アルファンは椅子に深く腰掛け、溜まった書簡に目を通していたが、どうしても集中できなかった。
思考の隅には、常にクラリスのことが絡みついていた。彼女を裏切り者として投獄してから、日が経つごとに違和感が増していた。
イリスが冷静にクラリスの裏切りを告発したとき、アルファンはそれを疑うことなく受け入れてしまった。イリスを信じていたからこそ、彼女の言葉が真実だと思った。
だが、日が経つにつれ、胸の中に小さな不安の種が芽吹き始めた。「もし、あれが誤解だったとしたら?」――そんな疑念が、彼の心をかき乱していた。
考えがぐるぐると巡る中、突然、執務室の扉が乱暴に開かれた。側近が緊張した面持ちで駆け込んでくる。
「…殿下。」
その声には何か重大なことがあったことが伺えた。アルファンは眉をひそめ、顔を上げた。
「どうした?顔色が悪いぞ。」
側近は息を整え、重々しい言葉で告げた。「国民が反旗を翻し、反乱を起こしました。」
「どういうことだ?」アルファンは一瞬、意味を理解できず、側近を見つめ返した。
「義勇兵が、まもなく城に攻め寄せてくるとのことです…。」
アルファンは、思わず立ち上がった。
「誰が指揮を?」
「それが…」側近は言い淀み、言葉を選ぶようにして告げた。
「イリス様です。」
その瞬間、アルファンの胸に冷たい衝撃が走った。彼は自分の耳を疑った。「イリスが反乱を?」
「詳しい情報によりますと、イリス様が多くの民を扇動し、反乱を準備していた模様です。」
「何故だ?なぜイリスがそんなことをする?」アルファンは焦りに駆られ、側近に詰め寄った。
側近は言葉を詰まらせつつも、続けた。「アルファン様が、この国の王位を不当に奪い、独裁的な政権を築こうとしているという噂が広まっております。イリス様は、それを正義の名の下に暴き、王国を救おうとしているとのことです。」
「馬鹿な…それは全くの濡れ衣だ!」
アルファンの声が震えた。自分がそんなことをするはずがない。彼は民を愛し、正義と平和を守ることを誓ってきた。それなのに、どうしてこんな噂が広まったのか。
「イリスはそんな虚言を信じたというのか?いや、彼女がそれを広めているのか…」
側近は目を伏せ、言葉を続ける。「イリス様は、殿下が民の税金を不正に流用し、敵対する隣国との密約を結んで王権を強化しようとしていると、噂を広めているとのことです。それを信じた国民たちはイリス様に従い、反乱を決行することとなりました。」
アルファンはしばらくの間、言葉も出せずに立ち尽くしていた。信じられない事実が彼を襲い、まるで地面が崩れ落ちるような感覚に囚われた。イリスが自分を裏切った――そんな現実が、彼の胸に冷たく、重くのしかかってくる。
「イリスが?どうして…」
声に出しても、その響きはどこか遠く、自分自身の言葉ですら信じられない。
彼はずっと、イリスを信頼していた。彼女の愛に疑いを持ったことなど一度もなかった。むしろ、彼にとってイリスは、彼自身の心の支えでもあった。
だが、その支えが今、崩れ去った。
「なぜだ…なぜイリスが…」
アルファンはうつむき、拳を強く握りしめた。指先が白くなるほどの力で、自分の感情を抑え込もうとするが、どうしても心の中の混乱と痛みが止まらない。
イリスは彼に何も告げず、ただ一方的に裏切った。密かに陰謀を巡らし、クラリスを陥れ、自分の信用を失墜させようとしていた。
そして、今や彼女は民を扇動し、反乱を起こしている。彼の信じていた女性が、自分を陥れようとしている現実――その真実が、彼の心を引き裂いていた。
「私は…何をしていたんだ…?」彼の呟きは、自らの無力さを痛感する言葉だった。
アルファンは目を閉じた。彼の瞼の裏には、優しい笑顔を浮かべるイリスの姿が浮かんでいた。その笑顔は、もう二度と戻ってこないだろう。それは偽りの微笑みだったのだ。
「イリス…なぜだ…」彼の声は、深い絶望の中でかすれていった。