「やってくれたな?」
アルファン様の冷たい声が、私の心を突き刺すように響いた。
「まあ、何かしら私、失礼でもしました?」私は顔色ひとつ変えず、あくまで淡々と返事をする。
先月の社交界での出来事が、彼の耳に入ったのだろう。だが、あれはただ、足を引っ掛けられた私が、やり返しにワインを頭からかけただけのこと。それがどうしたというのか。彼に説明しても、きっと興味を持つことなどないだろう。
「君には呆れるよ。…妻だと思ったことなど一度もない。」
私は、その言葉にも微笑を崩さない。まるで、何も感じていないかのように。
(そう…私は何も感じていない。ただ、役割を果たすだけ――)
必死に自分にそう言い聞かせた。けれど、心の奥底でアルファン様の言葉が鋭く私を切り裂いていくのがわかる。痛い。どうしようもなく痛い。でも、顔には出さない。出せない。私は「悪役令嬢」を完璧に演じ続けなければならないのだから。
アルファン様の冷たい視線が私に注がれる。それを受けながら、私は完璧に作り上げた微笑を彼に向けた。
「…君って本当に人の心がないようだな。彼女のように、もっと素直に感情を出したらどうだ?」
その言葉に、一瞬だけ視線を落としてしまった。彼が言う「彼女」が誰なのか、すぐに理解できたからだ。アルファン様が最近公然と愛を注ぐ相手――伯爵令嬢のイリス・フィオレンティーナ。『破滅のプリンセス』のメインヒロインであり、彼の新しい恋人。
庭でアルファン様と無邪気に笑い合う彼女を、私は何度も見てきた。彼女の純粋で天真爛漫な笑顔は、皆を魅了してやまない。それに比べて、私は冷酷で感情のない悪役令嬢。あの子が皆に愛される主人公なら、私は憎まれるだけの存在――それが、私の運命。
だけど、私にはもう嫉妬する力すら残っていない。ただ、冷たく無感情な妻としての仮面を被り続けること。それが、私が自分を守る唯一の方法だから。
(彼を守るために、彼に嫌われ続ける。これが私の役目…。)
そう自分に言い聞かせながら、私は彼の言葉をただ静かに受け流すことしかできなかった。