って。
「君には、今まで夫らしいことをできなくてすまなかった。今からでも遅くない、ここから1人で逃げてくれ」
待って、急に何、何でここで急展開?胸がドクンドクンと鳴り始め、言葉が出ない。
彼の言葉はまるで最後の別れのように耳に響き、心に重くのしかかる。言葉の一つ一つが心を引き裂くように感じられた。
「あ…あの…」
言葉が見つからない。彼を思いとどまらせないといけないのに。皮肉も言わなければならないのに、頭が真っ白だ。
どうして今になってそんなことを言うの?最後の最後まで、私を嫌ってくれなければ、意味がないじゃない。
「…そろそろ行こうか…」と、彼は扉に向かって歩き出す。
心の奥底では叫びたいのに、言葉はどこかに消えてしまった。
彼の背中が遠ざかるのを見ると、心の奥深くから言葉では表現できないほどの激しい衝動が生まれた。
「全部…私のせいにしたらいいんじゃない?」
ぽつりと漏れたその言葉は、まるで自分を解き放つ呪文のようだった。次の瞬間、彼の動きがピタリと止まる。扉に手をかけたまま、彼はゆっくりと振り返り、その瞳がまっすぐに私を捉えた。
「そうよ!全部私のせいにして、あなたはただ騙されただけの哀れな存在だって言えば、全て解決するわ!」
今まで溜め込んでいたものを吐き出すかのように口が勝手に動いた。心の奥では止めなければいけないと分かっているのに、その言葉はもう止められない。
「君は…何を…」彼が近づいてきて、手を伸ばそうとしたその瞬間、私は一歩引いた。
「触れないで!」
彼は困惑した顔をしていたけれど、もう何も言わないで欲しい。だって、私、今泣きそうなんだから!
「クラリス…」
その声が私の名を呼ぶ。心が壊れそうになる。でも、ここで折れちゃいけない。
涙を堪えながら、まだ終わっていないと自分に言い聞かせる。全てが終わる前に、彼を救わなければならない。
「馬鹿なひと…」涙が込み上げてくるのを必死で堪えながら、私は扉に向かって駆け出した。
側近たちの声が背後から聞こえるが、振り払うようにして扉の鍵を閉める。
「クラリス?なにをする気だ!?おい…!あけてくれ!」
彼の声が震えている。でも、私だって…。
「アルファン様。あなたなんて大嫌いなんだから!」叫んだその瞬間、涙が頬を伝い落ちる。自分に嘘をつき続けるのも限界だったのだ。
声が震え、涙が止まらない。何度も自分に「クラリス、泣かないで」と言い聞かせても、唇の震えは止まらなかった。
「もう顔も見たくない…!」
涙が次々に溢れ出す。心の奥底から溢れる感情を止められなくなった。
もし、もう一度あなたに出会えるとしたら、今度こそ素直になりたい。自分の気持ちを正直に伝えたい——その想いが胸を締め付けて止まなかった。