ある日の午後、私はイリスと二人きりでお茶をすることになった。広々としたサロンには、柔らかな自然光が差し込み、穏やかな雰囲気が漂っている。テーブルには華やかなカップとソーサーが並び、湯気を立てる紅茶の香りが心を和ませる。
だが、イリスがアルファンの浮気相手であることを考えると、彼女が私に親しくお茶をしたいと提案するその意図が疑わしかった。
「今日はどうしたの?」警戒しながら席に着き、冷ややかな視線を彼女に向けて尋ねる。
「ただ、クラリスさんとおしゃべりがしたかっただけなんですが、お嫌ですか?」彼女は無邪気に、まるで子供のように答えた。イリスの真意が本当に純粋なのか、心に不安が渦巻いていた。
「わぁ、紅茶おいしそう!」
彼女は、張り詰めた空気を和らげるように、無邪気な笑みを浮かべながらカップに手を伸ばした。
だがその瞬間、イリスがわざとらしく手を滑らせ、熱いものが肌に触れた。「あつっ!!」彼女の零した紅茶がドレスの裾にかかったのだ。
「わっ、どうしよう。手が滑ってしまったわ」とイリスは、大げさに驚いた様子を見せた。だが、無邪気さを装ったその声には、計算された冷淡さが隠れているのがわかった。
「お行儀が悪いですね。まあ、人の旦那を盗む泥棒猫なほどですから。」濡れたドレスの裾を無言で拭いながら、抑えた声でそう呟き、イリスの本性を引き出すように冷ややかな視線を向けた。
「クラリスさん、どうしちゃったんですかぁ?」イリスは一瞬顔を曇らせたが、すぐに無邪気で愛らしい笑顔を浮かべた。だが、その瞳には冷たい輝きが潜んでいるのを感じた。
「イリス、あなたが何をしているのか、私はすでに気づいているわ」冷たく鋭い声を絞り出しながら、彼女をまっすぐに見据えた。
無邪気で美しいピンク色の髪の彼女に、アルファン様が心を奪われる理由がわかる。彼女の可愛らしさと清楚さは周囲を包み込み、誰もが彼女に魅了されてしまう。しかし、私には知っている。彼女の輝かしい外見の裏には、深い闇が潜んでいるのだ。
「あなたが私に陰でいじめられているという根も葉もない嘘を言っているようですが。いじめようにも、今日がほぼ初対面ですし…?」
イリスはその言葉に一瞬動きを止めた。次の瞬間、急に顔を伏せて、か細い声で涙をこぼし始めた。
「うぇぇぇん、こんなのひどすぎますぅ〜!!」
私はその光景に目を見開いた。突然の号泣に混乱し、言葉を失ってしまった。
その時、冷ややかな声が不意に響いた。
「君って人は…まさかと思って来てみたら」
アルファン王子の声だった。
「何をされたんだ?イリス」彼の声は、まるで私がそこに存在しないかのように響く。
胸の中で何かがプツンと切れた。緊張の糸が切れ、感情が一気に崩れ落ちていくのを感じた。
ああ、もうだめだ。
心の中で繰り返されるその言葉は、冷静で諦めに満ちていた。かつて私を支えていた希望や誇りが、瞬く間に崩れ去っていく。
「…もういいです。何を言っても、しても、結局あなたには届かないのですから。」
その言葉は、自分自身への最後の抵抗のように口をついて出た。目の前の景色がぼんやりとぼやけ、視界が狭まっていく。足元が揺らぎ、体が重く、思考が鈍くなる。胸の中で燃えていた情熱は、冷たい灰に覆われてしまったように感じた。
ふらふらとその場を離れようとしたが、足が思うように動かない。全身が鉛のように重く、進むごとに心が沈んでいく。
「お…おい?」アルファンの声が遠くに聞こえた。
「クラリス様?」イリスの表情にも戸惑いが浮かんだが、その視線さえも遠く感じられる。
私はかろうじて振り返り、無理に微笑んでみせたが、その笑みには力がなかった。「…大丈夫よ。なんだか全てに疲れてしまって。」
声はかすれ、どこか遠い世界から響いてくるようだった。この世界での自分の存在も、努力しても報われない日々も、すべてが虚しいものに感じられた。
「早く部屋に戻って、楽になりたいの」と呟いた瞬間、胸の中の気力が消え去ってしまった。
重い足取りでその場を後にし、薄暗い廊下を進む。部屋に戻ると静寂が包み込み、窓の外から差し込む鈍い光が、無情に感じられた。
その日から、私は部屋に引きこもった。