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第6話



ぴちゃん、ぴちゃん。


耳に届く水滴の音が、まどろみの中でかすかに響く。冷たい物が頬に触れ、ゆっくりと目を開けた。


「冷たああああっ!」


凍えるほど冷たい水が一気に顔にかけられ、体がびっくりするほどの冷たさに包まれた。薄暗い空間の中で、悲鳴に近い甲高い声が響き渡る。


「ようやく目が覚めたか」と、部屋の隅から響く低い声。


視界に最初に飛び込んできたのは、ソファに行儀悪く横たわっている男の姿だった。その足元には、彼がかけたに違いないバケツが転がっている。彼の顔はフードで隠れていてよく見えないが、突き刺さるような冷たい視線を感じた。


「ここ、どこ…?」


見上げると、天井は殺風景で、湿った空気が漂っていた。髪からポタ…ポタ…と落ちる水滴の音が、さらに耳をつんざく。濡れた頬を拭おうとしたが、右手からジャラッと音が聞こえた。


(え?)


慌てて視線を下に移すと、頑丈な拘束具が手と足にしっかりと嵌められていた。何度も必死に動かそうと試みるが、びくともしない。手足が冷たく、拘束具の冷たさが肌に染み渡る。


「クラリス・ド・ラフィネ。侯爵令嬢のお嬢様。キミのことは調べさせてもらったよ。」


恐怖がじわじわと背筋を這い上がり、心臓が激しく鼓動を打ち始めた。状況が全く飲み込めない。捕まった?侯爵令嬢て、私が?頭の中が混乱し、震える心が冷たい恐怖に支配される。


「もし敵国の城に忍び込んだことが露見すれば、スパイ容疑で確実に死刑だろうね。君自身も一族も、ただでは済まないだろう。


わずかにすき間から射し込む月の光が、男の緑色の瞳を浮かび上がらせた。瞳が冷たく光り、吸い込まれそうになる。


「だが、僕は捕まえて死刑になんてしない。君には重要な役目を果たしてもらわないといけないからね。」


敵なのか味方なのか分からないこの男の言葉に、動揺がさらに深まった。しかし、その「役目」とやらが気になり、少しでも状況が掴めるかもしれないという淡い期待が胸をよぎる。


「クラリス・ド・ラフィネ。君には大事な任務を任せるよ。アルファン王子と結婚し、彼を監視する役目だ。」


「……え?」


アルファン…?


その名前を聞いた瞬間、全身に電流が走った。その名前を、心の中で何度もを繰り返す。アルファンだなんて…私がずっと推してたキャラクターの名前じゃない!


驚きで弾かれたように拘束された体を起こし、辺りをきょろきょろと見渡す。


もしかしてこの状況は、数年で流行り出した異世界転生の…?


「もしかして…これ、異世界転生ってやつ!?」


頬をつねって現実を確認しようとしたが、痛みが確かにそこにあった。ん?もう一度…あれれ? やっぱり痛いぞ。


「あああ…あの、ここは何という国ですか?」興奮気味に尋ねてみる。


「スリーリニア王国だが」その問いかけに、少し間が空いてから男の静かで低い声が返ってきた。


「まさか…まさか、まさか…」


【破滅プリンス】の舞台となる国の名前と全く同じじゃない!!!


心臓が高鳴り、興奮で全身が震える。アルファン様がいる世界に転生したなんて、信じられないようなことが私の身に起きている。これが現実だなんて、あり得ない。


「これは…現実?幻じゃなくて?」


胸がドキドキしてきて、その場で頭を抱えた。


「アルファン様…と結婚…?」


まさか、現実世界でずっと夢見ていたあのゲームの世界に来てしまったの?


しかもアルファン様と結婚だなんて、こんなに幸せなことがあっていいの?



そして、ついに思い切ってフードの男に向き直り、大きな声で叫んだ。「結婚できるんですよね!? 推しと! 」



興奮が抑えきれず、私はがっしりと拘束された手をバタバタと動かしながら、男の方へ体を乗り出す。拘束具がジャラジャラ音を立てているのも気にしない。


「え? お、おい、落ち着け!」


男は困惑した顔をしていたが、そんなの関係ない。今、私の心はアルファン様でいっぱいだ。


「私がずっと推してたアルファン様と!! やったああああああ!」


私はその場で土下座をし、感謝の気持ちを全身で表現した。顔は涙でぐちゃぐちゃだが、これほどの幸せが突然訪れるなんて、人生のピークだ!


「ありがとう、ありがとう!」と繰り返す私に、男は引き気味に後ずさる。


「えっと…いや、そんなに感謝されるとは思ってなかったけどな…?」


「推しとの結婚なんて最高すぎます! 本当にありがとうございます!!」


「え、いや、ちょっと待て…」フードで顔は見えなくても、若干引いている様子なのはわかる。


だがそんなことはもうどうでもいい!!

私は今、最高の世界にいるのだから…!



「推しとの結婚、最高ー!!」


胸が高鳴り、全身が震える。私はその場で何度も礼を述べ続けた。何度も、何度も。

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